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天皇と歴史に関するakakitのブックマーク (16)

  • 満州事変に触れた天皇陛下の年頭のご感想について - 木走日記

    明けましておめでとうございます。 さて、元旦の「天皇陛下のご感想(新年に当たり)」が宮内庁公式サイトに掲載されましたが、満州事変に触れているということで話題になっています。 平成27年 昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。 また,東日大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。 年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に

    満州事変に触れた天皇陛下の年頭のご感想について - 木走日記
  • 東京新聞:遊楽としての近世天皇即位式 森田 登代子 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)

    トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事 【書評】 遊楽としての近世天皇即位式 森田 登代子 著 Tweet mixiチェック 2015年4月26日 ◆浮かれ騒ぎ、見物する民衆 【評者】長山靖生=思想史家 天皇の即位式といえば、昔から、庶民とは縁遠い厳粛な儀式だと思いこんでいた。現代でも皇室は遠い存在なのだから、江戸時代には二重の意味で庶民には無縁だったろう、と。江戸時代は厳しい身分制社会だったし、幕府は朝廷の力を削(そ)ごうとしていたので、天皇と民衆が結びつくような儀式を警戒していたとの説が有力だった。 しかし天皇に関わる行事の中でも、最も重要で最も厳粛だったはずの即位式は、民衆の見物が許された祭典だったという。著者は即位式を記録した図像などから、御所の南庭に押し寄せ、おおらかに即位式見物を楽しむ民衆の姿を掘り起こした。そこには、見物し

  • 安藤礼二「折口信夫」書評 画期的な天皇論、新資料交え分析|好書好日

    折口信夫 [著]安藤礼二 総索引が付いた全集ばかりか講義録まで完備している。個人の思想を研究するのに、一見これほど恵まれた環境はない。けれども、いったんその「森」に足を踏み入れるや、あまりに蒼(うっそう)としていて方向感覚を見失ってしまう――折口信夫とは、そんな思想家だ。一体これまで幾人が踏破を試み、失敗を重ねてきただろうか。 安藤礼二は、2002年に「神々の闘争――折口信夫論」を世に問うて以来、一貫して批評家としてこの巨人と向き合ってきた。テキストを厳密に読み抜き、読み破った者でなければ見えてくることのない新たな地平を、独力で切り開いてきたのだ。書は、10年以上にわたる安藤折口論の集大成として大きな意味をもつ。 第1章から劇的である。これまでの研究で空白のままだった大学時代に、折口は荘幽蘭(ゆうらん)という女性と出会い、神風会という神道系の団体と関わっていたことが、新資料を交えつつ

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  • 『「孟子」の革命思想と日本』書評 あらゆる物語、引き受けうる器|好書好日

    「孟子」の革命思想と日 天皇家にはなぜ姓がないのか 著者:松 健一 出版社:昌平黌出版会 ジャンル:社会・時事・政治・行政 「孟子」の革命思想と日―天皇家にはなぜ姓がないのか [著]松健一 天皇家には、なぜ姓がないの? 子供みたいな問いだからこそ、根源的である。 書を読み進むにつれ、天皇とは「何者であるかを意図的に隠した」存在であることがわかってくる。松健一は平明な語り口で、日の最大の謎へと私たちをいざなう。 意図的に素姓を隠した存在にアクセスするのはむずかしい。そこで著者は、ある補助線を引く。孟子である。すると、孟子もまた意図的に隠された思想家であることが見えてくる。権力者に重用された孔子の思想と異なり、孟子は権力者に隠された形跡が随所にある。そして時に特異的に浮上する。孟子の思想の核は革命論で、徳を失った君子は討たれてよいとするものだ。 中国では易姓革命と言い、王朝ごとに

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  • 正造の直訴状 陛下の訪問を機に実物公開へ NHKニュース

    天皇皇后両陛下は、21日、栃木県佐野市の佐野市郷土博物館を訪れ、足尾鉱毒問題の解決に取り組んだ田中正造の直訴状などをご覧になりました。 博物館では、両陛下の訪問を機に、24日から、通常は公開していない直訴状の実物を正造ゆかりの貴重な資料と共に一般展示することにしています。 4年ぶりに直訴状の実物を公開 天皇皇后両陛下は21日から22日にかけて、私的な旅行として、足尾鉱毒問題の解決に一生をささげた田中正造の遺品などを展示する佐野市郷土博物館などを訪問されました。 佐野市の郷土博物館には、田中正造ゆかりの資料を展示するコーナーがありますが、ふだんは防犯上の理由や劣化を防ぐため、直訴状は複製を展示しています。 今回は両陛下の訪問に合わせて4年ぶりに実物を展示しました。 田中正造が直訴に及んだのは明治34年(1901年)12月、帝国議会の開院式から皇居に戻る途中の明治天皇の馬車行列に鉱毒被害を訴え

