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2020年1月20日のブックマーク (2件)

  • もしも1945年8月の日本にツイッターがあったら(一ノ瀬 俊也)

    もしもツイッターがあったら ツイッターについて。私は大学や日史学といった〝業界〟のトレンドを知るのに使っている。多くのアカウントが私の知らない知識のみならず、音をご人が意識しているかどうかは別として、140字でぶちまけてくれるのでとても面白い。面白すぎて研究が手につかないくらいだ。 そんな時にふと思うのが、近代の日にツイッターがもしあったらどうなるだろうか、ということである。ツイッターの華は、いわゆる炎上である。意見が分かれる問題について、何の気なしに、あるいは意図的に書いたことが多くの人の怒りを招き、罵詈雑言がえんえんと書き込まれる。 近代日には、炎上必至と思われる事件や出来事がいくつも起こった。私のみるところ、最大の炎上を招いたに違いない出来事は、1945(昭和20)年8月15日に昭和天皇がおこなった、いわゆる玉音放送だろう。 この放送で、天皇はみずからの肉声により、国民に米

    もしも1945年8月の日本にツイッターがあったら(一ノ瀬 俊也)
  • 爆心地で雑巾を描き続ける「河童」の信念(安田 浩一)

    "原爆スラム"を訪ねて 「広島市営基町高層アパート」は、戸数3000、約9000人が暮らす大規模集合住宅だ。隣接する県営の中層アパート(約15000戸)も併せて、一帯が基町団地と総称されることもある。 広島市の中心部、原爆ドームから歩いて10分とかからない場所だ。その地域──広島開基の地を意味する基町地区は、かつて"原爆スラム"と呼ばれるバラック街を抱えていた。終戦直後から70年代末までの話である。 太田川の河川敷に沿って、約1000戸もの粗末な木造住宅が軒を連ねていた。巨大な要塞にも見える基町アパートは、"原爆スラム"の生まれ変わった姿でもある。 1945年8月6日の原爆投下。爆心地から1キロと離れていないこの場所は、一瞬にして灰燼に帰した。終戦後しばらくしてから、原爆被害によって住む家をなくした人々が基町周辺に集まるようになった。 被災者たちは、焼け野原に積み重なった瓦礫の中からトタン

    爆心地で雑巾を描き続ける「河童」の信念(安田 浩一)