哲学に関するYOWのブックマーク (260)

  • 降る星 - short hope

    Werner Hamacher, Afformative, Strike: Benjamin’s ‘Critique of Violence’。いろいろ妄想を招き寄せてとても触発的。ベンヤミン「暴力批判論」をおもに扱って、行為とは言語的であると同時に政治的でもあるという角度から、純粋な暴力(神的暴力)=目的なき手段=純粋な媒介=正義の単独性という一連の概念をメシアニズム抜きで接続しつつ、「暴力批判論」におけるゼネストを言語行為論に転じて、「アフォーマティヴ」という鍵概念を練り上げる。法の外部からその批判=限界を導くのではなく、法を支える条件でありながらその成就を宙に吊る力を「アフォーマティヴ」の語によって指し示す。権力としての法に対する不服従の契機をいかに理論化するか、という話にもつながるのだろうけれど、そもそも言語行為論の構えにはパフォーマティヴィティを受動性として捉える発想があるように

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    YOW 2008/12/17
    >デュシャン《L.H.O.O.Q》:自我の一貫性を抹消する否定的契機をつうじて、はじめて別の了解可能性へと開かれる。髭を加えられ、そののち剃られるという変容によって。
  • まさかのフーコーVSチョムスキー1‐ニコニコ動画(夏)

    フランスの哲学者ミシェル・フーコーと、アメリカ言語学者ノーム・チョムスキーとの一騎打ち。ニコニコ動画とは思えぬレベルの高さ。そもそも日語ねえしw これが理解できた奴は死亡。ニコニコ思想家シリーズmylist/2169722

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    YOW 2008/12/16
    「ファンダメンタルなヒューマン・ネイチャーのエレメントが〜」とか言ってる。
  • ニコニコ動画(RC)‐まさかのフーコーVSチョムスキー2

    その2です。

    YOW
    YOW 2008/12/16
    via.eculusさん 
  • これから美学を学ぼうと思う人へ、そして自らのためにも―美学主要文献(第1回) - 死に舞

    人と会話していて「美学に関する入門書はない?」とか「芸術の存在論に関する入門書はない?」とか聞かれる機会が多いので、この際、自分のためにもこのようなエントリーをまとめてみます。 まず断っておくこととして、以下にあげる「美学」とは主に英米系の美学です。一般的に「分析美学」という呼称を用いられていることはありますが、私はこの名称に違和感を持っています。というのは、たしかに現在の英米哲学は分析哲学の伝統の元に成り立っていますが、今では分析哲学という言葉はあまり使わないです。それぞれの分野に特化したこともあり、言語哲学、科学哲学、心の哲学、分析形而上学といった呼称を使うようになってます。美学もそれは同じで、音楽の哲学、芸術の哲学、環境美学、日常の美学などさまざまな領域があり、それらを「分析美学」と呼ぶのはためらってしまいます。もちろん、なんらかの具体的な対象を設定しない、それこそ美学、とでも呼ぶも

    これから美学を学ぼうと思う人へ、そして自らのためにも―美学主要文献(第1回) - 死に舞
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    YOW 2008/12/15
    >分析以降の英米美学の主要論文集「Aesthetics and Philosophy of Art: The Analytic Tradition : An Anthology (Blackwell Philosophy Anthologies)」Peter Lamarque Stein Haugom Olsen
  • 論理哲学論考

    *   *   *   *   *   *   * 訳者より ヴィトゲンシュタインは論理哲学論考の文のはじめに次のような註を附している。 各文の番号としての小数は、当の文の論理的重要度、私の叙述においてその文に置かれているアクセントを示唆する。文 n.1、n.2、n.3 等々は No. n の文への註であり、n.m1、n.m2 等々は No. n.m の文への註、以下同様。 これに従って原文の一部とオグデンによる英訳全篇をハイパーテクスト化して公開しているサイト(www.kfs.org/~jonathan/witt)があるが、それを真似て日語版をつくってみた。(なお、原文全篇をハイパーテクスト化して公開しているサイト(tractatus.hochholzer.info)もある。) 翻訳に際しては、edition suhrkamp の Tractatus logico-philosoph

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    YOW 2008/12/08
    翻訳: 大熊康彦>トートロジーとコントラディクションは現実の像ではない。それらは何の可能な状況も表わさない。トートロジーはあらゆる可能な状況を許容し、コントラディクションはひとつも許容しないのだから。
  • 意味と意義について

