ねこっぴーのかぶりもの…あったのか!? これはユッキの家で野球中継観てるのかな? そしてあの御方の部屋と同じく和室か~
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2011年3月11日に発生した東日本大震災から間もなく4年。あの日以来、河北新報社は未曽有の災害で傷ついた東北の地を、多くの写真に収めてきた。 マグニチュード9・0の巨大地震と津波は街をのみ込み、1万8000人以上の死者・行方不明者を出した。住み慣れた家は流され、恵みをもたらしてくれた田畑は塩水に漬かり、道路や橋は引き裂かれた。福島では第1原発事故による放射能汚染のため、大勢が故郷を追われた。 がれきに覆われた街を、余震が何度も襲い、避難所では不安な夜が続いた。大切な人を失って悲しみ、無事を確認し合って喜び、人々はやがて前を見据え、明日に向かって歩み始めた。 4度目の節目を迎える前に、震災発生から1年の間に河北新報社のカメラが捉えた東北の姿を、特集で振り返ってみたい。 2015年02月18日水曜日
国分寺市は「ふるさと納税」を呼び込もうと、新年度に10万円以上寄付した人への返礼品としてペンシルロケットの複製品を贈る。17日発表した新年度予算案に製作費など約2500万円を計上した。 国分寺市の今年度の「ふるさと納税」は、わずか約200万円。これまで返礼品はなかった。「このままでは埋没してしまう」と、国分寺ならではの返礼品を用意することにした。 今年4月12日は、「ロケットの父」と呼ばれる故・糸川英夫東大教授のチームが国分寺市内で、ペンシルロケット発射実験に初成功してから60年。ペンシルロケットは全長23センチ、直径1・8センチの鉛筆のような超小型機体に、火薬を詰めて地面と水平に発射し、宇宙空間への発射に向けたデータを集めた。市は「日本の宇宙開発発祥の地」と銘打ち、まちおこしを進める。 複製品は実物と同じ大きさのアルミ製。1個当たりの製作費は約2万2千円。1千個を作り、通し番号を付ける。
津波注意報が発令中の17日、岩泉町議会定例会は予定通り招集され、町幹部らが初日の議会に出席していた。町は「すぐに情報伝達できる距離」と説明するが、今後発令中の対応を検討するとしている。 町議会は午前10時から予定通り開かれた。町は地震発生から2時間近くがたち、観測された津波の高さが低く、被害の恐れも少ないことなどから、延期しなかったという。津波注意報は同10時20分、解除された。 町は地震と津波注意報発令を受け、午前8時9分に沿岸の小本地区の小本水門外側の区域に避難勧告を発令。区域内に住宅はなく漁港など漁業関係者らに注意を呼び掛けた。一部住民は自主避難し、本庁舎の災害警戒本部や小本地区の職員が情報収集に当たった。 中居健一総務課長は「すぐに情報伝達や判断ができる距離であり、(これ以上の)有事の際には対応できる態勢は保っていた」としつつ、発令中の対応や本部設置の基準など災害対応の在り方を今後
<仮設住民の足> 「復興支援バス」のステッカーが張られた車両がいわき市の仮設住宅団地に止まる。「運賃は無料。車を運転できないから家計的にも本当に助かる」。買い物袋を手に、乗客の女性(74)が笑顔を見せた。 バスは2011年11月から新常磐交通(いわき市)が運行を担っている。東京電力福島第1原発事故に伴う避難者の足として、同市や周辺自治体から路線開設の依頼を受けた。仮設約3600戸と中心部、駅、病院などを結ぶ。 運行費として年約1億4500万円が国から補助されている。「ほとんどが経費に消える。避難者のためと分かっていても楽ではない」と同社幹部。補助限度を超過すれば持ち出しが発生するだけに、原油相場などに神経をとがらせる。 <存廃は不透明> 補助金の正式名称は「特定被災地域公共交通調査事業」。東日本大震災被災地の交通網維持を目的に設けられた。制度が維持されるのは15年度まで。16年度以
<慢性的に不足> 「いつでも辞めてやりたい気分だ」。仙台市の宮城交通に勤める男性運転士が不満をにじませる。入社して5年以上。いまは路線バスのハンドルを握っている。 早朝や夜間の勤務に加え、土日も休みになるとは限らない。高速バスの担当になれば深夜勤務が待っている。乗客の命を背負う毎日に、肉体的、精神的なストレスが積み重なる。「忙しすぎてリフレッシュできない。何とかぎりぎり体調を保っている」。男性が疲れた表情を見せた。 負荷の理由は明確。慢性的な人手不足だ。東日本大震災後、復旧復興工事に投入されるトラックなどのドライバー需要が急増した。近年、バス業界から転身を図る人が後を絶たない。 大型二種免許があればバスもダンプカーも運転できる。資格を持った求職者は限られており、宮城交通の採用担当者は「建設業界との奪い合いだ」と嘆く。 <待遇格差響く> 同社では年間数十人が退職し、通年採用で補充す
<乗り降りゼロ> 車体をきしませて停留所にバスが止まる。乗り降りはゼロ。そもそも車内には乗客そのものがいない。傍らを自家用車が追い抜いていく。 牡鹿半島にある石巻市の鮎川港とJR石巻駅を結ぶ「鮎川線」。宮城交通(仙台市)の子会社が運行する。ある平日の午後、最初の客が乗り込んできたのは港を出て1時間が過ぎたころだった。 鉄路がない半島で、バスは唯一の公共交通機関だ。2010年度の利用者は9万人を超えたが、東日本大震災後の13年度は4割落ちた。1日7往復しているから1便平均10人程度にとどまる。 地方の路線バスはどこも苦戦気味とはいえ、東北の沿岸部では退潮が際立つ。震災で地域社会そのものが壊滅的な被害を受けたのが響いている。 <「通院できず」> 鮎川港がある旧牡鹿町の場合、14年末の人口は3196人。震災直前の約4500人から大きく減少した。転出届を出さないまま域外に避難しているケー
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