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2010年3月25日のブックマーク (2件)

  • 宗教多様性の保全

    宗教は人間によって使用される道具の一つである。 したがって、他の道具と同様、 その中に欠陥が含まれている場合、 その欠陥は速やかに除去されなければならない。 そして、明らかに欠陥が含まれているにもかかわらず、 その宗教の内部の人間たちがそれを放置している場合、 外部の人間はそれを批判する必要がある。 何らかの宗教の外部にいる人間による、 その宗教に対する批判は、 そのすべてに意味があるとは限らない。 道具としての欠陥についての批判には意味があるが、 欠陥とは言いがたいものについての批判は無意味である。 佐藤哲朗さんは、 「仏陀は再誕しない」*1というブログエントリーの中で、 幸福の科学が製作した 「仏陀再誕」というプロパガンダ映画について、 次のように述べている。 「仏陀(ブッダ)が再誕する」ということはありえない話です。 仏陀は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・天(欲天+梵天)という 輪廻の世界

  • さとりの条件 - ひじる日々

    2010年03月13日(土) 14:00より行われた、ゴータミー精舎でのスマナサーラ長老の法話と冥想の会。質疑応答の模様などtwitterメモをもとに再現しました。 Q)コンダンニャさん釈尊のはなし聴いただけでさとった。さとるのって、そんなに簡単なのか? A)さとりは一部の人にのみ恵まれたものではない。論理的に人間なら覚りに達することできるはず。条件:物事を理解できるのか?ということ。釈尊の時代覚らなかったケースは殆どなかった。出家も在家も男も女も。当たり前のように真理に達する。覚りは稀なことである、なら仏教でなくなる。 誰もが幸福になれる道でなければ語る意味がない。稀な人しか到達できないことを喋っても意味ない。 現代人には、そんな簡単に?という疑問は出てきますが。なぜ仏教の世界で人がさとれなくなったか。歴史的に研究しないと。人間が堕落したというのはちょっと成り立たない。 末法思想は作り話

    さとりの条件 - ひじる日々