小学生のころ、埼玉県出身の偉人として、塙保己一と渋沢栄一を学校で習った。 塙保己一と渋沢栄一が大変な偉人であることにはいうまでもない。しかし、その"偉さ"は小学生には少々理解するのが難しい。塙保己一の編んだ群書類従は身近ではないし、渋沢栄一は渋沢財閥を作らなかったので、社名に名を残していない。そのころは、何をした人かよく理解できなかったが、名前だけは覚えた。 二松学舎大学の国文学科に入って、塙保己一の編んだ群書類従を使うようになった。渋沢栄一は、かつて二松学舎の舎長だった。意外な所で、縁ができた。 さて、前置きが長くなったが、先日、久しぶりに群馬県在住の師匠と会って、僕を含めた弟子二人とともに、本庄市の塙保己一記念館と、塙保己一生誕の家、墓に行ってきた。 こちらが記念館。入場無料である。 やけに新しいが、それもそのはず、平成27年7月オープンである。場所や開いている日時はこちらをどうぞ。