ブックマーク / xkxaxkx.hatenablog.com (2)

  • 差別表現を「言論の自由」「表現の自由」の元で保障するのはやはり抵抗がある - K Diary

    hagex.hatenadiary.jp ハゲ子パイセンに言及するというのは細心の注意を払わなければならない、と分かった上で書いてみる。 おれははすみとしこのようなレイシストやネトウヨが行うヘイトスピーチ/差別表現を「言論の自由」「表現の自由」のもとで保障されるべきものであるとは思わない。確かに、言論の自由とか表現の自由いうものは万人が保障されるべきでことあるし、おれがこういう風にインターネット上で文章を書くことができるのもそういう保障があってのことであると思う。ただ、こういう差別的表現については「言論」や「表現」という言葉で片付けるべきではないのではないか。例えば、シャルリエブドの風刺画。あれをおれは表現の自由/言論の自由の元で保障すべきだ、とは思いたくないし、ましてや「わたしはシャルリ」なんて絶対に言いたくはない。だからといって殺されて当然だ、とまでは思わないけれど。ただ、はすみとしこ

    差別表現を「言論の自由」「表現の自由」の元で保障するのはやはり抵抗がある - K Diary
    Togami_Arahi
    Togami_Arahi 2016/01/28
    “論理や知識を身に着けながら、「NO」を叩きつけ続けることだけなのかもしれない。また、表現に対して批判をするのは自由であるはずだし、それは表現の自由を肯定することと矛盾はしないはずだ。”
  • 孤独。寂しさ。疎外感。退屈。 - K Diary

    僕が常々思っていて、この日記上でもたまに書いていることとして「孤独だけど、寂しくない」ということだ。僕の中で孤独=寂しいではない。もちろん「孤独」と「寂しい」が両立することもあると思う。ただ、寂しさを感じる瞬間は一人ぼっちでいる時はほとんど訪れない。一人ぼっちで家でを読んでいたり、散歩をしたり、文章を書いたり、写真を撮りに行くことは多いけれど、そういう時に「ああ、寂しいなあ」と感じることはほとんど無い。むしろ、寂しさを感じるのは一人ぼっちでは無い時の方が多い。 「寂しさを感じる」というのは「疎外感」だと僕は思う。それは人と人との関係性の中で生まれるものだ。だから、他人との関係性が皆無な状況での活動、先に述べたひとりぼっちで文章を書いたり、写真を撮ったり、という他人が介在しない孤独の中に居る状況では「寂しさ」というのは生まれにくいんじゃないだろうか。しかし、何かの集まり、飲み会、パーティ、

    孤独。寂しさ。疎外感。退屈。 - K Diary
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