つまり、「やっぱりキモヲタに市民権などなかったというのか!」ではなく、市民権を持った(というか市民権が不当に剥奪されている状態が解消された)結果、市民として求められる公共の福祉(他者の人権)への配慮が求められるようになったわけだと… https://t.co/nQuZwNdKii
withnews.jp これは「現在の長篇を要求する商業版元(漫画雑誌)への警鐘」の記事なのですが、読んでいて、これはブログについてもあてはまるのかもしれないな、って思ったんですよね。 この『良い祖母と孫の話』の作者は、漫画家としてのプロデビューの話を蹴って、就職を選んだのです。 確かに、プロとして生きていくためには、コンスタントに売れる作品を描き続けなければならない、という「宿命」があるのです。 4話の短編に「2年」というのは、職業漫画家としては、あまりにもボリュームが少なすぎる。 でも、「仕事をしないで時間がたくさんあったら、高いクオリティの作品をその時間分描けるか?」と問われたら、そういうわけでもないと思うんですよ。 高橋留美子さんのような「マンガモンスター」でもないかぎり、アイディアは枯渇するし、モチベーションを維持していくのも難しくなってくる。 「ブログ論」みたいなもののなかで(
アニメ『アイカツ』の前期エンディングテーマ「カレンダーガール」。 この曲の歌詞で、今もずっと私の心に残り続けているものがあります。 何てコトない毎日が かけがえないの オトナはそう言うけれど いまいちピンとこないよ 『アイカツ』1年目 前期エンディングテーマ「カレンダーガール」より 生きている毎日が、かけがえないものであると大人は言うけれども、 今まさにアイドルになろうともがいているものたちに取って、それはピンとこないという。 果たして自分は、いつから毎日が「かけがえのないもの」だと思うようになったのか 少なくとも10年前は、思っていませんでした。 アニメや漫画など、自分が好きなものを全力で楽しむために、学業もほどほどに日々バイトに打ち込み、 稼いだバイト代はその月で全て使い果たしては、また稼いで使い果たし、と激動、しかし楽しいソロオタクライフを過ごしていました。 契機は、間違いなく就職で
もう一生彼女できないんじゃね?と32のときに気付いちゃって、 それ以来なんかミソジニーこじらせてTwitterでアンチフェミの人とかフォローしてキャッキャッ\(^o^)/したり、 ちょっと前まで増田でも色々と女性嫌悪丸出しのエントリ投稿しまくってたんだけど 先日親類のオバサンが職場で30くらいの未婚女性がいるから一度会ってみないって言われて、 オバサンの顔を立てるつもりで会ってみたら、相手女性が俺と同じ楽器の趣味があることが判明して 色々あって付き合うことになった。もち結婚前提で。 30といっても見た目は結構若いし、俺好みの薄い顔立ち(黒木華似)だし、 ホントホント、ホントに彼女になってくれて嬉しい。絶対大切にする。マジでガチで。 つか、俺自体は何も変わってないのに、彼女できちゃったじゃん。 高脳恋愛マスターはてな民の皆様、色んな罵詈雑言もといアドバイスを頂きましたが、見事に役に立ちません
アニメやゲームが“市民権”を獲得して数年か十数年が経った。 “市民権”と言うとお怒りになる人もいるかもしれない。年配の人からはまだまだ嫌悪されているし、“市民権”などと言う割には政治的な問題意識が遅れている、と批判する人もいるだろう。しかし、そういった指摘ができる程度にはアニメやゲームは世間に広まった。特に三十代より下の世代において、アニメやゲームが90年代のような嫌悪の視線を向けられることは少なくなっている。 なにより、アニメ的表現、ゲーム的表現が驚くほど世の中に溢れるようになった。 地方自治体のキャラクターがアニメ風になったのは、いったい何年前だったろうか。陳腐を地で行くキャラクターが地方自治体の玄関口を飾っている程度には、アニメ風のキャラクターは生息域を拡げた。ゲーム的な表現もそうで、Eテレの『天才テレビくん』はもとより、クイズ番組やバラエティ番組にもロールプレイングゲーム的・シミュ
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