    相等性(1)は、それに結びついたそう簡単には答えられない問いによって、熟考を招き寄せる。それは何らかの関係なのか? 対象間の関係なのか、それとも対象の名称ないしは記号の間の? 私の概念記法においては、このうちの最後だと私は考えた。それを支持するように見える根拠というのは次の通りだ。a = a と a = b は明らかに相異なる認識価値〔Erkenntniswert〕をもつ文だ。a = a はアプリオリに成り立ち、カントによれば分析的と呼ばれ得る一方、a = b という形式の文は、しばしば我々の認識の非常に有益な拡張を伴い、アプリオリにいつでも根拠づけられ得る訳ではないのだから。毎朝ひとつづつ新しい太陽が昇るのではなく、いつも同じだということは、天文学における最も豊饒な発見のひとつだったのであり、今日においても、小惑星や彗星の再認はいつでも自明のことという訳ではない。ところが、相等性を名称「

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    YOW 2008/12/08
    あとでよむ/ゴットロープ・フレーゲ
  • 三浦俊彦『虚構世界の存在論』 - logical cypher scape2

    分析哲学のアプローチによる虚構世界論。 と言われたところで、ほとんどの人には何のことかさっぱり分からないだろうが、問題設定自体はそれほど難しくない。 哲学には分析哲学と呼ばれるジャンルがある。 このジャンルは、もともと言語哲学というところから端を発しており、文が何を意味しているのか(真か偽か)を明らかにすることを目的の一つとしている。 そんな分析哲学、言語哲学にとって、厄介な文がある。 「シャーロック・ホームズの背中にはホクロがある。」 多分、コナン・ドイルのホームズをどれだけ読んだところで、この文が真か偽か分からないだろう ところで、この文は以下の文とは異なることに注意しよう。 「坂龍馬の背中にはホクロがある。」 やっぱり坂龍馬の伝記をどれだけ読んだところで、多分真か偽かは分からない。 しかし、坂龍馬に関していえば、彼の背中にはホクロがあったかなかったかどちらかである、ということは

    三浦俊彦『虚構世界の存在論』 - logical cypher scape2
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    YOW 2008/12/07
    >虚構世界とは現実世界と最も近い最小離脱世界であるとの考えから、虚構世界も論理的に閉鎖しており且つ矛盾は認められないとの結論。強い矛盾を認めてしまうと任意の命題全てが真になってしまう。/諸説概観
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

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    YOW 2008/12/07
  • 東スレ181 東浩紀×浅田彰@京都造形芸術大学 レポ - 東

    181 :京都造形 [↓] :2008/10/15(水) 01:58:02 0 [PC] 浅田彰との対談のレポってないの? めちゃおもしろかったんだけど。 「動物化と社会契約」って題名。ひさしぶりに浅田さんの早口がきけて嬉しい っていってたけど、東のほうが早口だった。 規律訓練と環境管理、みたいなお決まりの話のあと、それをルソーと繋げる。 一般意思っていうのは全体意思と区別され、別に表明されなくても成立する。 だから引きこもりでもok。 エクリチュールがごろっところがってるのと同じイメージ。 だからデリダ論の貯金が生きる、このテーマで講談社から出すとのこと。 そのあと浅田の質問。 188 :京都造形 [↓] :2008/10/15(水) 02:14:20 0 [PC] 動物の分際で承認を求めるやつらの問題は解決できるの?みたいな。 それはアノマリーで承認の問題を解決できた社会はないし、承認

    東スレ181 東浩紀×浅田彰@京都造形芸術大学 レポ - 東
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    YOW 2008/11/30
    >現代の美術は制度に寄生してる、みたいな話がありました。<寄生してますね。
  • [哲学っぽいメモ] 論理とは何か? と、論理のほかに必要なもの - mzsmsの雑記

    論理とは何か? という前に、「それは非論理的だ!」という非難について考えてみよう。 何らかの主張に対して、それが非論理的だという非難は頻繁に行われるが*1、非論理的だという非難の正当だと思える使い方には二つある。一つは、ある主張が矛盾を起こしているとき、その矛盾を指摘して、それは非論理的だと非難することは正当だろう。もう一つが、ある主張が論理的に妥当な推論を行っていない場合、それは非論理的だと非難することは正しくはある。 後者、つまり、ある主張が論理的に妥当な推論を行っていないことを非論理的と非難する場合、これは前述のとおり正しくはあるが、極めて限定された場合以外は、あまり役に立つ非難ではない。というのは、全面的に論理的に妥当な推論など論理学の演習問題以外では求められていないだろうし、論理学の演習問題以外ではほとんど役に立たないだろうからだ。 もちろん、どのような分野であっても、部分的に論

