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歴史に関するa-parkのブックマーク (23)

  • 本当は『幸運艦』だったシャルンホルスト  ~"呪われた純白の幽霊不幸戦艦"の真実~ - Togetterまとめ

    こんぱすろーず @flowerclass 「シャルンホルストの呪い」というヨタの発祥は1950年代後半にアメリカで放送されていた怪談ラジオ番組の台として、UFOネタで有名だったオカルトライター、フランク・エドワーズがでっち上げたもの。それを怪奇実話作家・翻訳家の黒沼健が最初に紹介し、その後オカルト雑誌や雑学に(続) 2014-09-26 21:03:44 こんぱすろーず @flowerclass 転載されて次第に日でも広がっていったものと思われます。現在流布しているのはエドワーズのオリジナルに日独自の改変が大幅に加わったものです。オリジナルには(おそらく意図的に)これがホラ話であることを示すためにわかりやすい間違いが仕込んであったのですが(続) 2014-09-26 21:04:15 こんぱすろーず @flowerclass 現在のバージョンにはそれが含まれていません。オリジナルで

    本当は『幸運艦』だったシャルンホルスト  ~"呪われた純白の幽霊不幸戦艦"の真実~ - Togetterまとめ
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    a-park 2014/09/26
    14歳の少女エピソードが恐らく日本で後から加えられたものだというのが渋い
  • 幕末の剣術修行者の実像が伺える『剣術修行の旅日記』 - 火薬と鋼

    剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む (朝日選書) 作者: 永井義男出版社/メーカー: 朝日新聞出版発売日: 2013/08/09メディア: 単行この商品を含むブログ (7件) を見る時代小説などのフィクションでは、武者修行で他流の道場を廻る武士というと、名誉をかけた真剣勝負を行うような印象がある。しかし、実際の修行者の姿はそれほど殺伐としたものではなかったようだ。 『剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む』は幕末の剣術修行者の日記を基に、当時の武士の生活や剣術稽古の解説を織り交ぜて剣術修行者の姿を明らかにしただ。そこにある剣術修行は、和やかな交流が多くスポーツのようだ。 同書の元になった『諸国廻歴日録』を書いたのは佐賀藩士牟田文之助。牟田文之助は23歳で鉄人流という二刀流の免許皆伝を授けられた剣士である。嘉永六年(1853)に24歳の文之助は

    幕末の剣術修行者の実像が伺える『剣術修行の旅日記』 - 火薬と鋼
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    a-park 2014/03/09
    「和やかな交流が多くスポーツのようだ」 そんなもんなのか
  • 戦国時代 武器・防具・戦術百科: MURAJIの戯れ言so-net blog版

    の「武士」がどのような戦士であったかの解説としては、最高レベルのです。 実は説明が難しい「武士とはなんであったか?」の回答にもなってるですし。 の題名はちょっと誤りがあって、戦国時代の武士ではなく、平安末期の武士の発祥から幕末の終焉までの戦い方や武器等の解説を行っています。 各章の題名からも、武士についてのアプローチが他の解説書とかなり違うのがおわかりいただけるかと。 【第一章】騎馬武者 【第二章】散兵 【第三章】槍兵 【第四章】武将 【第五章】火器 【第六章】大砲 著者は名前のとおり外国人ですが、京都大でも学び、特に南北朝を専門とする学者でもありますので、鎌倉時代や室町時代の軍事組織とかの記述も非常に詳しいです。 元々、英語で出たを著者人が日語訳してるので、外国の日研究書にありがちな変な訳語もないのもポイント高いです。 「戦士としての武士」を知りたい人なら、問答無用で

    戦国時代 武器・防具・戦術百科: MURAJIの戯れ言so-net blog版
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    a-park 2013/10/03
    京大出身の特に南北朝を専門とする海外の学者による解説書とな
  • 「風立ちぬ」の本庄季郎氏と第1回鳥人間コンテスト、その歴史的意義 - Unknown -はてなブログ版-

