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  • ムラヴィンスキーの思い出

    1958年にレニングラードフィルは、フェスティバル・ホールの柿落としがらみで、大阪フェスティ バル協会の招聘で初来日を行いました。しかしこの時常任であったエフゲニー・ムラヴィンス キーは長年悩まされた胃病の手術の回復が遅れ来日を断念しました。 公演そのものは大絶賛でしたし、代行のガウクの評価もたいへんなものであったこと、さらに ヤンソンスと東京交響楽団の関係の素晴らしい関係もこのとき築かれたこともあり、言う事な しの公演ではあったのですが、ムラヴィンスキーが来日しなかったというのはやはり多くのファ ンを残念がらせたものでした。 それから12年後、今度は大阪万国博覧会にあわせてレニングラードフィルは12年ぶりに再 来日をしました。しかしこの時も来日直前に出国ビザが下りず(表向きは急病の為)、代わりに 彼の弟子である、当時35歳であった、アレクサンドル・ドミトリエフが来日しました。 (当時6月

    Syunrou
    Syunrou 2018/12/25
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