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2010年8月9日のブックマーク (15件)

  • まとめよう、あつまろう - Togetter

    コミュニケーションが生まれるツイートまとめツール

    まとめよう、あつまろう - Togetter
    VoQn
    VoQn 2010/08/09
    インターネット拳法なら習って、暴力の時代を強く生き耐えていきたい
  • 転送中

    リダイレクトします 以前ここにあったブログは、現在 http://news.pineapple.cc/2010/07/2.html にあります。 リダイレクトしますか。

  • ブルーシートオフ@C78開催のお知らせ - 東京横浜オーケストラ

    やっぱりお金が無いのでコミケ会場付近にブルーシートを敷きます 適当に陣取ってますので適当にお立ち寄りください あと自作のDJmixCDも200円くらいで売るので買ってください C76の時はこんな感じでした 1.開催日時 −8月14日(土)14:00-17:00(コミケ2日目) ※適当に敷くので時間もわりと適当です ※開催状況はhttp://twitter.com/junkMAで随時報告します 2.場所 −有明西ふ頭公園(ビッグサイト西展示棟近接) 水上バス「東京ビッグサイト」乗船場から海沿いに歩いていくとビッグサイト側に緑道があるのでそこの更に奥の辺にいます ビッグサイト側の緑道風景はこんな感じです 3.諸注意 −雨天中止です −参加費は無料ですが、お菓子や飲み物、紙コップ等を持参して頂けると助かります −質問はhttp://twitter.com/junkMAにreplyかコメントへどう

    ブルーシートオフ@C78開催のお知らせ - 東京横浜オーケストラ
    VoQn
    VoQn 2010/08/09
    荒川智則の次の集会場か
  • Twitter(ツイッター)の「フォローのルール」の愚と品質悪化: 愛と苦悩の日記

    ツイッター(Twitter)はシステム的に全ユーザーのフォロー数を、初段階は2,000人までに制限している。それ以降は、フォロワーが増えないと制限値が上がらない仕組みになっている。 「フォローのルールと留意点」(ツイッター(Twitter)日語ヘルプブログ記事) しかし、そもそも2,000人もフォローしたら自分のタイムラインの流れが速くなり過ぎて、フォローしている全ユーザーのつぶやきを読むことはできない。 勝間和代著『つながる力』をレビューしたときにも書いたが、勝間和代のように1万人以上ものユーザーをフォローするのは完全に無意味。また、フォローされたらフォローし返すという「社交辞令」も完全に無意味。 まともにフォローもできない相手をフォローするのは失礼なだけだ。 もちろん勝間和代のように、フォローする側が「有名人」の場合は、事情が違ってくる。 フォローされる側は、つぶやきを読んでもらわ

    VoQn
    VoQn 2010/08/09
    followingが増えたら増えたなりに最適な見方ができるクライアントにすればいいだけだと思うし、十数人くらいでもどうせ真剣に読んでいないだろうしそういうものでもないだろう的な思い
  • 男の異業種転職ウェブメディア-OREPICA-

    男の異業種転職メディア「OREPICA(オレピカ)」は、未経験だけど今と異なる業界に転職を考えている人向けの転職情報メディアです。 「今と違う業界に転職したい」「自分のスキルで活躍できる業界はどこか」など、新しい未来へ踏み出すきっかけとなるメディアを目指します。

    男の異業種転職ウェブメディア-OREPICA-
    VoQn
    VoQn 2010/08/09
  • 転送中

    リダイレクトします 以前ここにあったブログは、現在 http://news.pineapple.cc/2010/07/blog-post.html にあります。 リダイレクトしますか。

  • Yコンビネータのまとめ - あどけない話

    不動点 関数 f :: a -> a に対して、f x == x となる x を「関数 f の不動点」という。 もし、関数 f を入力として取り、関数 f の不動点を返す関数 Y があるとすれば、関数 f の不動点を Y f と表現できる。 ここで、Y の型を調べる。引数 f の型は a -> a、Y は不動点を返すから返り値の型は a。よって、Y :: (a -> a) -> a となる。 不動点 x = Y f を f x == x に代入すると、Y f == f (Y f) となる。これを Haskell で実装すると、関数名に大文字が使えるとして、以下のようになる。 Y x = x (Y x) これを不動点コンビネータと呼ぶ。 再帰の例 再帰するときに自分の関数名を使わない階乗のプログラム fact を以下のように定義する。 fact :: Num a => (a -> a) ->