    さてさて今年の鳥人間コンテストのTV放映も9/4(水)19:00〜と迫ってきましたね!というわけでちょっとした小ネタを。スタジオジブリ最新作の「風立ちぬ」登場人物のモデルとなった庄季郎氏の晩年の活動、第1回鳥人間コンテストでの優勝機設計について少しメモ書きをば。 ちなみに書いている人は「風立ちぬ」は未見で、もちろん第1回の鳥人間コンテストも見たわけでもありませんのであしからず。見に行きたいとは思っているんですけどねえ。 鳥人間コンテストの生い立ち 鳥人間コンテストは往年の名番組「びっくり日新記録」の一企画として始まりました。お手になったのはイギリスのBirdman rarry。今年も開催されたようなので動画を以下に。大会のスタイルとしてはあまり変わっていないものと思われます。 でまあ第1回の鳥人間コンテストもこんな感じで、腕に鳥の羽根を貼っつけたり大砲で飛び出してみたりとわりとやりた

    「風立ちぬ」の本庄季郎氏と第1回鳥人間コンテスト、その歴史的意義 - Unknown -はてなブログ版-
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    a-park 2013/09/01
    第1回鳥人間コンテストの優勝機を設計したのは本庄季郎、にまつわるあれこれ
  • 書評:広中一成「ニセチャイナ」(社会評論社)

    という満州事変以後の流れ。 いつ見ても分裂症気味というか、国家戦略としての統合を欠いていらっしゃるというか、その場凌ぎの泥縄対応だったんでしょうけど、それを一つの流れとして見ると、やはり理解できませんね。 教条主義化したコンプライアンスというのも考えものですが、存在しないとやはり恐ろしいものです。 こんなことで割をうのはもちろん現地の中国人に、日中戦争で疲弊しきった上にアメリカ戦争までやることになった日人。 満州国では中国人が田畑から追い出され、その跡を日人に開拓させてみたものの、太平洋戦争勃発で開拓団の成年男子は徴用された上、ソ連侵攻で残された女子供は決死の逃避行と誰得状態。また、貧弱な傀儡政権の財源確保に阿片の売却益を充てようとしたら、その利益の大半は日側機関に中抜きされ、市中にはアヘン中毒者が溢れる有様。 こんな破綻国家丸出しの傀儡国家達も、日の敗戦と共にあっさり消え去り

    書評:広中一成「ニセチャイナ」(社会評論社)
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    a-park 2013/07/08
    「満州事変以後に日本が占領地内に擁立した傀儡政権のうち、代表的な6カ国を紹介」狙い所がニッチすぎる / 恥ずかしながらそんなに数が有ったと知らなかった
  • 幕末の外米輸入と、それがもたらした影響: MURAJIの戯れ言so-net blog版

    Twitterの方で前に書いていた事を少しまとめてみたり。 江戸時代には飢饉で餓死者が続発してましたが、幕末の開国で外国からインディカ米の緊急輸入を行えるようになると、終戦前後の一時期を除いて、日で餓死者が多数出る事はなくなりました。 具体的に外米の大量輸入が認可されたのは、慶応2年(1866年)10月14日で、この時には、不作及び長州征伐による米流通の阻害により、各 地で米不足による一揆や打ち壊しが頻発して治安悪化しており、イギリス及びフランスが「第二の太平天国になりかねない」と判断して、幕府に外交圧力をかけ て、外米輸入を認めさせたものです。 つまり、幕府が積極的に米輸入を認めずに、外国からの圧力で餓死者が出る事が防止された事になります。 インディカ米が格的に日に流入しだしたのは慶応3年(1868年)になりますが、慶応3年は大政奉還とか色々とあって、そのまま慶応4年1 月に鳥羽・

    幕末の外米輸入と、それがもたらした影響: MURAJIの戯れ言so-net blog版
    a-park
    a-park 2013/02/26
    食糧事情を安定させる事ができる政権が民衆の支持をバックに「権威」を得て歴史を動かす  表だった歴史の流れだけ見ていると気づかないところ
  • いろいろクドい話 » 砲兵の仕事 24 (戦場の女王とはどういうことか?)

