それは、漫画というストーリーテリングのスタイル自体、小説はもちろん映画や他の表現手段に比べ新しいものであったこと、そして風刺漫画を除いた現代漫画の出発点の読者が子ども達であったことに対するコンプレックスに由来しているのではないでしょうか。現代漫画の潮流を気付いた手塚治虫は映画というメディアへの憧れを隠しませんでした。編集者や同業者への私信が登場するというのはそこに「大人」の存在を匂わすことでもあります。要するにそのことで漫画は何を目指したかというと、「物語るメディアとしての次数を高める」ということだったにちがいありません。劇画の誕生や、メタ漫画の発生もそのことと無関係ではないはずです。作者より目下である読者に対して、より高次元のものを提示する見栄、もしくは別の読者に評価されたいという作家性が漫画にもたらしたもののひとつがメタ手法だったのではないでしょうか。バクマンも当然そのようなもののひと
自分、アンケートはがき出しづらく感じることがたまにあります。 それは「よくなかった作品」が選べないから。 いやあだってね…。そりゃもちろん肌に合わない作品だって当然あるわけなんですが、「よくない」とは言いづらいですよ。 それで作家さん傷ついたらやだなあとか思いますし。 もっとも本当は「よくなかった作品」ということはそれだけ印象に残っているので、アンケートに全く書かれない作品よりはるかによいということらしいですが。 でもちょっとね。好きな雑誌だとなおのこと。ムリにマイナスを探したくない。 で、今回「つぼみ」のアンケート用紙をふっとみて、ああいいなーと。 「もう一歩だったお話」。 これは書きやすい! だって好きでしかたない作品でも、ここが惜しい、ここがもうちょっとこうだったら!というのを書けますし。 ムリに「よくなかった」とネガティブに捕らえないで済む。 「つぼみ」のアンケートはがきは3号から
常識的に寧々さんなのは間違いないけど,あえて冷静に「ラブプラス」について本気出して考えてみた 編集部:TAITAI 自分のゲーム人生とは一体なんだったのであろうか。 ※この画面は「マイクロソフト エイジ オブ エンパイア III」のものです 最近,そんなことをふと思うようになった。迫り来る敵を腕に抱えたライフルで撃ち殺し,ときには軍勢を率いて,幾多の敵国を滅ぼす。そんなゲームばかりを遊んできた。 ときにはネットを介し,世界の強敵達としのぎを削り,「F○ck」だとか「Su○k」だとかいう罵声を浴びながら,苛烈な勝負の世界に身を置いてきた。 とあるゲームに至っては,「天下に敵なし!」……そう思える時期さえあった。確かにあった。 ―――しかし,齢30を越えようかという頃から,集中力の衰えが隠せなくなった。「時間がない」を言い訳に,そうした自身の「ゲーマーとしての衰え」から目を背けずにはいられなか
宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)を読んで私が感じた最大の不満は、同著が90年代後半以降のサブカルチャー作品を多数採り上げ、漫画『DEATH NOTE』を新時代の「決断主義」を象徴的に描いた作品として詳しく取り扱いながら、同時期に漫画界のトップランナーであり続けた作品であり、『DEATH NOTE』と同じ『週刊少年ジャンプ』に連載されている『ONE PIECE』への言及を全くと言っていいほど含んでいないことであった。 当ブログではこれまで『DEATH NOTE』と『20世紀少年』を採り上げ、ともに正義にまつわる問題との関連で論じたことがある。両作品を比すと、前者よりも後者の方が思想的な重要性が大きく、内容もより複雑であったが、『ONE PIECE』は内容において両作品よりも遥かに明快でありながら、思想的には最も尖鋭な領域にまで踏み込んでおり、三作の中で最重要の作品と言って
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