希望・絶望と仕事に関するSavingThrowのブックマーク (13)

  • 大阪大学大学院 幹細胞病理学/病因解析学|なかのとおるのつぶやき

    父親が35歳で亡くなっているので、若い頃から、なんとなく35歳で死ぬのではないかという思いにとりつかれていた。あほなことを、と思われるかもしれないけれど、井上ひさしも中井貴一も同じように思っていたようだから、父親に早死にされた息子の宿命のようなものかもしれない。この3月で55歳になったので、早くも余生生活20年、とえないこともない。そうすると、まことに楽しく有意義な余生で、ありがたいことである。 ちょうど20年前、35歳を迎えたころ、研究生活は最悪。庶佑先生ひきいられる京都大学医化学第一教室に雇っていただいたものの、まる一年半、成果らしいものはあげられず。私のことを個人的に知っている人には信じられないだろうけれど、ほとんど状態であった。大阪から京都へ通っていたが、往復の京阪特急の中でも、頭の中は研究のことでいっぱい。土日はおろか、お正月も祖父の葬式の日も、データはでないのに研究室へ行っ

    SavingThrow
    SavingThrow 2012/05/16
    "しんどいことを乗り越えないと次の一面に挑戦する権利すら与えられない。努力は必ずしも報われると限らないが、天命を待って人事を尽くす姿勢だけは保っていないと決して前に進めない。" via wrong, rogue and booklog
  • 一番大事なこと - Chikirinの日記

    それは、「自分がどう生きていきたいか」を理解しておくこと、そして選んだ道に自信を持つこと 「なんとなく」とか「成り行きで」ではなく、 「事情があるから」「仕方なく」でもなく、 こういう生き方がしたいから、 こうやって生きています! と言えること 世間の多数派や、現在のトレンドと違っていてもなんの問題もないです。 なんでもいいから、「自分はこれがいい!」と確信できる道を。 自分の選択について、他者に評価してもらう必要はありません。そんなの超無意味。 人生は選択の連続で、「何かを選ぶこと」は、「何かを選ばないこと」だから、 自分が選ばなかったものをいつまでも振り返らず、 選んだ生き方を楽しみましょう。 大事なことは「自分がどう生きていきたいか」わかっていること。自分自身がその選択に自信をもっていること というわけで、 私は今年もちんたらと・・・ そんじゃーね。

    一番大事なこと - Chikirinの日記
  • なぜ僕たちはプロ野球で通用しなかったのか…(週刊現代) @gendai_biz

    高校時代の名声と、未来への希望を胸に飛び込んだ、憧れの舞台。しかしそこで彼らを待ち受けていたのは、あまりに過酷で厳しい現実だった。元プロ野球選手11人が語る、一軍と二軍を隔てるもの。 契約金ドロボーと言われて 「プロに入ると決まったときは、高校時代にやってきたことを続けていけば必ず活躍できると思っていたんです。しかし高校時代なら多少甘くても打ち損じてくれた球を、プロは逃さずヒットにするし、ボール球は簡単に見極められる。 コントロールのない僕は、エースだった上原(浩治)さんの投球練習での球が寸分たがわずキャッチャーミットに吸い込まれるのを見て仰天しました。すべてにおいて僕の知っている野球とは違いすぎたんです」 北照高校から'05年、高校生ドラフト3巡目で巨人入りした加登脇卓真(24歳・現香川オリーブガイナーズ)は、入団当時をこのように回顧する。自信と期待を胸にプロ入りした加登脇が目にしたのは

    なぜ僕たちはプロ野球で通用しなかったのか…(週刊現代) @gendai_biz
  • まゆたんブログ:思うこと。

    最近、雷句先生の訴訟問題で、編集者と漫画家の問題が浮上していますが 新條もフリーになったいきさつで思うところがあって 普段はこういう話をブログでは絶対にしないようにと思っているのですが 一言、書こうと思います。(一言じゃないですが・・・むしろ長いです。) やはり、編集者と漫画家は対等な立場でありたいと思っています。 気持ち的には、漫画家は編集者に対して「お仕事をもらっている」と思っていたいし、 編集者は漫画家に対して「漫画を描いてくれている」と思っていてもらいたい。 そんな気持ちでずっとお仕事をさせていただいていました。 どんなに忙しくても、「この雑誌に描いてほしい」と言われれば寝ないで描いていました。 「こういうものを描いてほしい」と言われれば、出来る範囲で描ける漫画を。 新條が漫画というお仕事でご飯をべていけるようになったのは 育ててくれた編集者のおかげだし、掲載してくれる雑誌のおか

  •  (少なくとも当分は)誰も自動車産業の代わりになれない理由 - michikaifu’s diary

    車を修理に持って行き、待っている間、つらつら考えた。 修理工場でツナギを着たメカニックを見るとなんとなくほっとする。自分が自動車会社に勤めたことがあって、自分もあれを着て仕事したことがあって、見慣れた姿だからなんだろうけれど、それだけでなく、古き良き時代のまじめな庶民の正しい姿の象徴、のような懐かしさを覚える。 シリコンバレーはいいところだけれど、「高学歴職業」でない限り生活は苦しい。古き良き時代には、日でもアメリカでも、高校を出て自動車修理の技能を身につけたり、自動車会社で働いたりすれば、まともな生活ができた。「中流の崩壊」に関しては、しばしばこうした「雇用」の観点から語られるが、きっと当はお金の話だけではない。 いまどきのブルーカラー的な仕事、例えば介護の仕事を考えたらどうだろう。たとえ何かの仕組みが変わって介護の給料が高くなったとしても、自動車のように、暴走族あがりのにいちゃんで

