2019年1月29日のブックマーク (5件)

  • ストリートの終わりと始まり──空間論的転回と思弁的転回の間で

    かつて雑誌『現代思想』で1997年5月に編まれた「特集=ストリート・カルチャー」が、日語環境では「ストリートの政治」という切り口の端緒であるという。筆者はこの号に依頼され原稿を書くには書いたのだが、時差もあって送信が一日遅れてしまって落としていた。デュッセルドルフ近郊の山のなかで催された無許可の野外パーティで一晩踊りたおしたためだった。 その夜の出来事はその後のいろいろを変えた。ストリート、つまり街角に蠢く裏の広がりや動き、それらを醸す気分の律動のようなものを日常に感じるようになったことが大きい。『現代思想』の当時の編集長の考えや姿勢に、だんだん違和やへだたりを感じはじめたのも、この時期であったのは今となっては面白い。 ここでは「ストリート(的なもの)」とは何か? ということについて、あらためて考えてみる。 「ストリートはどこにあるのか?」、あるいは「ストリートはどこへいったのか?」、こ

    ストリートの終わりと始まり──空間論的転回と思弁的転回の間で
    aka_10
    aka_10 2019/01/29
    ストリートとOOO。「あるくタイプのひきこもり」(かつての当アカウント名)を解説してくれているかのようだ(無関係において関わり合う、みたいな、千葉さん言うところの「リア充的」読みに傾いている気はするけど)
  • View From The Road—Kevin Lynch (1965)

    A film short produced by Professor Kevin Lynch BCP '47 produced this high-speed film as part of his studies into the theory of city form and of human percept...

    View From The Road—Kevin Lynch (1965)
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    aka_10 2019/01/29
  • 時を建てる──WTC、ザクセンハウゼン、伊勢神宮 | 田中純

    時を建てる──WTC、ザクセンハウゼン、伊勢神宮 | 田中純 Building a Moment: World Trade Center, Sachsenhausen, and the Ise Shrine | Tanaka Jun 一、「アメリカのイコン」 二〇〇一年九月の同時多発テロによって崩壊したニューヨーク世界貿易センター(WTC)跡地では、二〇二年五月三〇日に犠牲者の遺体捜索と瓦礫撤去の作業打ち切りが宣言され、その終了式典がおこなわれた。これによってこの土地は、再開発へと向けて動き出すことになった。 WTC跡地利用計画の実施主体となっているのは、ローアーマンハッタン開発公団(LMDC)とニューヨーク・ニュージャージー港湾局である。港湾局はこの土地の所有者であり、LMDCは九・一一事件を受けてローアーマンハッタン地区の再建のため、州と市が協力して創設された組織である。七月一六日には

    時を建てる──WTC、ザクセンハウゼン、伊勢神宮 | 田中純
    aka_10
    aka_10 2019/01/29
    グラウンド・ゼロとそのつつがない補填というフェティシズム機関に抗して
  • 彫刻と建築の問題──記念性をめぐって

    ──対談では建築と彫刻の交点から「記念性」を考えます。彫刻家であり彫刻研究者の小田原のどかさんは、今年6月に上梓された『彫刻 1』(トポフィル、2018)をはじめ、作品制作や執筆、出版活動を通して彫刻の議論を展開されています。また建築史家の戸田穣さんは2017年に『建築雑誌』で「建築は記念する」という特集を企画されました。今日は、建築・彫刻の分野における記念性について、きわめて今日的な問題提起を行なっているお二人にお話しいただきます。 戸田穣──このところモニュメントやメモリアルに関心を持っています。最近は特に20世紀後半の日における世俗の慰霊空間について調べていて、2016年には『10+1 Website』に「千鳥ヶ淵から考える慰霊の空間」という文章を寄稿して、谷口吉郎の設計による《国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑》(1958)や海外につくられた慰霊碑について紹介しました。また、日建築学会が

    彫刻と建築の問題──記念性をめぐって
    aka_10
    aka_10 2019/01/29
    記念碑、彫刻、建築の置かれる(時-)空間を巡って(ギーディオン「記念性」)。塔や軸線による超越(足元はピン先へと圧縮?)、公共広場、「演劇性」の場、あるいはアイゼンマン《ホロコースト記念碑》の密集。
  • 網膜上の記譜法──ル・コルビュジエの写真とデッサンについて

    建築術としての写真 ル・コルビュジエと写真といえば、その『全作品集』のなかに見出される写真家ルシアン・エルヴェによる「芸術的」な写真がすぐに思い起こされるだろう。オスカー・ニーマイヤー、アルヴァ・アールト、ジャン・プルーヴェらの作品の撮影も手がけることになるこのハンガリー生まれの写真家は、マルセイユの《ユニテ・ダビタシオン》を撮影した650枚におよぶ写真をル・コルビュジエ人へ見せたところ彼の目に留まり、それ以降はル・コルビュジエの建築写真を定期的に手がけることになる★1。 ヴァルター・ベンヤミンは「写真小史」(1931)において、「おそらく誰でも気づいたことがあるだろうが、絵とか、とりわけ彫刻とか、いわんや建築は、実際に見るよりも写真で見たほうが理解しやすい」と述べている★2。「芸術としての写真」が西欧近代における大衆に認知されつつある只中で、芸術作品を撮影した写真──「写真としての芸術

    網膜上の記譜法──ル・コルビュジエの写真とデッサンについて
    aka_10
    aka_10 2019/01/29
    建築物の受容の二重性:触覚的、視覚的。すなわち「見ること」にとっての他者を呼び込むこと。そのための技術としての写真あるいはデッサン。「デッサンすること、それは見ることを学ぶことである」
    • 2019年1月29日