『新編鎌倉志』の海蔵寺の項に「寂外庵跡」というところがあり、その谷を頼朝が切り通そうとして、蛇の住む石にあたり、血が流れたので断念したという記載があります。 海蔵寺の境内絵図に「寂外庵」がありますので、現在の地図と見比べるとだいたいの場所がわかります。 海蔵寺の裏山で、現在は行き止まりになっているようです。 NDC 参考資料 『新編相模国風土記稿 第6巻』 間宮士信/〔ほか原編〕 雄山閣出版 1998年 【K0 291.37】 P94 下段 寂外庵跡 『鎌倉の古絵図 1』鎌倉国宝館/編 鎌倉市教育委員会 1969年 【709.1】 5 海蔵寺境内絵図(寛政三年),P10~ 解説 『鎌倉 谷戸の記録 下』 鎌倉市中央図書館近代史資料室/編 鎌倉市中央図書館 2008年 【291.3】P366~ 会下ヶ谷(えげがやつ) 『扇谷山海蔵寺略縁起』 扇谷山海蔵寺 最後のページ 遺跡 「寂外谷」:源頼