高校の卒業旅行で札幌に行った時、 はじめて自分がそれまで食べていたシシャモが シシャモじゃなかったことを知った。 父が亡くなった時、母に「もう姿を見せるな!」と言われた。 「何もしていないのに 何故嫌うの?」と問うて 「何もしてない?生まれて来とるがな!」と言われ 子ども心に そうね。そうだったね。 と素直に納得したのを思い出した。 樺太シシャモは実はキュウリウオ目キュウリウオ科の海水魚で キャペリンまたはカペリンというらしいのだが、 多分、多くの日本人は 10匹で298円ほどで売られている この樺太シシャモ カペリンの事を シシャモと認識しているんだろうな。 シシャモじゃないのにシシャモと呼ばれるカペリン 生みの母親にすら存在否定される自分 シシャモに覚えた敗北感 この 生みの母との確執は 書けば本が出せるんじゃないかと思うほどで 暴力・暴言は今なら完全に犯罪だ。 遠回しな「母の日」をテ