時系列シャッフルによる時間的、空間的断絶は、各話数ごとの連続性の断絶と同義です。つまり、シリーズものに要請される一貫性を、視聴者に向けて予め放棄できたわけです。 「各話数ごとの連続性」という視点が興味深い。 シリーズものには「各話数ごとの連続性」に依存する面白さというのがあると思うんだけど、時系列シャッフルによってそれが見え難くなってしまったのかも。どの回もすごく質が高くて面白かったにも関わらず、一つの作品としての『涼宮ハルヒの憂鬱』が好きになれなかった理由の一つは「各話数ごとの連続性の断絶」にあるのかもなー、と思った。 僕がアニメオタクとして一番興味がある部分は絵コンテなんだけど、絵コンテのコンテはコンティニュイティ(continuity:連続性)の略なわけで。「連続性」にはこだわりたい。 感情移入には二つのタイプがあるんじゃないかという仮説を検討してます。一般によく言われる「自己を投影
暫定掲示板さんより http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20060603/p2 わかりやすいオタク論(作画論)の波及図 http://d.hatena.ne.jp/Youth-K/20060602#p1(←今ココ) 遡って、 http://www12.plala.or.jp/sikoukairo/ 2006/6/2付の感想・雑記 遡って、 http://d.hatena.ne.jp/tricksign/20060530/otaku 遡って、 http://d.hatena.ne.jp/kj-3plus4/20060530#p1 うわ、まだ遡れるのか。……遡って、 http://buchi21.blog64.fc2.com/blog-entry-84.html< ははあ。成程。と思った。 「森久司も知らんのか!」と煽っておきながらなんですが,クリエイター論(もっと具
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く