凡(すべ)て迦微(かみ)とは古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云(い)はず、鳥獣(とりけもの)木草のたぐひ海山など、其与(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き(かしこ)物を迦微とは云なり。〔すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり。〕 宣長はここで、「迦微(かみ)」という表現を使っているが、神話に登場する神々をはじめ、各地にある神社に祀(まつ)られている祭神、さらには、人だけではなく、鳥獣、木草、海山なども、それが通常のものよりすぐれていれば神であるとしている。 そして、神の基本的な性格である「すぐれたる」について注釈を施し、