    Yコンビネータのまとめ - あどけない話
    VoQn
    VoQn 2010/08/09
  • アートの幻想 --- 4. 受動性のアート - ohnosakiko’s blog

    1. 資主義カルチャーとしてのアート 2. 消費としての芸術体験 3. 忘却による反復 4. 受動性のアート 今「アート活動を行う」とは、アートを更新していくことではない。それはもうあらかじめ、すべてを受容し差異化していくアートの中に書き込まれている。 そこはただのブラックホールである。 そういうものが、制度と市場で保護され、まだなにかあるかのような幻想を売っている。さまざまな媒体と傾向の作品がそれぞれ正当性を主張し合い、覇権争いをしている。その力関係=政治を決めるのは批評言説だが、それももうかつてのような効力を持たず、ただ多様性を追認していくのみである。 それでもアートがまだ何か「意味」を持つとしたら、この社会で誰も信じて疑わない価値観である「個人の幸福」の意味を書き換え、それによって世界を変えようと愚直に思考することだ。 この世界での「個人の幸福」とは、最終的には富と社会的地位を得る

    アートの幻想 --- 4. 受動性のアート - ohnosakiko’s blog
    VoQn
    VoQn 2010/08/09
  • アートの幻想 --- 3. 忘却による反復 - ohnosakiko’s blog

    1. 資主義カルチャーとしてのアート 2. 消費としての芸術体験 3. 忘却による反復 私が現代アートに興味を持ち続けてきた理由の一つは、それが自らを定義付けできないもの、あらゆる事象を受け入れ続けるものという点で、非常に特異だということだった。こんな妙な分野はないと思う。音楽や演劇、映画、文学でもかなり枠組みは広げられたが、現代アートほど「受容力」のあるジャンルは他に見当たらない。 アートの名の下に、絵画、彫刻といった伝統的な表現形式から身体、映像、音による表現まで、あらゆる試みが展開されている。そして芸術、アートというのは、クリエイティブなことだという認識が世の中にある。これを逆に見れば、そこでの営みのすべては、芸術、アートという「名」にあらかじめ保証されているということである。 つまり何をしようが芸術、アートだと言えば、自動的に何らかのクリエイティブなことをしてることになるのだ(そ

    アートの幻想 --- 3. 忘却による反復 - ohnosakiko’s blog
    VoQn
    VoQn 2010/08/09
  • アートの幻想 --- 2. 消費としての芸術体験 - ohnosakiko’s blog

    1.資主義カルチャーとしてのアート 2. 消費としての芸術体験 愛知県の豊田市美術館に、ヴォルフガング・ライプの展覧会を見に行った時の体験について書く。 ライプのそのインスタレーションは、長い時間をかけて彼が野山を歩き回り、さまざまな花から少しずつ採取した膨大な量の蜜や花粉によって作られていた。会場で私はその「匂い」に包まれ、作品のたたずまいの謙虚でセンシティブな美しさに素直に心を打たれた。 ライプの作品はよく、大量消費や自然破壊、過度な文明化への内省を促すものだと言われている。しかし、ライプの作品に感動しても、明日から質素な生活に切り替えようと思う人はいないだろう。もう車には乗るまいと思う人もいないだろう。自然保護の運動に参加しようと決意する人もいないだろう。 作品体験は、あくまで「受容体験」に留まるのだ。それは人の生き方を変え、今までとは異なる行動に促すところまではいかない。どれほ

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    VoQn
    VoQn 2010/08/09
  • アートの幻想 --- 1. 資本主義カルチャーとしてのアート - ohnosakiko’s blog

