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宇多田ヒカルは、どういう意味で「天才」なのか? 『Fantôme』を含む彼女の作品を文芸評論家の目で評した『宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌』(毎日新聞出版)の著者・杉田俊介氏(批評家)と、音楽業界の構造的変革を論じた話題書『ヒットの崩壊』の著者・柴那典氏(音楽ジャーナリスト)の対談が実現。 「詩人」として捉えたときに見えてくるものを考えた前編につづき、後編では『Fantôme』の収録作を中心に、宇多田ヒカルの次なる歩みを見つめます。 なぜ、宇多田ヒカルの歌詞は宗教性を帯びるのか? 柴 杉田さんは『宇多田ヒカル論』を書くにあたって、自分の実人生との関係性から対象に光を当てる「印象批評」に近い手法を取ったとのことですが、宇多田ヒカルはどこがキーポイントになりましたか? 杉田 使い古された言い方だし、誤解を招くかもしれないけど、宇多田さんは「天才」だとあえて確認するところから今回の本ははじ
母親から父が癌になったとメールがきたとき、なんの根拠もなく、おそらく病状は深刻ではなく、切除すれば完治するだろうと思っていた。 今日、母親から、転移がひどく、完治の見込みはないとのメールがきた。 母親に電話をした。 心配をかけてごめんと泣いている。 謝る必要などないのに、いたたまれなかった。 みんなで頑張ろうと、気休めにもならないことを言って、電話を切った。 父親の思い出はあまりない。 仕事が忙しく、出張の多い人で、あまり遊んでもらった記憶が無い。 家にほとんどいなかった。 家にいても本を読むか、寝ているか、テレビを見ているかで、あまり会話もしなかった。 万引きで補導されたときはひどく怒られたけど、それ以外怒られた記憶もない。 父からいわれたことで印象に残っているのも「文学部は就職で不利だから法学部にいけ」ってことくらいしかない。 (結局文学部に入って父親の言うことは正しかったことを数年後
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