    [哲学っぽいメモ] 論理とは何か? と、論理のほかに必要なもの - mzsmsの雑記
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    YOW 2008/11/18
    規範の問題>意外と、「視野の適切な広さ」という制約は強力ではないか。/数理論理学の体系としては矛盾許容論理という論理体系も存在し、その中では自己矛盾する主張をしても良い。
  • left over junk

    2008-04-05 optical_frog 2008-04-05 通りすがり 2009-02-11 optical_frog 2009-02-11 @minorimironim 2009-02-11 @minorimironim 2012-06-02 optical_frog 2012-06-02 toohuudoo 2009-02-11 optical_frog 2009-02-11 dh 2012-12-31 optical_frog 2012-12-31 ponchi 2012-12-31 optical_frog

  • ジャッケンドフ「意図と意志的動作」を訳読してみよう (2):§8.2 - left over junk

    2008-04-05 optical_frog 2008-04-05 通りすがり 2009-02-11 optical_frog 2009-02-11 @minorimironim 2009-02-11 @minorimironim 2012-06-02 optical_frog 2012-06-02 toohuudoo 2009-02-11 optical_frog 2009-02-11 dh 2012-12-31 optical_frog 2012-12-31 ponchi 2012-12-31 optical_frog

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    YOW 2008/11/07
    の参照。>「出来事」や「動作」はより上位の階層である「状況」に属している.出来事は「起こる」(happen) が状態はそうでないという事。〈行為者〉は別にに意図的でなくても・意図的に動作する能力がなくてもいい .
  • 現代の普遍論争の概念的枠組みを考える - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    的にネット上で手に入る学術的な資料ばかりから判断してるので注意 現代の普遍論争について調べてみて困ったことは、学者によって概論的な見解があまりに異なることだ。心の哲学における心身問題の扱いが教科書的に比較的整理されているのに比べると、形而上学における普遍問題の扱いはうまく整理されていない。もちろん基となる概念や文献はあるのだけれど、それをまとめる段になると意見が一致しない。例えば、D.M.アームストロングは普遍説とトロープ説を排他的に対立させて考えている。しかしア−ムストロング自身が認めているように、普遍とトロープを両立させている哲学者は存在する。それに対して、アームストロングはオッカムの剃刀を振り回して、余計な概念の共存を一切認めない。しかし、どうもこれは偏った見解に思えてならない。 現在の普遍論争でよく知られている問題として束説と基体説の対立がある。中立的な言葉である性質を用いて

    現代の普遍論争の概念的枠組みを考える - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
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    YOW 2008/11/02
    >「普遍説とトロープ説の対立」と「束説と基体説の対立」とは独立しているかのように扱われていたが、そ実は問題があるかも?オッカムの剃刀を振り回して普遍説とトロープ説を切り分けるのは乱暴で、哲学史の無視だ
  • 「空がなぜ青いか」には応えていきたい  BLUE ON BLUE(XPD SIDE)

    ここのところ、個人的にせわしない日々が続き、はてなハイクとついったーで散発的な文章を書くだけの日々が続いていたけど、久しぶりにまとまった文章がたまったので、蔵出しなどしてみる。 ついったからの蔵出し、改稿。 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20081013/p1を読んでの感想。 ジジェク云うところの「子供が親に「空はなぜ青いの?」と問うのはそれに応えられない/それに対して何もできない親の無力を糾弾しているのだ」という例えについて。そこで「俺は糾弾されている!」と受け止めて「空が青くて悪いか!」とか云ってしまう親は親失格なのではないか普通に。そこはきちんと応えるか、子供に向き合って対話の中に彼なりの答を見出すように導くか、あるいは「彼の問いに秘められた糾弾を暴きだしその正当/不当を自他に問う」べきではないだろうか。 で、その例を引き合いに出したhokusyu氏のエ

    「空がなぜ青いか」には応えていきたい  BLUE ON BLUE(XPD SIDE)
    YOW
    YOW 2008/10/14
    本は今度確認。http://twitter.com/YOW_iroha/statuses/958787373/ジジェクのパターンだと、「空はなぜ青いか」ガチで答えを出そうとすると青くなくなる、という話だと思う。
  • Amazon.co.jp: 普遍論争 近代の源流としての: 山内志朗: 本

