2014年10月8日のブックマーク (2件)

  • 中村教授と日亜化学の悲劇

    目次へ戻る 中村教授と日亜化学の悲劇 2004年7月4日 宇佐美 保 私は以前、青色発光ダイオードの開発者である中村修二氏の著作『考える力、やり抜く力 私の方法(三笠書房)』を読み大変感激しました。 先ず、感激したのは、当時の(今は亡き)日亜化学工業小川社長の素晴らしさでした。 そして、又、会社の方針(小川社長の方針ではありません)を無視して、自己の道を邁進しようとする中村氏の凄さにです。 以下に、中村氏の著作から引用させて頂きます。 (尚、青色発光ダイオードの発明が中村氏の力、存在に依存している証明でもある大事な部分なので、長くなりますがお許し下さい。) ……私はついていたと思う。それは当時の小川社長(現会長)が研究開発の何たるかを理解してくれていたからだ。目先の結果だけを求めるのではなく、どちらかと言えば楽天的だった。だから、会社の規模としては多額の研究開発費をボンと出してくれたのだっ

  • 【ノーベル物理学賞】「大変喜ばしい」中村氏の古巣、日亜化学工業 - 産経WEST

    【産経新聞号外】ノーベル物理学賞 赤崎・天野・中村氏 青色LED開発(表)[PDF] 【産経新聞号外】ノーベル物理学賞 赤崎・天野・中村氏 青色LED開発(裏)[PDF] ノーベル物理学賞を受賞した中村氏がかつて所属していた日亜化学は7日、「日人がノーベル賞を受賞したことは大変喜ばしい。とりわけ、受賞理由が中村氏を含む多くの日亜化学社員と企業努力によって実現した青色LEDであることは誇らしい」とコメントした。

    【ノーベル物理学賞】「大変喜ばしい」中村氏の古巣、日亜化学工業 - 産経WEST
    SigProcRandWalk
    SigProcRandWalk 2014/10/08
    海のものとも山のものとも分からない段階でお金を出したのは先代の社長だったはず。中村氏もそのことには感謝していた(インタビュー記事を読んだ記憶がある)。という経緯も含めて今の業績があるなら良いじゃないの