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lifeとhistoryに関するUtori_Zのブックマーク (2)

  • アンパンマンができるまで その1 - 愚仮面

    なんのために生まれて 何をして生きるのか これはアンパンマンのテーマソングであり、ぼくの人生のテーマソングである。 (やなせたかし 「アンパンマンの遺書」) 意外にやなせたかし先生の黒っぷりを知らない人が多いようなので、先生についての話でも書こうと思います。 やなせ先生の出身地は高知県は香北町の朴ノ木。今の香美市にあります。 先生の家庭環境は中々複雑です。 父は朝日新聞の特派記者で、先生が物心つくかつかぬかという頃に一人中国で客死。 体の弱い弟は親戚の伯父の元に養子として引き取られ、幼い頃は未亡人の母と父方の祖母との三人暮らし。 小さい頃から「弟さんはお母さん似でハンサムで快活なのに、お兄さんはお父さん似でおとなしいけど器量が悪いのね」と何度となく言われ、長じてからも弟はイケメンで柔道二段のスポーツマンで性格も良く、京都帝国大学に進学するほどの出来のよさ。一方自分は不器量で暗くてシャイでコ

    アンパンマンができるまで その1 - 愚仮面
    Utori_Z
    Utori_Z 2009/09/29
    アンパンマンの底に流れる重いものがどこから生まれてきたのか。 /01:26, 262th
  • 続・妄想的日常 生涯学習

    735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:20:23 ID:rj2QQT/X 立花家家臣小野鎮幸が加藤清正の家臣になっていたときのこと 清正と鎮幸が談笑していたが次第に清正が自虐トークを展開し出した 「ガキの頃から戦ばっかで読み書きなんてやる暇無かったよ。 おかげでいつも書状のやりとりが大変で大変で… 書状のやりとりに難が無い和泉(鎮幸)がうらやましいよ(´・ω・`)」 当時、叩き上げの武将が文盲なのは珍しくなかったが 清正のような大身にもなると書状のやりとりも多くなる その上読み書き出来ない奴は畜生以下と見られる風潮も存在していたため劣等感もあったのだろう 若い頃やっておけば良かったというのはいつの時代も変わらぬ嘆きである これを聞いた鎮幸は笑って 「いやいや、実は私も61歳までいろはのいの字も読めなかったんですよw 昔、朝鮮の陣の時に毛利から書状

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