    Amazon.co.jp: 普遍論争 近代の源流としての: 山内志朗: 本
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    YOW 2008/10/09
    山内志朗著 via.contractioさん
  • 自閉症の現象学 - 泣きやむまで 泣くといい

    自閉症の現象学 作者: 村上靖彦出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2008/05/26メディア: 単行購入: 3人 クリック: 40回この商品を含むブログ (15件) を見る 読了。こんな小難しいを一気に読めたのだから、まだどこかに前向きさは残っているのかもしれない。 たくさん売られている「自閉症支援マニュアル」と比べればかなりとっつきにくいが、使い方によっては、意外と実践的な内容と言えるかもしれない。「自閉症の障害特性は・・・」と説明するよりも、「この子には、こんなふうに世界が体験されている」と説明できたほうが有効な場面というのがある。コミュニケーション、社会性、想像力、感覚過敏・・・などと特性を箇条書きするよりも、定型発達の過程との比較で示せたほうが理解を促しやすい場面もある。著者は「定型発達との比較を通して考察したために否定を媒介して自閉症を記述することになってしまった」と

    自閉症の現象学 - 泣きやむまで 泣くといい
    YOW
    YOW 2008/10/06
    >内面性のメディアとしての身体という制度・錯覚は、それを基して定型発達の社会が構成されてる単位。道具。それ故に定型発達が多数を占める社会で「錯覚」共有できないとコミュニケーションが難しくなってしまう。
  • 認識論理 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年12月) 認識論理(にんしきろんり、英: Epistemic logic)は、様相論理の一種であり、知識についての推論を扱う。認識論は古代ギリシアにまで遡る哲学の主題の1つだが、認識論理は比較的最近のもので、哲学、理論計算機科学、人工知能経済学言語学など多数の分野に応用されている。アリストテレス以来、哲学者は様相論理を論じ、オッカムやドゥンス・スコトゥスがそれを発展させてきたが、認識論理を初めて体系的に定式化したのは C.I. Lewis であった(1912年)。その後発展していき、1963年にソール・クリプキによって今の形式が完成された。 1950年代には知識を扱う論理体系に関する論文が多数書か

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    YOW 2008/08/25
    >様相論理の一種で知識についての推論扱う>標準可能世界、統語論(どのエージェントの知識を扱っているか示す作用素「という事が既知である」)、意味論、知識一般化規則(〜が妥当なら〜が成り立つ、属性導出)
  • 柄谷行人【建築の不純さ】

    私は建築家でもないし、建築の理論家でもない。しかし、私が建築に関心をもつのは、プラトンが言ったように、建築家がテクネーの首領であり根元であるからというのではない。私が関心を持つのは、さしあたって言えば、それがあらゆる芸術の領域において、最も不純だからである。たぶんそれに匹敵するのは映画であろう。正確に言えば、それらが特別に不純なのではなく、他の領域のように不純さを隠すことが困難だからである。 建築は、その最もありふれた家屋の建築から、国家的・宗教的なモニュメントや都市計画にいたるまで、政治的・経済的な次元と結びついている。それは実際的な生活の必要に根ざしていて、且つ美的である。つまり、さまざまな次元がそこに輻輳している。われわれはそこから、たとえば美学的次元だけを純粋に取り出すことができない。それが美術との大きな違いである。もちろん、美術が純粋なのではなく、美術においてはあたかもそのような

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    YOW 2008/07/26
    >芸術のための芸術という形態:商品の世界では、諸物の差異(使用価値)に対し「無関心」のような態度と、「利益」のみが関心へ。←カント:芸術をそうあらしめるのは他の諸関心を括弧にいれる主観的能動性にある
  • http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/03/gr/jd/derrida01.htm%20%20%20%20%20%20%20%20%20%20%20%20%20%20%20%20%20%20%20%20%0D%0A%0D%0Ahttp://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/03/gr/jd/derrida01.htm

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    YOW 2008/07/23
    via.n-291氏>絵画で真理を生ぜしめる〔場所を与える〕為に切り開くべき1つの空間が残ってる。内部にでも外部でもなくそれは己れの空間を空間化する:枠を嵌められるがままになる事はないが、枠の外にありもしない。
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    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    YOW 2008/07/22
    >フーコー、ヘラー、アガンベンにとっても試しながら探求の段階であり、教科書的記述に落ち着く段階にない。19世紀思想史を想起しながら、現在の問題圏での使い勝手試してそこからどんな成果出せるか予断も許さない