     (少なくとも当分は)誰も自動車産業の代わりになれない理由 - michikaifu’s diary
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    SavingThrow 2011/08/22
    "暴走族のにいちゃんたちでも、わかりやすく、パッションをもって働ける。カネとか強制されてでなく、扱うモノが大好きだから自らすすんで訓練を受けてがんばろうと思える、頑張れば自分でも手が届く、そんな仕事。"
  • ゼンメルワイスの物語 - とラねこ日誌

    もしも産科医師が自らの誤った解釈や手技が原因で、来守るべき母子の健康を損なってきた事を指摘されたとすれば、それを素直に受け入れる事が出来るのでしょうか。 それが、人の死と直結するような事であれば、認める事は簡単な事ではありません。どらねこであれば、真っ正面から受け止める事ができず、現実逃避や無理筋な反駁を行ってしまうかも知れません。多くの人にとって、取り返しのつかないような過ちを受け止めることは大変に困難な事であると思います。これは代替医療や根拠のない健康法に嵌ってしまった人が後戻りできない理由の一つであると思っております。ハンガリー出身の医師ゼンメルワイスはそんな罪の意識と闘い、過ちを償うためにその人生を捧げました。 この物語を書くにあたっては、南和嘉男著 医師ゼンメルワイスの悲劇 講談社刊(絶版)を大きく参考にさせていただいております。その他、トールワイド著 塩月正雄訳 外科の夜明け

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  • 弱い国、助け合わない国 日本 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    全労済協会より、『緊急提言集 東日大震災 今後の日社会の向かうべき道』をお送りいただきました。 これは全文が全労済協会のHPにもアップされていますので、忙しくお仕事中でない皆さんは、是非リンク先に行って、パラパラと読んでみてください。 http://www.zenrosaikyoukai.or.jp/thinktank/library/lib-subject/post-1.html 内容は次の通りですが、 ●「共に生きる」社会への復興を求めて 神野直彦東京大学名誉教授 ●震災復興と地方自治のあり方 西尾勝東京市政調査会理事長 ●震災復興と雇用の再構築 宮太郎北海道大学大学院教授 ●住宅復興とまちづくりの方向 塩崎賢明神戸大学大学院教授 ●地域コミュニティの再生に向けて 広井良典千葉大学教授 ●東日大震災と新しい社会経済システム、社会保障制度 駒村康平慶應義塾大学教授 ●大規模災害時

    弱い国、助け合わない国 日本 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
    SavingThrow
    SavingThrow 2011/08/08
    "原因の一つは、社会保障を削ることで財政再建をするという財務省的財政再建論ばかりが前面に出たために、生活再建のための増税にすら国民の意識が冷え切ってしまっていることにあるのでしょう。"
  • わが子に読ませる「この世でいちばん大切なカネの話」「ぼくんち」

    スゴオフ「元気をもらった」で手に入れた逸品。 サイバラ節が炸裂しつつも、「これからオトナになる人に読んで欲しい」想いが詰まっている。というのも、お金がないことが人をどれほど追い詰めてボロボロにするか、お金があることでどれほどの不幸から身を守れるかが、文字通り身を削って描かれているから。 そう、「カネさえあれば幸せになれる」といったら異論が出るだろうが、「カネさえあればかなりの不幸を回避できる」は当だ。カネを使って不幸を撃破しつつ、幸せに匍匐前進するのが"勝ち目"のある戦い方だろう。まちがえてはいけないのは、戦う場所と相手。彼女が目指したのは、予備校の順位で最下位からトップを目指すのではなく、「この東京で、絵を描いてべていく」こと。これが、最下位による、最下位からの戦い方だという。 そして、自分の得意なものと、自分の限界を知ったうえで、「ここで勝負」という、やりたいこととやれることの

    わが子に読ませる「この世でいちばん大切なカネの話」「ぼくんち」
    SavingThrow
    SavingThrow 2011/07/15
    "カネさえあれば幸せになれるわけではないが、かなりの不幸は回避できる。どうしたら夢がかなうか?って考えると全部諦めてしまいそうになるけれど、どうしたら稼げるかって考えると、必ず、次の一手が見えてくる。"
  • 為末大「人を喜ばせる為に生きてやいないか」