    ソ連軍砲兵の一番の特徴とは何でしょうか。 膨大な機材の量でしょうか、それとも戦術でしょうか。ユニークなドクトリンでしょうか。 結論から言えばソ連軍砲兵の最大の特徴は砲兵の地位の高さです。 ソ連軍の火力主義は歴史的に見ればいろいろ場所にその源流を探すことができますが、第二次世界大戦前に膨大な砲兵戦力を整えられた直接の要因はスターリンの強力な支持があったことです。革命後の内戦を体験したスターリンは自らの実戦経験から火力主義を理想視していた様子が窺われます。けれどもスターリンの庇護があったとはいえ、ソ連軍砲兵は平坦な道を歩めたのかといえばそうでもありません。 火力を重視して砲兵を過度に充実させた軍隊は攻撃性に欠け、受動的に作戦する傾向にある、と主張したのはクラウゼビッツです。指揮官に積極的行動を強いて能動的で攻撃的な戦闘をさせるにはむしろ砲兵が不足していた方が良い、という見解です。なんだかベンチ

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    a-park 2010/10/12
    「砲兵は戦場の女王」という抽象的な言葉の実情  砲兵の指揮権がそこまで強かったというのは知らなかった
  • 『主婦之友』的特攻生活 - 虚構の皇国

    いよいよ空襲も始まり、配給物資も逼迫してきた昭和19年頃を境にして、雑誌「主婦之友」は、さまざまな決戦的銃後生活スタイルをしつこくご提案し続けた。特集タイトルをならべるだけで「大東亜戦争」の戦況がうかがえるほどの時局密着ぶりだ。 必勝の防空生活(昭和19年3月号) 戦う育児生活(同年8月号) 敵前生活(同年10月号) 突撃生活(同年11月号) 滅敵生活(同年12月号) 勝利の体当り生活(昭和20年1月号) 勝利の頑張り生活(同年3月号) 一億特攻の生活(同年4月号) 勝利の特攻生活(同年7月号) だんだんと自滅へと向かう青筋の立てかたに、思わず右肩上がりの折れ線グラフを書きたくなってしまうほどだ。個々のタイトルは、人口に膾炙した時局用語に「生活」をくっつけただけのシロモノで、それじしんまったく意味不明なコトバではあるが、無内容な雰囲気を扇動する言霊技術として見れば、まさに「神」の領域に達し

    『主婦之友』的特攻生活 - 虚構の皇国
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    a-park 2010/10/10
    「戦争に負けかけている国では婦人雑誌の料理特集記事がだんだん酷くなっていく」という以前に聞いた話を思い出した  余裕がなくなってくるとおよそ料理とは言えないようなモノが掲載されるようになるらしい
  • 「かたわ少女」の長い歴史

    これはずっと前から書かなきゃいけないと思っていた。このブログのサイドバーを見るたびにそのことを思い出させられる。開発ブログはもともとKS開発の半オフィシャルな開発記録のつもりだった。でもここではブログ開設以後の出来事しか書かれていない。読み返してみれば、多くの記事はそんなに面白くないし、公式サイトの小史はちょっと言葉足らずだ。そんなわけで、プロジェクトかたわ少女の長い歴史をここに: KSの種がまかれたのはもう10年近く前、2000年12月に開催されたコミケット61でのことだった。同人サークル「絶対少女」の絵描きであるRAITA氏は、風の谷のナウシカの同人誌「Schuppen Harnische」を発行した。腕のない戦士、クシャナ王女を中心とした作品だった。その中のおまけページで、RAITA氏は名づけてかたわ少女という、障害を持つ女子をヒロインとした恋愛シミュレーションゲームのコンセプトアー

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    a-park 2010/05/14
    原案になったあのイラストの初出はもう10年前になるのか / これだけの紆余曲折を抱えながら開発プロジェクトが瓦解していないのは相当なものだと思う
  • 伝説を作るために国民を犠牲にした組織: MURAJIの戯れ言so-net blog版

    太平洋戦争末期の日海軍の行動は、一言で言えば「自滅的」です。 レミングスの集団自決のごとく「死ぬ」ことが目的で戦争やっていたとしか思えません。 そのことは後世から見ると「愚か」ですが、日海軍としては合理的な判断のもとにそれを行っていたと思われます。 マリアナ沖海戦で敗北した後の日海軍の望みはどう考えても、 「第一次世界大戦のドイツ帝国海軍のようになりたくない」 です。 第一次世界大戦のドイツ帝国海軍水上部隊はイギリスとの決戦兵力として整備されましたが、大戦中は港に留まっているばかりで直接的に戦争に貢献 できず、戦争に負けかけて最後の出撃を行おうとした時点で、反発した水兵の反乱によって崩壊し、ついでにドイツ帝国という国も崩壊させてしまいました。 そして大量の残存艦艇はイギリスに拿捕されて晒し者になり最終的には集団自沈。 ドイツ帝国海軍水上部隊は歴史上汚名を残して消滅したのです。 当然、

