哲学と弥生チェケラ!に関するYOWのブックマーク (12)

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  • kafka

    ●カフカ 読む。 1)テキストの説明 「審判」の説明 ー 訴訟、プロセス ー その9章で登場。他に田舎の医者という短編集の中で、「法の門前」という題名で再録されている。 永遠に上級審に至りつかない訴訟のプロセス。始まりも終わりもない訴訟。恥辱だけが残る。 この作品は、このプロセスを入子状に表現したもの。 2)いかにして読むか。 解釈の問題。解釈それ自体は絶望の表現である。 ー法の超越。内面性(なにもしない)。罪悪感。 ーオイディプス的解釈。父としての法。結婚という法(門番としての父。「判決」) ー官僚制 いずれにせよこれらさまざまな領域で同じ問題が生じていることは確認しておかなければならない。 カフカの批判:受動性。被告人も見ない。法を必然と受け入れる。虚偽が世界の法にされるわけだ、と言いながら、真実の世界をあばこうとはしない。 K-訴訟 男ー掟 (カフカ)ー法 読者ひとりひとり──テキス

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    YOW 2007/08/15
    道徳や慣習の被支配と同じ構造>主人公は法への侵入を「みずから禁じる」。法に従うのではなく、法に近づかないことを決心→ダブルバインド:法との関係を維持するには、法と関わってはならない。法そのものがタブー
  • 「合法」な生存と「不法」な生存、「生存空間の分配」と民族

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    YOW 2007/04/13
    >例外状態と強制収容所:「収容所とは、例外状態が規範そのものになり始める時に開かれる空間の事」/今や「生」が国民国家の中に記入される原則は解体と漂流の過程に(※国家がではない:錯乱した規範的定義
  • 後期ウィトゲンシュタイン「哲学探究」#3 規則に従う - 知識の積み木 - 楽天ブログ(Blog)

    クリプキ批判と「規則に従う」の発見 しかしクリプキの主張をみてみると、§201の後半をまるまる無視していることが分かる。それを見てみるとクリプキが言及するような懐疑論的パラドックスや懐疑論的解決など主張しておらず、逆にウィトゲンシュタインは明確にそのパラドックスは「誤解」を基としていると言い、その考えを排除している。 ・しかし「此処には、一致も不一致も存在しない」と言うとすれば、そこには、ある誤解がある。このことは、我々はその思考過程において解釈に次ぐ解釈をしていると言うことの中に、すでに示されている。このことを通して我々が示すことは、こうである:規則のある把握があるが、それは、規則の解釈ではなく、規則のその都度の適用において我々が「規則に従う」といい「規則に反する」と言うことの中に現れるものである。(§201) このようにクリプキが言うパラドックスやそれの解決方などはウィトゲ

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    YOW 2007/04/06
    >「とある規則のとある把握」それは規則の解釈ではなく、規則に従うor反すると言う中で現れる:「規則に従う」自体が正当化抜きで存在←ある普遍的な規則が人間を導くのでなく、言語ゲームの原規則(メタ規則)が存在
  • 後期ウィトゲンシュタイン「哲学探究」#2 クリプキのウィトゲンシュタイン - 知識の積み木 - 楽天ブログ(Blog)

    ウィトゲンシュタインのパラドックス (クリプキによる解釈)  懐疑論的問題(Sceptical problem) ウィトゲンシュタインは(§185)においてある奇妙な数列の問題を提示する。ある教師が2,4,6,8…という数列を教えていた。しかしある生徒が100を超えてから、98,100,104,108…という法則と異なった数列を言い出した。この例が示すことは、この生徒に彼の誤りを言葉で説明できないということである。生徒にとっては上記の数列が「自然」であり「規則的」なのである。我々が98,100,102,104…という数列を自然であると感じるのと同じように生徒も98,100,104,108…という数列が「自然」なのであり、その状態を自然に感じ何の疑問も抱いていない。また、教師は自分に対して生徒が間違っていること を説明できない。我々は100+2=102であるという確信をもつが、その確

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    YOW 2007/04/06
    「<法>規範の承認のされ方」に関連>ex.「意味を理解してれば→言葉を正しく使う」対偶「言葉を誤って使う→意味理解していず」に転倒、審査される:この懐疑論的問題について
  • 『ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2』 - logical cypher scape2

    この記事の目次 外観 装丁や文体(?)に関して 全体要約 書の全体について 「メタリアルフィクションの誕生」との比較 書のもとになった連載記事との比較。特に、削除されてしまった柄谷行人に関する議論について 大塚英志 書と大塚英志の関係 コミュニケーション 書と宮台真司の関係 自然主義的読解と環境分析的読解あるいはポップ文学とメタリアルフィクション 書と仲俣暁生の関係、並びに阿部和重を環境分析的読解する試み メタ物語的な詐術とセカイ系と青春小説オタク」の生を肯定するか否か、あるいはポストモダンの実存文学としてのメタリアル青春小説?? 自分の考えとの接合 個人的なメモに近いが、自分の理論と書の関係 「限界小説書評」「小説の環境」 書に関係する、若手の評論の紹介 外観 書の内容について入る前に、いくつか。 講談社現代新書はリニューアルに伴って明らかに装丁が悪くなったが、書の

