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考え方に関するakasataのブックマーク (6)

  • 自分の作品を殺す方法:大福らぼばなし - ブロマガ

    どこかの有名な人が自分の作品を無残に殺していると聴いたので。 さて皆さん、 「作品を殺す方法」 何だか分かりますか? 答えは簡単です。 「作者自身が作品の答え合わせをしてしまうこと」 これなのです。 これさえなければ作品は虫の息で生き延びるチャンスはあります。 しかし、これをしてしまったら最後、その作品はその時点で息の根が止まるのです。 別にそれは廃れる腐るとか壊れるとかそういう事ではなくて、生物だったものが剥製になったようなもので、見た目は生前と変わらないけど動かないし呼吸もしないのです。 私は主に音楽を作っているので音楽の場合の話をしますと、 ある音楽に対して、聴く人が解釈をする事が出来ますね。 そして人によっては、自分なりの解釈や考察をアウトプットしてブログなどに書く人も出てきます。 それは自由です。なぜなら、聴いた人の一人ひとりの解釈だから。 公式ではなく、聴いた人たちのファンメイ

    akasata
    akasata 2013/01/28
    なるほど
  • 数学科の大学院に進むとはどういうことか? - Willyの脳内日記

    大半の人から数学は無味乾燥なものだと思われている。 いったい数学科の大学院まで行く人は何をやっているのだろうか。 英語掲示板に「これ以上ない!」 というくらい上手い解説を見つけたので紹介しよう。 (ちなみに原文はこちら) ---- 質問: 数学科の大学院生は毎日何をして過ごしてるの? ただ単に机の前に座って考えているだけ? -- ヤーシャ=バーチェンココーガン, MIT 大学院生 回答: たいていの場合、数学の大学院に行くっていうことは、 や論文をたくさん読んで何がどうなってるのか理解することだ。 難しいのは、数学を読むっていうのは、 ミステリー小説を読むのとは違うし、 歴史を読んだり、ニューヨークタイムズの論説を読むのとも、 違うって言うことなんだ。 一番の問題は、君が数学の最前線にたどり着くまでの間、 概念を説明する言葉さえほとんど存在していないっていうことだ。 例えて言え

    akasata
    akasata 2012/12/02
    なるほどw
  • 人は禁じられた方向に努力する - レジデント初期研修用資料

    組織やチームの文化というものは、スローガンや目標ではなく、日常の動作やおしゃべりにおけるちょっとした制約が作り出す。 「全部英語」は極端であるにせよ、その会社、その組織、その業界独自の言葉や言い回しを作ったり、あるいは「その場で発してはいけない言葉」を作って共有すると、その場には独自の空気が生まれる。外から入ってきた人が「その組織の人」になるまでの時間は、そうした空気がある場所では大幅に短くなっていく。 制約が空気を作る 「ノー」を禁じた組織には、「ノー」を表現するための語彙が増えていく。「現実的に」を禁じた会議室からは、実際に実現できるアイデアが増えていく。 何か到達したい状態があるのなら、それを目標として声高に叫んでみせるよりも、目標と反対側の単語を禁じてやると、人間は案外、その方向に能力を発揮する。 内科医の会話から「外科」という言葉を禁じると、「外科に相談」みたいに便利な言葉が一切

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    akasata 2012/09/24
    ふむふむ
  • 経営戦略と作戦と戦術と商品開発を定義してみる件 - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    fromdusktildwawn氏のブログとshi3z氏のブログのやりとりを見て思ったことを書く。 from氏のブログでは経営戦略と商品開発という用語が登場する。 shi3z氏のブログでは戦略、作戦、戦術、兵站という用語が登場する。 それぞれの議論や主張はよく類似のものを見かけるので、きっと、それなりに正当性があるのだろう。残念ながら、彼らのバイブルだろうビジネス書や銀英伝の類は読んでいないのでここでは言及しないことにする。 ただ、彼ら自身の文章からも定義や表現を苦労している節が伺える上記の用語については、きっと読者はもっと混乱しているだろうから、なにか即興で、もうちょっと理系的でもうすこし厳密な定義を与えることはできないかと思って考えてみた。 まず、戦略、作戦、戦術とはなにか?5分ほど熟考した上でのぼくの結論はこうだ。戦略、作戦、戦術のどれにもあてはまる。 一、 (効率性)怠け者が手を動

    経営戦略と作戦と戦術と商品開発を定義してみる件 - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
    akasata
    akasata 2012/04/18
    ふむふむ
  • 開発プロセスとしての伽藍とバザール - yojikのlog

    わかりやすく、21世紀現在の言葉で、伽藍とバザールという対比を現実社会に当てはめると、もっとも近いものは、ウォーターフォールvsアジャイル だ。 artonさんが述べているように、伽藍とバザールは、OSSのアジテーション文書とかハッカー賛美の書ではなく、実際にはESRがFetchMailの開発をすることによって得たバザール方式開発プロセス*1のプラクティスを紹介するエッセイです。 コードをオープンにすることは必要条件であって十分条件ではない。コードをオープンにすることは、それ自体が目的じゃなくて素敵なソフトウェアを自然につくるための手段にすぎない*2。一般的な開発者の数百倍の生産性をたたき出すハッカー賛美などはどこにも無い。 いくつか興味深い部分をピックアップしてみましょう。 6. ユーザを共同開発者として扱うのは、コードの高速改良と効率よいデバッグのいちばん楽ちんな方法。 これは、XPな

    開発プロセスとしての伽藍とバザール - yojikのlog
  • おれはやらない/好きじゃない/興味ない、は批判になってない - naoyaの寿司ブログ

    例えば自分は、あまりシューティングゲームや(近年の) 格闘ゲームはやらないし興味も持っていないけれども、だからといってシューティングゲームや格闘ゲームが楽しいという人たちの気持ちは理解できないことはないし、一定数以上のファンがいることは普通に納得できる。音楽に関して、AKB48やEXILEやももクロとかは聴かないし観ないけれど、まあ、そういうエンタテイメント産業やカルチャーとかがあって、それを楽しむ人たちがいるんだろうなとも思う。おそらく、同様の感覚を持っている人が大多数だと思う。だが、ネットサービスや、ソーシャルゲームに関する批評なんかを見ていると、自分はやらないとか興味がない、あんなのにはまるやつはおかしいみたいなものがさも批判のような形でまかり通っていることがあるように見える。この手の発言は、批判ではなくて、単に自分が興味がないということの表明でしかなくその言論には何ひとつの価値もな

    akasata
    akasata 2012/01/30
    ふむふむ。それでも、ソーシャルゲームに関する言論は少し風向きが変わってきた印象がある
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