    伝説を作るために国民を犠牲にした組織: MURAJIの戯れ言so-net blog版
  • 太平洋戦争ヒストリーマップ||NHK 戦争証言アーカイブス

    太平洋戦争ヒストリーマップ||NHK 戦争証言アーカイブス
    a-park
    a-park 2009/08/18
    あとで全部観る  絶対観る なんとしてでも観る
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    キーボードを、持ち歩く。 久しぶりに、スマホ用のキーボードを使ってブログを書いている。 いくつかキーが壊れてしまっているので買い替えないといけないのだが、壊れるくらいには使い込んでいたんだなと思った。 当時は、今のようにPCを普段から持ち歩くことが少なかったので、出先でもブログ…

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    a-park 2009/06/10
    2009年の現在では「メイドさん」はオタク業界内にとどまらず、かなり一般的な知名度を持つ概念になっているものなあ / たったの二十数年でここまでくるのか
  • ヤンデレの話 - kettle as crown

    【[性]ヤンデレ――少女の「病み」に託されたもの】 (キリンが逆立ちしたピアス) http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090507/1241703367 上エントリの解釈は、来の意味において、正しいと思う。 実際、現在の男性向けフィクションにおいて「新しいジャンル」とされているものの中には、源流を辿れば少女マンガがこれまで積み上げてきたもののデッドコピーでしかないものは数多い。 ただ、実際に世の中にあり話題となっていた「ヤンデレ萌え」自体はもっと形骸化した概念で、「自分への好意を従来の方法に比べて極端に刺激的な形で表現してくれる」ことへの快感でしかないと思うのだけど。 ついでに言うならそれは作品やキャラクターに付随する概念ではなく、読み手が「これが(この快感形式が)ヤンデレだ」とと言いだして初めて生まれるもの。 『ひぐらしのなく頃に』の登場人物にヤンデレが含ま

    ヤンデレの話 - kettle as crown
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    a-park 2009/05/09
    「源流はイザナミ」なんて極論が語られたこともあったなあ…… 2007年後半以降から「「こいつヤンデレね」と意識して作られるキャラクター」が増加してきた感がある
  • ヤンデレとアニメの歴史 - まっつねのアニメとか作画とか

    まずはこのブクマコメから >lisagasu 少女漫画的ヤンデレは、自分が病みたいから勝手に病む、 >あるいは人にとって普通の表現が傍目には病んで見えるのであって、 >俺を愛するゆえに病むというヤンデレ萌え男性の夢とは違う流れかと思います。 そうです。 なので、少女漫画的ヤンデレを男性側から捉えなおすという作業が行われたのです。 それを行ったのが 男性社会であるアニメ制作業界、その中の出崎統、あるいは幾原邦彦・星川孝文だった というのが今回のお話。 ・今回のアニメの旅の経路 哀しみのベラドンナ→出崎統→おにいさまへ→ウテナ→ゲーム版スクイズ アニメ史的にヤンデレを追っていくとまず行き着くのが 「哀しみのベラドンナ」です。。 子供向けとしてスタートしたアニメーションを成人向けにシフトしようとした 「アニメラマ」という映画シリーズがあった。 哀しみのベラドンナはその3作目で、1973年封切。

    ヤンデレとアニメの歴史 - まっつねのアニメとか作画とか
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    a-park 2009/05/07
    アニメでの「ヤンデレ」の源流 / 俺はゼロ年代に入ってからのゲーム・ネットでの流れしか把握してないので、資料のためにブクマ
  • 2chオフだと思ったらテキストサイト管理人に囲まれていた - こてゆびミルクティー

    はじめて2ch寄りなオフに参加してきたよ!上野公園で花見。 みんないい人でした。というか、2chオフだと思っていたのに気づいたら周りは元テキストサイト管理人だったりしました。 許可とってないから名前は出せませんが、その界隈に入り浸ってた人なら、名前を知ってる人達です 滅多にないチャンスだと思い、前々から気になってた、 「テキストサイトってなんで絶滅したの?」 という疑問を投げかけてみたところ ブログの流行をバックグラウンドに、テキストサイトが斜陽に 2004年頃、テキストサイト管理人の中堅層がmixiのアーリーアダプターとして飛びつく 内輪で盛り上がる 外へコンテンツが可視化しなくなる そんな話でした。あくまで「内側からみた」絶滅の過程ということで。 オフそのものは、酒飲んでモンハンして、おだやかに終了。 僕はリナカフェで電源を貰って家に帰った。

