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教育と社会に関するUtori_Zのブックマーク (7)

  • 教員免許:国家資格化を検討 文科省が今年度中に方向性 - 毎日jp(毎日新聞)

    文部科学省は、都道府県が発行している教員免許について、医師などのように国家試験を経て取得する「国家資格」へ見直す検討を始める。教員の資質と能力の最低基準を国が保証し、信用を高める狙いがある。中央教育審議会(中教審)の特別部会に設置する有識者のワーキンググループ(WG)で実現の可能性を探り、今年度中に方向性をまとめる。 現行の教員免許は、小学校や中学校など学校種別に区分。学生が教育の基礎理論や教育実習の教職課程(小中高は59単位以上)を履修すると、都道府県教委から免許状が授与され、採用試験に合格すると教壇に立てる。 教職の単位認定は各校に任されているため、教育内容や履修の実態が見えにくい。さらに、08年度に小中高の教員免許を取得した学生らは計13万4470人(文科省調べ)に上ったが、09年度に教員に採用された新卒者は1万1951人(同)にとどまり、免許状の形骸化も進んでいる。国家資格になれば

  • センター入試とバカロレアに見る日仏の違い|フランスの日々

    今、フランスでは学生にとって大一番の勝負となる試験、バカロレアの試験が開催されています。この試験が日とだいぶ違っていて、面白いです。この違いが両国の国民性の違いを説明するのにも参考になるために、エントリとしてまとめておきます。一般的に、日人は機能性・効率性を重視し、短期の結果を最適化します。その効用の長期にわたった影響を考察するというような、現時点においては何の効用を生まない概念的な命題に重きを置かない傾向があります。フランス人は、現時点においては何の効用を生まない議論をすることを好み、現在、直面する問題が放置されることもあるように思います。 教育が国民性にどの程度の影響を与えているのかは分かりません。また、教育と特性のどちらが原因でどちらが結果なのかもはっきり分かりません。つまり最初に国民性があり、その国の教育の特性が生まれたのか、教育の特性が国民性に影響を与えているのか、分かりませ

    センター入試とバカロレアに見る日仏の違い|フランスの日々
    Utori_Z
    Utori_Z 2011/09/04
    受けてみたい |技術系"芸術作品を理解せずに愛することはできるか 私の幸福を法が決定しうるか カントのテキストを読んで設問にこたえよ" 科学系"アートはわれわれの現実意識を変えうるか ひとつの真実を確立するために
  • asahi.com(朝日新聞社):首都圏給食、おかずなし 工場損壊や食材不足・停電響く - 社会

    千葉市内では簡素化して給を続けている=同市中央区の蘇我小  東日大震災の影響で、給を取りやめたり、おかずのない給を出したりする小中学校が首都圏で相次いでいる。給センターや品工場が壊れたり、材不足や計画停電が響いたり。新入生を迎える4月になっても来の給に戻せない学校も出かねない。   ミルクロールパン一つと牛乳、オレンジ4分の1。千葉市中央区の市立蘇我小(児童884人)の16日の献立だ。あり合わせのマーガリンやグラニュー糖を調理室でつけてカロリーを保つ努力をしているが、それでも通常の7割程度という。  配膳中、6年3組の担任の鎌形真喜子教諭(29)は「被災地は大変な状況が続いています」と子どもたちに語りかけた。大森千尋さん(12)は「被災地の人たちのことを考えたら、すごくおいしく感じる」と話した。  千葉市内179の小中学校・特別支援学校では震災後、給からおかずが消えた。

    Utori_Z
    Utori_Z 2011/03/17
    bit.ly/f25AVFなどに見られるように2chでは"「被災地の人たちのことを考えたら、すごくおいしく感じる」"の発言を「メシウマ」というネットスラングの意味で言ったとも取れると少し話題になってるようななってないような。
  • No. 16 教育制度批判 その前に | WIRED VISION

    No. 16 教育制度批判 その前に 2008年3月 5日 社会 コメント: トラックバック (1) (これまでの 白田秀彰の「現実デバッグ」はこちら。) 前回までの一連の「アナキズム批判」。私の身近にいる学生さんや若い人たちの「諦めっぷり」に心底心配になって、つい書いてしまったジジイの繰言に過ぎなかったのだが、どうしたわけか、これまでの7.5倍程度のアクセスを集めてしまったようだ。大学の先生としての繁忙期である、1月半ばから2月半ばの穴埋め記事という要素もあったのだが、わからないものだ。やっぱり、構築的に連載を構成していくよりも、私の妄想暴走脳がおもむくままに書いたほうが、読者の皆さまに面白がっていただけるのかもしれない、と反省してみたりしました。 さて、No. 11の「法律解釈者」の次に教育問題について書くつもりだったので、ここから教育制度について書く。というか、すでに書いてロージナ茶

  • 動き始めたケータイ規制、果たして?

    来年1月1日より、小中学生の携帯所持規制を含む石川県の「いしかわ子ども総合条例」がスタートする。携帯所持規制というと大げさだが、実際には親の努力義務であり、強制力はない。また携帯電話販売店に対しても、小中学生には売らないようにといった指導もない。筆者も実際に石川県に飛んで取材も行なってきたが、さあ子どもからケータイを取り上げるぞといった雰囲気もない。 しかしいくら努力義務とはいえ、条例でそれを決めてしまったというのは重い話だ。勘違いして当に子どものケータイ狩りを行なう団体や、子どもたち同士のいじめが出現しないとも限らない。条例のお墨付きがあることで、それが正義だと思い込む可能性は、否定できないのである。 石川県の条例に関しては、その経緯も含めてまた改めて語るべき機会もあるだろう。今回は直接その話ではなく、その条例が投げかける影響について考察してみる。 石川県の条例を受けて、通信事業者らが

    動き始めたケータイ規制、果たして?
    Utori_Z
    Utori_Z 2009/12/11
    "埼玉県の方針は、フィルタリングの効力に対して妄信的に依存しており、まったくもって勉強不足であると言わざるを得ない。また学校・家庭でのリテラシー教育に対する施策もなく、さらには教育の成果測定も何もない"
  • ■ - いかたこ

    閉鎖空間かつコミュニケーションの重要性が高い場所で、いじめは発生する 結論からいえば、いじめを無くすためには、クラスメイトとコミュニケーションを取れなくすれば良いんですよ、極端な話。閉鎖空間かつコミュニケーションの重要性が高い場所で、いじめは発生するので。 最近高偏差値校のいじめの少なさについて語られる記事が多かったので、自分も中学・高校時代を思い出し考えていたが、なるほど上記の記事が核心をついているようです。 それをソーシャル・キャピタル論(社会学の社会関係資論のこと。いろいろな文脈で語られており、一化はされていない)のネットワークから考えてみようと思います。 基的には小学校・中学校は自分の住んでいる地域の学校に通いますよね。地元の学校に通わないのはお受験組みで、高偏差値校を目指している人たちです。地元の学校に通うということは、小中とメンバーが変わらず、さらに毎日同じ人たちと顔を合

    ■ - いかたこ
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