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    YOW 2007/03/26
    >「大きな物語」の消滅と言う時、例えばそれは宗教そのものの消滅や変質を指すのではなく、宗教に関するコミュニケーションの変質を指す。<正しいよー。つまり>「大きな物語」の失墜は、メタ物語が顕在化した為。
  • 演習IIA・IIB 02 東浩紀・大澤真幸『自由を考える — 9・11以降の現代思想』(1)

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    YOW 2007/03/23
    >権力の二つのタイプ「近代的な権力」の特徴(1.規律訓練型権力:人間の主観的内面に「自己規制する主体」形成(ex.学校)2.生権力:人間に生きかたを強制する権力→このうち生権力が突出、 環境管理型権力 となった
  • 市民概念に関する一考察 (小野紀明)

    西洋政治思想史においてポリスの市民は常に理想的な政治的人間像として描かれてきた。その源泉は名高いペリクレスの『葬送演説』に求められる。この演説は、西洋の輝かしい民主主義を支えるべき人間像を提示したものとして典範としての位置を占めている。自らは貴族の出自でありながらも、ペリクレスは台頭しつつある平民に政治参加への道を開く制度改革を敢行し、アテナイ民主制の黄金時代を築いたのである(1)。確かにそこには今に至るまで民主主義の基的理念として保持されている幾つかの考え方が提示されている。第一に、法の下の平等(isonomia)と民会で自由に発言する権利(isegoria)が保証されていること。「わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる(2)。」第二に、市民権を獲得さえすればその出身の如何に関わらず平等であること。「われらは何人にたいしてもポリス

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    YOW 2007/02/18
    思想史概説。ギリシャのポリス概念〜ルネッサンス市民社会(:哲学は両者を自然と人為・法の対概念の関係を議論したが、両者の一致こそ法的共同体たる国家の正当性保証すると考える)〜ニーチェ以降の市民社会批判
  • Dialog 第3回研究会(2003/02/18)

    home concept activities member newsletter record COE top 3rd Meeting / 第3回研究会 証言から歴史へ - 対話の臨界に立って -(1) 杉村 靖彦 (文学研究科 宗教学専修 助教授) われわれの研究課題は「新たな対話的探求の論理の構築」となっている。だが、この題目自体が、われわれが直ちにこの構築作業へと着手するわけにはいかないことを示している。なぜ、現実に対話を実行しようと努める前に、「新たな対話的探求の論理」を求めなければならないのか。すでに行われている対話をより効率よく進めるための方法論が求められているにすぎないならば、「新たな」という形容詞はきわめて軽いものになってしまうであろう。「新たな対話的探求の論理」が問われるということは、そもそもこれまで考えられてきた「対話」なるものが根的に問題をはらんでいるということで

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    YOW 2006/11/03
    >歴史を語る事の「哲学」←絶対的な他者論(理解共有不可な他者)とは正反対の営みでは∵連続性と全体性で捉える営み/ホロコースト等被害の「証言」が「語り得ぬもの」である故に他者性とみなされ貶められる現象
  • 案ずるより生むが易し: ubicast Bloggerではじめる複数ブログ運営

    AFTERTOUCH surreal SxGx maniac cinema&book; review *めぐりあうたびに溺れて 見失うたびに胸焦がしてた* InverseDiaryFunction SxGx キェェェェ N山家の人々 Dairy ☆質問ダイアリー☆ ネタ帖 むらみぃ 世の中とあたしの繋がり GOOBERS ++今日のechiko++ ロストマインドガール * mayumi blog * モウソウtagebuch 読書感想日記☆ネタバレ注意警報! 癌と煙草と酒と 俺の道 toro's blog. ++ torog ++ ココアシガレット・アンダーグラウンド Deportare gorf net AFTERTOUCH surreal 2ちゃんねるの超怖い話 maniac cinema&book; review CARLTON1976 平凡な日々 秘密のホンネ ゴリラ秘話。 L

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    YOW 2006/08/12
    >国家必要論が述べるのとは反対に、国家とは「他のエージェントの暴力行使」という非合法を抑えるのに必要だから、存在しているのではない。暴力をめぐるヘゲモニー争いの帰結として、国家は存在しているのだ
  • 「ラカンと社会学/(4)交換経済の前提をなす欲望の二重性について──象徴界の起源モデルの考え方」(PDF)

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    YOW 2006/04/19
    中野昌宏氏 >貨幣の起原モデル -"マルクス・モデル":直接交換可能性の「自己準拠」
  • <公共性>その困難と可能条件  (大澤真幸)

    1 公共性の二つの構成要素 ① フセインの口の中を調べることについてのジョーク ② 公共性の二つの構成要素 自由と開放性 自由が出現したのは・・・・・・彼らが「挑戦者」となり、自らイニシアティヴをとり、そのことによってそれと知ることも気づくこともなしに、自由が姿を現わすことができる公共的を彼らの間に創造し始めたからである。「私たちが一緒に事をとるたびに自由は席に招かれている。椅子は空いたままだが席はもうけてある」(Arendt) ジャングルの中に熊(説得不能な他者、ならず者国家)が跋扈していると想定している者(米)は、銃を持ち、熊と出会ってしまったときには、実際に戦うだろう。だが、ナイフしかもたない者(欧)は、熊と対面することを恐れるだろう。そして、熊などごくわずかしかいないと主張することだろう。果ては、熊の存在そのものを否認しさえするだろう。 アメリカの軍事力によってヨーロッパの内外

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    YOW 2005/11/19
    >その他者がホモ・サケルであった場合には、心置きなく、殺すことができるだろうか?
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