    正造の直訴状 陛下の訪問を機に実物公開へ NHKニュース
  • 朝日新聞デジタル:(文化の扉 歴史編)王朝交代あった? 継体天皇 担がれた傍系の王族 - ニュース

  • 朝日新聞デジタル:「沖縄学」先導、外間守善さん死去 天皇陛下への進講役 - おくやみ・訃報

    外間守善氏  外間守善さん(ほかま・しゅぜん=法政大名誉教授)が20日、肺炎で死去、87歳。葬儀は25日正午から東京都杉並区南荻窪3の31の23の願泉寺で。喪主は菊枝(きくえ)さん。  沖縄の古謡「おもろさうし」研究の第一人者。1972年、法政大に沖縄文化研究所をつくり、琉球諸島の言語、歴史、民俗などを総合的に研究する「沖縄学」を先導した。天皇陛下への進講役もつとめた。沖縄師範学校の生徒として沖縄戦に動員され、激戦地の前田高地で従軍。疎開船の対馬丸で妹を亡くした。

  • 朝日新聞デジタル:天皇の火葬、中世は一般的 葬法、時代の価値観反映か - 文化トピックス - 文化

    印刷 メール 天皇の火葬、中世は一般的 葬法、時代の価値観反映か 昭和天皇の武蔵野陵と、参拝する天皇陛下。上円下方墳という形の陵に土葬されている 三重県で見つかった、平安時代の火葬された人物の墓。中央は骨を納めた器。有力な人物かその近親者を葬ったと考えられている 宮内庁は天皇、皇后両陛下逝去の際、皇室の近世以来の伝統である土葬ではなく、火葬を検討していることを明らかにした。日人はどのように火葬や土葬とつきあってきたのか。 ■納骨信仰で貴族も 儒教の武士は土葬 日列島で火葬が行われるようになったのは、かなり古い。縄文時代には各地の遺跡から火葬された人骨が見つかっているし、古墳時代にも、火葬された例はある。 だが、普及したのは8世紀以降だ。女帝・持統天皇が703年に天皇として初めて火葬されたのがきっかけといわれる。持統天皇は、自らの葬儀に際して、その簡略化(薄葬)を強く望んだため、火葬はそ

    朝日新聞デジタル:天皇の火葬、中世は一般的 葬法、時代の価値観反映か - 文化トピックス - 文化
  • 日中歴史認識 - 東京大学出版会

    日中歴史共同研究報告書の執筆者が贈る,日中問題の総決算――日版『我が闘争』として知られ,時代の荒波に翻弄された怪文書「田中上奏文」を主題に,今日に至るまでの日中関係と歴史認識問題の全体像を描く.蒋介石,ローズヴェルト,トロツキー,松岡洋右,そして戦後の東京裁判・国際検察局,フルシチョフ,江沢民など,多彩な人物が繰り広げる群像劇を通じ,歴史の真相と質に迫る. 序 章 「田中上奏文」とは何か 第一章 昭和初期の日中関係――1927-1931 一 「田中上奏文」の起源――東方会議前後/二 「田中上奏文」の流通/ 三 駐華日公使館と国民政府外交部/四 中国東北の排日運動 第二章 満州事変後の日中宣伝外交――1931-1937 一 満州事変/二 中国国民党と反日宣伝/三 上海事変と「田中上奏文」の流布/四 リットン調査団と日中論戦/五 リットン報告書と日中「協力」/六 国際連盟――松岡洋右・顧

  • s-book.net

    akakit
    akakit 2012/03/10
    天皇陵の誕生 テンノウリョウノタンジョウ■出版社: 祥伝社 ■著者名: 外池 昇
  • asahi.com(朝日新聞社):斉明天皇の墓、ほぼ確実 牽牛子塚古墳は八角形墳 奈良 - 文化

