科学と論理学に関するYOWのブックマーク (6)

  • 主観確率 - Wikipedia

    主観確率(しゅかんかくりつ、英: subjective probability)は、客観確率に対比される概念。この両者は確率の哲学的解釈における二つの主要な選択肢である。主観的確率の考え方は1920年代から1930年代ごろにフランク・ラムゼイやブルーノ・デ・フィネッティらによって導入された。 客観確率とは、世界の中に存在する頻度や傾向性など、我々の主観によらず存在するものとしての確率を指す。客観確率は実験または理論的考察(思考実験)から求められ、客観的な観測結果と比較できるランダムな事象についての確率である。 主観確率とは、人間が考える主観的な信念あるいは信頼の度合(客観的には求められない)をいう。たとえば「かつて火星に生命が存在した確率」という言葉は、主観確率の考え方からは、「かつて火星に生命が存在したと信じる信念の度合い」と同値である。 数学における確率論はもともと客観確率を基にしたも

  • 自然主義的誤謬 - Wikipedia

    自然だから良い、正しい(あるいは不自然だから悪い、間違っている)という主張については「自然に訴える論証」をご覧ください。 この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2022年1月) 自然主義的誤謬(しぜんしゅぎてきごびゅう、英語: Naturalistic fallacy)とは、メタ倫理学において、善を快いとか好ましいといった自然的性質で還元的に説明することは誤りであるという主張である[1]。この用語は、イギリスの哲学者G・E・ムーアが1903年に出版した著書『倫理学原理』の中で初めて用いられた[1]。 『倫理学原理』のタイトルページ 20世紀初頭に G. E. ムーア が著書『倫理学原理』の中でこの言葉を導入した。 ムーアは、哲学的議論は、ある特定の

    YOW
    YOW 2013/04/20
    「この概念を武器に、ムーアはスペンサーの進化倫理学やジョン・スチュアート・ミルの功利主義(以上は自然主義的倫理の例)カントの倫理学(これは形而上学的倫理の例)などを批判」
  • 有限オートマトン - Wikipedia

    オートマトン理論 有限オートマトン(ゆうげんオートマトン、英: finite automaton)または有限状態機械(ゆうげんじょうたいきかい、()英: finite state machine, FSM)とは、有限個の状態と遷移と動作の組み合わせからなる数学的に抽象化された「ふるまいのモデル」である。デジタル回路やプログラムの設計で使われることがあり、ある一連の状態をとったときどのように論理が流れるかを調べることができる。有限個の「状態」のうち1つの状態をとる。ある時点では1つの状態しかとらず、それをその時点の「現在状態」と呼ぶ。何らかのイベントや条件によってある状態から別の状態へと移行し、それを「遷移」と呼ぶ。それぞれの現在状態から遷移しうる状態と、遷移のきっかけとなる条件を列挙することで定義される。 有限オートマトンは様々な問題に応用でき、半導体設計の自動化、通信プロトコル設計、構文

    有限オートマトン - Wikipedia
    YOW
    YOW 2010/01/30
    >有限個の状態と遷移と動作の組み合わせからなる「ふるまいのモデル」
  • [哲学っぽいメモ] 論理とは何か? と、論理のほかに必要なもの - mzsmsの雑記

    論理とは何か? という前に、「それは非論理的だ!」という非難について考えてみよう。 何らかの主張に対して、それが非論理的だという非難は頻繁に行われるが*1、非論理的だという非難の正当だと思える使い方には二つある。一つは、ある主張が矛盾を起こしているとき、その矛盾を指摘して、それは非論理的だと非難することは正当だろう。もう一つが、ある主張が論理的に妥当な推論を行っていない場合、それは非論理的だと非難することは正しくはある。 後者、つまり、ある主張が論理的に妥当な推論を行っていないことを非論理的と非難する場合、これは前述のとおり正しくはあるが、極めて限定された場合以外は、あまり役に立つ非難ではない。というのは、全面的に論理的に妥当な推論など論理学の演習問題以外では求められていないだろうし、論理学の演習問題以外ではほとんど役に立たないだろうからだ。 もちろん、どのような分野であっても、部分的に論

    [哲学っぽいメモ] 論理とは何か? と、論理のほかに必要なもの - mzsmsの雑記
    YOW
    YOW 2008/11/18
    規範の問題>意外と、「視野の適切な広さ」という制約は強力ではないか。/数理論理学の体系としては矛盾許容論理という論理体系も存在し、その中では自己矛盾する主張をしても良い。
  • 「ホーリズム」の擁護 -野家啓一(東北大学)

    1.ホーリズムと新科学哲学 日は「日ポパー哲学研究会」の集まりですが、この講演では、ポパーの批判的合理主義とは見解を異にする新科学哲学の潮流を「ホーリズム」という観点から捉え直し、その立場を擁護したいと考えています。新科学哲学 (New Philosophy of Science) とは一九五〇年代末から六〇年代初頭にかけて論理実証主義の公認学説に反旗を翻して登場した一群の科学哲学者の思想を指しています。具体的な人名と著作を挙げれば、N.ハンソン『科学的発見のパターン』(1958)、M.ポラニー『個人的知識』(1958)、S.トゥールミン『予見と理解』(1961)、T.クーン『科学革命の構造』(1962)、P.ファイヤアーベント「説明・還元・経験主義」(1962)といったところが代表的なものです。彼らに共通するのは、後期ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」論とクワインの「認識論的ホーリ

    YOW
    YOW 2007/09/17
    >反証例が見つかった場合の対処の仕方:いわゆる「蜥蜴の尻尾切り」でクワインは体系全体の「再調整」と呼んだ。その尻尾には論理法則も含まれるという。「デュエム=クワイン・テーゼ」
  • zombi.htm

    ゾンビは論理的可能性ですらないか? ------チャルマーズに対するpros and cons------                                      柴田正良(金沢大学)  チャルマーズの性質二元論は、物理主義に対立するテーゼとして提出されている。通常、科学者(とくに物理学者?)は、よほど問いつめられた場合以外には物理主義者とはならないだろうと思われる。確信犯的な(?)実体二元論者を除くと、彼らがおしなべて存在論に無頓着であるのは、想像のかなたの可能世界で何が起きようとも自分の目下の研究に差し迫った影響はない、という理由からであろうか。しかし、われわれ哲学者でも、物理主義のギリギリのラインがどこに引かれるべきかに関しては完全な一致に達しているわけではない。その意味でチャルマーズの物理主義反駁は、どこまでが物理主義の主張なのかということの自覚をわれわれに

    YOW
    YOW 2007/02/07
    >チャルマーズ「ゾンビ世界が概念的可能なら意識経験の事実は物理的事実に論理的にスーパーヴィーンしない」への反論:物理主義が主張したいのは、物理的事実に対する事実の法則的依存性で、論理的依存性ではない
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