    10、デュシャン 現代芸術ってやったもの勝ちであることに早々に気づき、かつそれを自虐的に利用して「やったもの勝ち」の領域に堕すことの無かった奇才。以後の芸術家は、「美術史は第一世界大戦で終了しました」と言って憚らない自分の目から見れば、美術史が第一次世界大戦で終わらないことへの数少ない反証。 ちなみに、ポロックと悩んだ。でもポロックのやったことは、要素的な意味でピカソに吸収されうるな、と。そして、前述したようにそれはセザンヌに内包されて、結局セザンヌが始祖なんじゃないかと。ウォーホル?私はポップアートをアートと認めていないのであしからず。ポロック、ウォーホルへと続く現代芸術評価って、発展史観によって「作られた評価」にしか思えない。 nix in desertis:偉大なる画家十選より 現代アートはやったもの勝ち。美術史は第一次世界大戦で終了。それ以降のアートは発展史観による評価に依存。いや

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    VoQn
    VoQn 2010/08/09
  • 山中俊治の「デザインの骨格」 � 扇風機を改良したかったわけじゃなかったダイソン

    昨日行われた、ダイソンのデザインエンジニア Martin Peek 氏とのトークショーは、80席の会場に、百人近い人が参加してくれて立ち見の大盛況でした。印象に残ったMartin氏の発言をメモしておきます。 「アイデアを出すところから製品の出荷まで、一貫してひとりのデザインエンジニアが担当する。モデルを作ってばかりいればモデルのクオリティは上がるけれども、それでは当のイノベーションは起こせない。」 「デザインエンジニアは全員、いつもスケッチブックを持ち歩く。」 「とにかく、テスト、テスト、膨大な試作とテストを繰り返す」 「段ボールはいいモデル素材だ。加工しやすく、どこにでもある。」 「ダイソンは新卒を採用する。その柔軟さが必要だから。」 「DC8の主要部を設計したときは当に忙しかった。でも学生の時と同じだとも思った。ゼロから何もかも自分でやったから。日の人たちほど働いた訳じゃないけど

    VoQn
    VoQn 2010/08/09
    「デザインエンジニアは全員、いつもスケッチブックを持ち歩く。」
  • 第38回 ユーザ評価の落とし穴 | WIRED VISION

    第38回 ユーザ評価の落とし穴 2009年12月16日 (これまでの増井俊之の「界面潮流」はこちら) 人間が利用するシステムを作るときは必ずユーザ評価が必要です。開発の初期段階において客観的な他人の目で見てもらうことにより、問題を早期発見することができますし、全くスジが悪いようであれば最初から考え直すこともできます。少人数のテストユーザに評価してもらうことによって劇的に問題点が減ることが知られています。 完成したシステムについてもユーザ評価は重要です。新しいユーザインタフェースシステムを開発した研究者は、学会で論文を発表することによってそのシステムを世に広めるのが普通ですが、論文を発表するためには、識者による論文査読を通過する必要があります。新規でないシステムや有用でないシステムなど、発表する価値が無いシステムは査読の段階で問題点が指摘され、論文として発表されないようになっています。 この

    VoQn
    VoQn 2010/08/09
    ユーザー評価を過大評価しすぎていると、その枠から出るような新しいものは評価されないという事態を招く
  • 第39回 名前の効用 | WIRED VISION

    第39回 名前の効用 2010年1月13日 (これまでの増井俊之の「界面潮流」はこちら) 人間社会では、様々なものを識別するのに「名前」が利用されています。名前の無い人はいませんし、およそ人間が利用したり表現したりするものには名前がついており、様々なものを指定したり区別したりするのに利用されています。 ふだんの生活で名前はあまりにも当然のものとして利用されているため、計算機の利用やコミュニケーションにおいてもなんらかの名前を使うのが当然だと考えられていました。 通信相手を指定するには電話番号やメールアドレスのような名前が使われますし、データやWebページを指定するにはファイル名やURLのような名前が使われます。計算機の名前/プリンタの名前/アプリケーションの名前/...など、計算機で利用されるあらゆる対象は名前で区別されます。しかし、これらを扱うのに当に名前が必要なのか、実は疑問です。

    VoQn
    VoQn 2010/08/09
  • 荒川智則 Kill The CD star?

    VoQn
    VoQn 2010/08/09
    ア ホ