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ブックマーク / schutsengel.blog.ss-blog.jp (7)

  • ゆるがせにすべきではないこと(「科学との正しい付き合い方」内田麻理香):Chromeplated Rat

    でも、ネット上でいくつかの書評を見て、ちょっと思い直した。 この来の対象読者は、たぶんぼくみたいな人間なんだろうな、と思ったので。 ニセ科学に関する議論のはじっこのほうでそこそこのあいだうろうろしているにも関わらず、ぼくぐらい「科学」と云うものに対する理解を欠いている人間もそうはいないだろう(もうこれは認めてしまえば能力的な問題で、そこには忸怩たるものがないわけでもないのだけれど)。書でも主要なテーマとして掲げられている「科学リテラシー」と云うものについても、いまだそれがどんなものを指すのか、と云うことについて明瞭な理解を持っていない(ついでに云うと、あまりそこにはっきりした共通理解が生じていると思えないような場で、このことばが一種の紋切型として使われているように感じられる現状に対する違和感もまだ払拭できていない)。 でまぁ、目次を開いてみる。初級編、中級編、上級編に分かれている。

    RanTairyu
    RanTairyu 2010/05/04
  • さすがにちょっと:Chromeplated Rat

    もういわゆる「左のほうの水伝騒動」には距離を置こうと思っていた。ぼくがなにか云う意義はもうないなぁ、みたいに感じたので。 ただ、そんなところでたんぽぽさんの議論が再燃した(16)と云うエントリを読んだ。さすがにちょっと、とか思ったので言及する。 言及先はNarrさんのところで、でNarrさんのところではぼくも愚痴めいたことを書いたりしていたので(エントリを消す、とおっしゃっていた気軽さに甘えていたわけだ)、当然その辺りでのぼくの言動にも関わりのある内容になっている。 ところで、ここに集まっていらっしゃるような、 「にせ科学批判」を継続しているかたたちは、適切な科学知識の普及という、 社会への啓蒙を意識して、ウェブで発言している感じです。かたたち、とお書きだけど、これはぼく個人を指しているのだろうと思うがどうか(それともたんぽぽさんがご自分に好意的だと認識されている玄倉川さんのことも示してい

    RanTairyu
    RanTairyu 2008/05/17
  • 発端と帰結、見えてくるもの:Chromeplated Rat

    おとといのエントリで触れた政治系ブロガーの「水騒動再燃」に関連して、この騒動を(外側から)丹念に観察しておられた玄倉川さんが「水伝」騒動とリベラリズムおよび「所属する」リベラル、「なる」リベラルと云うエントリをお書きになっている。 これらのエントリは、騒動の周辺にいたとあるブロガーの「リベラリズム」認識に関して書かれたものであり、その主題そのものについてはぼくがなにか云うべきようなことではない。ただ、 水葉氏が反知性の人であればそれはそれでいいけれど(当はよくない)、彼女の運動論的な考え方とは矛盾するように思う。知性によって他者の理と自分の利を適応させてはじめて運動が成功するのであり、「反知性でもいいじゃないか、にんげんだもの」というやり方ではあちこちから矛盾が噴出して空中分解するだろう。と云うような玄倉川さんの理解には深く同意する。 で、なんか似たような構図を、ぼくなんかは日常的に見て

    RanTairyu
    RanTairyu 2008/04/18
  • 臭えぞ:Chromeplated Rat

    今日は。 続きのエントリーが上がっていたので読んでみましたが、ありゃ、という感じでした。 やはり、(先日より書いているように)「昨今ネットで一部流行の偽科学バッシング」(前のエントリーから引用)に関する議論を、実は、ちゃんと押さえていらっしゃらないのではないかな、と。 それ以前に、かなり文意の読み取りにくいテキストだったりする訳ですが…。 by TAKESAN (2007-12-09 12:07) > TAKESANさん いやいや。あれくらいが限度でしょう。権威も守らなくては名折れでしょうし。とりあえず、この話題については現状の把握についての程度をちょいと理解しました。守備範囲の広い方だから、細かいところについては一般論で代用させようとか考えるのは仕方がない。 それはそれで臭かったりはしますけど、まぁ立ち位置の違いと云うことで。 > それ以前に、かなり文意の読み取りにくいテキストだったりす

  • 科学と宗教(試論):Chromeplated Rat

    ニセ科学に関連して、宗教に言及すべきだとは以前から考えている。でも、ぼくの思考能力の限界の低さもあってさっぱり簡潔にまとめることができない。テーマがでかすぎるのだ。でも、good2ndさんの「穏健な宗教」と云うエントリを読んで少し感じたことがあったので書いてみる。自分の中でしばらく出そうにない結論に向かっての、途中のステップとして。 以前にも書いたけれど、ぼくは科学も宗教も「世界を理解し、その中に自分自身を含む人間と云うものを位置づけるためのメソッドとツールのセット」であると考えている。その意味では、「信じること」から始めるのは宗教の質ではない。科学も宗教も、来は「疑うこと」から始まっている、はずだ。 ひとが生きていく、その過程の中で、神や霊魂の実在を感じることは実際に発生する。それが科学的事実かどうかはともかくとしても、感じることはあるのだ。神とか霊魂とか云う云い方がまずいなら、シン

  • 道徳やしつけの根拠は自然科学「にも」ある:Chromeplated Rat

    正直、小飼弾さんのエントリに言及するにあたって、相当腰が引けています。 対等に論陣を張れるほどの能力がある気もしないし。とか書くと予防線臭いなぁ。 そしてその根拠は、と問うと、「自然科学は価値中立だから」ということになる。自然科学は毒にも薬にもなるのだから、そこから道徳やしつけを導くのはおかしい、というわけである。 その通りではあるけど、ニュアンスが少し違う。 自然科学がしつけや道徳の問題を専門的に担うにはあまり向かない、と云うのが菊池教授の認識だと思う。そして、自分の専門分野外のことについて影響力のある発言をすることに(そしてそれに伴う責任に)対して、自分に慎重さを課しているのだ。 それでは、自然科学者たちはこれらの「自然科学の負の応用」から完全に免責なのだろうか? そう思っていないからこそ、現在の「対ニセ科学」活動に繋がっている訳で。 私は、結果責任からは免責であるべきだと思うと同時に

  • 「善意」を甘やかしてはいけない。:Chromeplated Rat

    ネットの片隅で「善意の転載」が議論になっている(だれかが上手にまとめたエントリがないかと探したんだけど、適切なものが見つからなかった。このあたりか)。とあるブロガーが「善意あふれるエントリ」を書き、読者に「善意に基づく転載」を推奨したことに端を発している。 もともと、チェーンメールの類はネットワークの負荷を増やすのでやってはいけない、という行動規範があった。それはインターネットを利用するものに絶対的に求められる、モラル以前の常識であり、それがどのような善意、どのような切迫した事情に基づくものであっても、そのことそのものがインターネットの原理に敵対するものであり、ケースバイケースなどと云う考え方をする余地がそもそもない、「小規模なテロリズム」として捉えられていた。同内容のテキストを増殖させるチェーンテキストも、質的には同じものだろう。 まぁ例えば10年前と比べればインターネットユーザ数は1

    RanTairyu
    RanTairyu 2006/12/10
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