    2chオフだと思ったらテキストサイト管理人に囲まれていた - こてゆびミルクティー
    a-park
    a-park 2009/04/13
    「mixi内で管理人達が内輪で盛り上がってしまったからテキストサイトが衰退した」 (元)管理人から聞いたテキストサイト絶滅の話 そんな事情があったとは
  • どれほど兵は神速を尊ぶか? ~歴史的に行軍速度を探求し戦争術評価の尺度とする試み~ | とらっしゅのーと

    歴史上の異なった時代や環境にある用兵家や軍隊を無理矢理比較して強弱・優劣を論じることは、歴史を語る際の最大の楽しみの一つと言えるのではないでしょうか。 少なくとも私にとってはそうです。 そこで今回は、そういった比較論を行う際の一つの尺度を打ち立ててみようと思います。尺度を導くために着目するのは、各所で優れた兵の証として、時に闘うことよりも貴ばれる速さです。 もっとも、優れた用兵とは与えられた状況に応じて最大限目的達成にふさわしい行動を、費用と効果の均衡に配慮しつつ、実行することであり、来、時代背景と具体的状況から切り離して単一の尺度によって優劣を評価することなどできるはずがありません。 ですからここでやることなど所詮お遊びに過ぎないのであって、その点了解の上で、真面目に構えたりせず気楽に読み流して下さい。 対象は前近代の農耕文明圏の軍隊です。 通常行軍速度 まずは参考までに、西洋史上の諸

    どれほど兵は神速を尊ぶか? ~歴史的に行軍速度を探求し戦争術評価の尺度とする試み~ | とらっしゅのーと
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    a-park 2008/12/13
    「兵は神速を尊ぶ」を実際の事例から検証/「戦闘能力を維持しながら一日50キロ以上の行軍ができれば、その指揮官は軍隊の能力を限界まで引き出していると言ってよく、すなわち最高の用兵家の一人に数えてよい」
  • 80年前にも同じ言葉が: MURAJIの戯れ言so-net blog版

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    a-park 2008/11/07
    現在の韓国海軍の態度が、戦前の大日本帝国海軍と酷似している件について/歴史は繰り返す、ってか
  • 沖縄戦史 公刊戦史を写真と地図で探る 「戦闘戦史」 

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    a-park 2008/09/27
    文章だけでは無味乾燥なものとなる日米両軍の公刊戦史を、現在の該当地点の風景写真・地図と合わせて解説/現実に存在した「戦場」をこれ以上ないほどによみがえらせている力作サイト/これは本当に凄い
  • いろいろクドい話 » イワンのばか

    漫画にあるようなソ連軍イメージはいつ何処で誰が広めたことなのかと言えば、終戦後のドイツ高級将校達の回想録に始まります。 ・質では優越していたが量で圧倒された。 ・戦術は単純な突撃主義だった。 ・督戦隊の恫喝による人海戦術が最大の特徴だった。 ・粛清の影響で野戦将校は無能な者ばかり。 ・戦争後期にはドイツ流機動戦の稚拙な模倣が行われた。 ・そもそもまともな陸戦理論は存在しなかった。 こんなソ連軍イメージが語られて来た訳で、これは別に彼等が嘘を言ったのではなく自分自身がそのように認識していたからなのですが、客観的にはドイツ陸軍がソ連軍に対しての体系的な研究を殆どして来なかったことの単純な反映でもあります。 こうした認識は戦後にドイツ軍に代わってソ連軍と対峙することになったNATO軍にとっても受け容れやすいもので、冷戦時代を通じてソ連軍の陸戦の実相や陸戦ドクトリンに対する表面的な評価はあたかも真

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    a-park 2008/05/06
    軍オタの間に流布する「質より量のソ連軍」という認識の誤謬について/「上にあるようなソ連軍イメージはとくにミリタリーファンにとって恰好の悪役の形成を助けています」「趣味の戦史とはそうしたものです」
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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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    a-park 2008/02/21
    そろそろ体系的なまとめが必要だよなぁ