1964年東京五輪マラソン銅メダリストの円谷幸吉(須賀川市出身、1940~68年)には、結婚を考えながら68年のメキシコ五輪前に破談になった女性がいた。円谷の五十回忌を迎えたのを機に、女性が河北新報社のインタビューに応じた。 女性は円谷の1歳下で福島県在住の74歳。高校を卒業した円谷の最初の配属先、陸上自衛隊郡山駐屯地で62年まで1年間共に勤務した。円谷の一目ぼれだったようで、遠征先で買ったかすりなどの民芸品の土産や手紙がこまめに送られてきた。 「よく、にこにこして私がいた厚生課に顔を出していました。とてもいちずで、真面目な人柄。何事にも一生懸命だった」と振り返る。 円谷の遺体が発見された68年1月9日のことはよく覚えているという。「風が強い日で午前2時ぐらいに、住んでいたアパートの窓ガラスを人がたたくような音がしたんです」 腰の手術をした実母が痛みが取れず苦労したのをそばで見てお