技術トピックス 「普代水門」が津波対策に効果を発揮しました。当社は、3月16日に震災対策本部を設置し東日本大震災の復旧、復興、再生に向けて全力で取り組んでいきます。 普代水門は岩手県下閉伊郡普代村を流れる普代川の河口(宇留部)に建設された防潮水門で、昭和48年度に岩手県の発注により当社が詳細設計を行った施設です。 平成23年3月11日14時46分に発生した「東北地方太平洋沖地震」では、水門機能が発揮され住宅地への津波の遡上を防止しました。 普代村では明治29年に発生した「明治三陸沖地震津波」で多くの犠牲者が出たことを踏まえ、それと同程度の津波から村を守れるように設計条件が決められました。想定された津波高は約15mであり、この高さが水門の天端高とされました。さらに、津波が水門に衝突すると重複波が生じ水位が上昇することを考慮し、その波高を21.6mとして設計を行いました。
東京都心に網の目のように張り巡らされ、1日約870万人が利用する地下鉄で、鉄道会社ですら想定していなかった“異変”が起きている。 乗り換え不要の「相互直通運転」が次々と実現。さらに、都心回帰の傾向で高層マンションや大型商業施設が増えた結果、利用客の流れが大きく変動。駅によっては、朝のラッシュ時に思わぬ混雑を招く結果となり、事故防止のためにやむを得ず通路を「一方通行」とする駅も出始めた。 ◆いったん改札外へ ラッシュのピークとなる午前8時過ぎ。東京メトロ丸ノ内線の新宿三丁目駅では、降車した利用客が列をなして上りエスカレーターに向かう。いったん改札を出た後、一部の利用客は再度、改札を通って副都心線ホームへ下っていく。 2008年6月開業の副都心線は、丸ノ内線ホームと直結する約25メートルの連絡通路があるが、幅は最大約4メートルと非常に狭い。東京メトロでは、副都心線が3月16日から東急東横線との
東京タワーの足元にある南極観測隊の15頭の樺太犬の像=10日、東京都港区芝公園 【中山由美】50年以上前、第1次南極観測隊に同行したタロ・ジロなど15頭の樺太犬をたたえて東京タワーの足元に建てた像が、周辺の改修工事のため15日から撤去されることになった。1958年にタワーができた翌年、日本動物愛護協会が建てたもの。協会は移転費用が工面できず頭を抱えている。 15頭は57年、1次隊とともに南極に入り、そりをひいて活躍した。だが翌58年2月、物資を運ぶ観測船が昭和基地にたどり着けず、観測隊は一人残らず引き揚げた。15頭は無人の基地に置き去りに。1年後、タロとジロの2頭だけが生きて見つかった。像はその年、協会が募金を呼びかけて製作。東京・渋谷駅前の忠犬ハチ公像を造った彫刻家、安藤士(たけし)が手がけた。 像の撤去が急に必要になったのは、2020年の東京五輪招致を応援するため、像の場所を使っ
都心から50キロ圏内にありながら、通勤圏外とされてきた神奈川県愛川町が、鉄道誘致に本格的に乗り出すことになった。 小田急多摩線の延伸を求める地元住民組織が13日発足する。1968年に公的な要望を出して以来45年。悲願達成に向け、官民挙げての機運が高まっている。 発足するのは、「愛川小田急多摩線延伸促進協議会」。13日に町立文化会館で設立総会が開催される。すでに昨年7月に準備会が出来ており、滝亀久男代表(愛川工業クラブ会長)ら役員がそのまま就任する見通しだ。 同県央の愛川町は、北に相模川、中央に中津川が流れ、西に宮ヶ瀬湖を抱える自然豊かな風光明媚(めいび)の地。昔から絹の産地として有名で、半原地区の撚糸(ねんし)はよく知られてきた。近年は県内最大の内陸工業団地の造成で物流の一大拠点となっている。都心まで50キロもない距離だ。 ところが、最大の悩みは鉄道が開通していないこと。地元・愛甲商工会の
東京大学の早野龍五教授らは9日、東京電力福島第1原子力発電所事故で漏れた放射性ヨウ素の大気中の濃度が最も高かった2011年3月14日深夜~15日深夜に、原発の20キロメートル圏内に最大で約2000人がいたとの推計結果を発表した。携帯電話に搭載された全地球測位システム(GPS)を基に、人数分布を割り出した。事故直後の住民の避難を巡っては、住民による聞き取り調査でしか特定できず、早野教授は「客観的
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く