    墳丘の周囲に敷かれた切り石の並んだ形状から、八角形墳とわかった牽牛子塚古墳=奈良県明日香村、渡写す      大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=天智天皇)の母、斉明(さいめい)天皇(594〜661)の墓との説がある奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(国史跡)が、当時の天皇家に特有の八角形墳であることが確認された。明日香村教育委員会が9日、発表した。墳丘全面が白い切り石で飾られ、内部の石室も巨大な柱状の切り石で囲われた例のない構造だったことも判明。斉明天皇は巨石による土木工事を好んだとされ、被葬者が同天皇であることがほぼ確実になった。  明日香村教委は、飛鳥地方の古墳群と藤原宮跡の世界遺産登録に向け、牽牛子塚古墳を昨年9月から調査。墳丘(高さ約4.5メートル)のすそは上からみると八角形状に削られており、北西のすそから3辺分の石敷き(長さ約14メートル)が見つかった

  • 日本人のルーツ: INTEC JAPAN/BLOG

    EJでは日人のルーツについてメスを入れています。今日から連載するレポートも そのひとつです。なお、このレポートは、2001年4月2日から4月16日まで、1 1回にわたって連載したものであることをお断りしておきます。 --------------------------------------- 今朝から古代史の話をします。古代史の話といっても漠然としていますが、EJで取 り上げているのは日人のルーツにマトを絞っています。自分の国の歴史がはっきりし ない国は先進国では日くらいのものです。また、他国から抗議されて教科書の歴史的 事実を書き替えることを繰り返す国もおそらく日しかないでしょう。 なぜ、そうなってしまうのでしょうか。来であれば重要な手がかりになるべき「古 事記」や「日書紀」などの国の歴史書に大きな謎と意図的なウソの記述があり、当 のことがわかりにくくなっているからです。

  • お探しのページが見つかりません株式会社洋泉社 雑誌、新書、ムックなどの出版物に関する案内。

  • asahi.com(朝日新聞社):皇居内に22の防空壕、太平洋戦争直前に完成 - 社会

    太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年9月、皇居(東京都千代田区)内に22カ所の防空壕(ごう)が完成していたことが、朝日新聞社が宮内庁に開示を求めた資料でわかった。主に職員用だったとみられ、赤坂離宮(港区、現・迎賓館)にも14カ所造られていた。「簡易防空壕」と表記されているが、一部の工事仕様書から、内部を厚さ約2.5センチの板で囲い、防毒幕を張った充実した構造だったことがうかがえる。  開示された資料は、宮内省(当時)が作成した「防空関係工事録 内匠(たくみ)寮(りょう)」と「工事録 内匠寮」。「防空関係工事録」中の文書には、皇居内に計420人が収容できる防空壕21カ所が必要と記されている。開戦の9カ月前の41年3月3日に決裁されていた。  さらに、同年9月に工事が完了したことを示す文書もあった。それによると、皇居内にできた防空壕は予定より一つ多い22カ所。地下式と横穴式の2種類で、1

    akakit
    akakit 2009/08/14
    「皇居内に計420人が収容できる防空壕21カ所が必要」
  • http://www.asahi.com/culture/update/0118/TKY200801180087.html

    akakit
    akakit 2008/01/18
    奈良市の神功(じんぐう)皇后陵(五社神古墳)
  • asahi.com:吾輩は天皇なり―熊沢天皇事件 [著]藤巻一保 - 新書の穴 - BOOK

    吾輩は天皇なり―熊沢天皇事件 [著]藤巻一保 [掲載]週刊朝日2007年10月12日号 [評者]青木るえか ■熊沢天皇はデタラメ話だとよくわかる 天皇関係のオカルトというのは、天皇制について自由に論じることができる今の日においても、何かこう「触れてはいけない」ものを感じさせる。日各地から出現した「偽書」のたぐいは「日の深部をえぐる禁断の書!」みたいなもてはやされ方をされ、「現天皇とは別の高貴な血筋が今も脈々と受け継がれているのだ!」というようなことを言ってるのだが、よく読んでみるとあまりにも荒唐無稽で、そのとんでもなさがかえって「まさかウソつこうとしてこんなバカバカしいことは書くまい……ということはこれは真実の一片を伝えているのか」などと深読みまでさせられてしまう。貴種流離譚が好きなんだなよっぽど。 『吾輩は天皇なり』を読むべきである。天皇関係オカルト話は信じるほうがバカ。そう確信で

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