    丹埜倫 @rontanno 「あれほど」が何を指すのか分かり兼ねますが、僕は小学校教育だと思いますね。イギリスの全寮制から小6で日の公立小学校に転校したときの衝撃は忘れません。同一性を重んずるという意味では、正直カルトに近いものを感じました。@daijapan なぜ日人は偏りをあれほど嫌うのか 2010-12-15 02:00:50 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan 偏ってないってことは誰かと替えがきく存在になるって事だと思うんですけどね RT @RonTanno: 「あれほど」が何を指すのか分かり兼ねますが、僕は小学校教育だと思いますね。イギリスの全寮制から小6で日の公立小学校に転校したときの衝撃は忘れません。同一性を重んずるという意味で 2010-12-15 02:12:24 丹埜倫 @rontanno 全くその通り。同一性が求められる単純作業は今

    為末大「人を喜ばせる為に生きてやいないか」
  • 人生をどうやって測るのか? | 世界級ライフスタイルのつくり方

    仕事も家庭も世界が舞台! オーストラリア人の夫と3人の子どもと共にロンドンにて世界級ライフスタイルを実践中! 私が子育てによる睡眠不足でふらふらになっていた頃、さっとネット上で見かけたのをまだ覚えてました。 遅くなったけど、読めてよかった! HBS(ハーバードビジネススクール)のクリステンセン教授が行った授業。 ビジネス書の古典『イノベーションのジレンマ』の著者でこのブログでは『次の破壊的イノベーションは何だ?』や『破壊的イノベーター国家』で紹介しています。 彼は現在、癌で闘病中です(→近況は彼自身が自分のサイトでアップしています)。 HBSでは学生に向けて彼の人生観を語る授業があったそうで、聴講できたラッキーな現役生たちがブログに内容をアップしています(↓)。 『莉恵の地球儀ブログ:生きるということ』 『Built to Last : ハーバード留学記 : クリステンセン教授の特別授業〜

    SavingThrow
    SavingThrow 2010/11/29
    "HBSのクリステンセン教授が行った(おそらく最後の)授業。 "How Will You Measure Your Life?" http://hbr.org/2010/07/how-will-you-measure-your-life/ar/1
  • 岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とは

    早稲田大学は12月11日、ICC(早稲田大学国際コミュニティセンター)開設3周年記念「働く杯」を開催、特別講演でサッカー日本代表監督の岡田武史氏が自らの仕事に対する姿勢を語った。 岡田氏は早稲田大学卒業後、古河電気工業(ジェフ千葉の前身)や日本代表でディフェンダーとして活躍し、1990年に現役を引退。引退後は指導者の道を歩み、ジェフ市原コーチ、日本代表コーチを経て、フランスW杯最終予選では更迭された加茂周氏の後任として日本代表監督に就任、日を初のW杯出場へと導いた。その後はJリーグのチームの監督として年間王者に2度輝き、2007年からはイビチャ・オシム氏の後任として再び日本代表監督を務め、南アフリカW杯への出場を決めている。 勝っても違和感があった 岡田 僕はフランスW杯の日本代表監督を辞めた後、J2のコンサドーレ札幌の監督に就任して、2000年にJ2で優勝してJ1に上がって、J1で1年

    岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とは
  • 2010-06-21

    今思えば2007年のサブプライムローン問題が2008年9月15日のリーマン・ショックを引き起こしアメリカ経済に対する不安が決定的となった結果、海を隔てて東の島国の経済までもおかしなことなったわけで、よくもまあ酷いことしてくれやがったな、という思いが募ります。 2008年の9月、私は中部地方のある半導体メーカへ単身赴任していた。嫁の妊娠が発覚したGW明けからかれこれ5ヶ月、一緒に赴任していた後輩は3ヶ月の約束だったので福岡からのメンバは私1人なっていた。業務も切迫していたこともありリーマン・ショックのニュースを見ても気を止めなかった。 そもそも半導体業界は浮き沈みが激しく、周期的な需給変動を繰り返す特徴がある。2008年は比較的需要が高く、中規模の回路設計会社に所属して私もその恩恵を受けていたといえよう。残業代を考えると、結構な額を貰っていたと思う。世の中の動向を気にするより終わらない仕事

    2010-06-21
  • 自分の至福?

    自分の至福? 白川郷自然學校を会場にしてひらいたワークショップフォーラムNが、昨日終了した。 参加者の24名とスタッフを含む全29名は、暮らしている街も、仕事や活動領域も違う。そんな者同士で、「自分をいかして生きる?」というテーマを軸にした、二泊三日を過ごした。 「フォーラムN」は、環境教育や体験学習・人間関係トレーニングの分野で活動を重ねてきた西田真哉(牧師でもある)と、ワークショップを通じた人々の関わり合いに半生を投じている中野民夫(愛・地球博「地球市民村」を手がけた博報堂のプロデューサーでもある)と、そして西村佳哲の三人を軸にした全三回のフォーラムで、今年が第一回。辰巳真理子(ETIC.や仕事の学校にも関わる)を事務局に、会場づくりには西村たりほ(リビングワールド)が腕をふるっている。 まだ先の話だが、第二回は来年の5/27~29。場所は中野民夫が屋久島の南斜面に建てた、然庵という

    自分の至福?
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    SavingThrow 2010/03/09
    "人々はよく、われわれみんなが探し求めているのは生きることの意味だ、と言いますね。でも本当に求めているのはそれではないでしょう。人間が本当に求めているのは〈いま生きているという経験〉だと、私は思います"
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