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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/handoroya (4)

  • “ほんとうの立石流”の話 - はんどろやノート

    今日は“立石流”について書きたいと思います。 立石流とは、アマチュアの強豪の“立石さん”が発案したという力戦四間飛車のことで、90年代から将棋道場などでもよく見られるようになった戦法です。アマチュア将棋では今でもよく指されます。 僕が調べたところ、この戦法がアマの一部の人達のあいだで流行ったのが1991年で、プロが「ちょっとやってみた」のが1992年と思われます。 田尻隆司-横山公望 1991年6月 これは『将棋年鑑』の平成4年版に掲載されていた棋譜で、アマチュア竜王戦の準決勝。 『将棋年鑑』の解説には、この将棋の序盤を、〔珍型だが、これが最近よく見られる“立石流”。〕と書いてあります。 これを読んで僕はちょっと驚いたのです。3五歩~4二飛として、4四歩を突かない――「この形が“立石流”の来の姿だったのか!」、と。 僕は、3五歩~4二飛として、玉を安定させた後、そこで3二飛~3四飛とする

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  • 内藤大山定跡Ⅳ  大山康晴の「角交換ダイレクト向かい飛車」 - はんどろやノート

    大石直嗣著『ダイレクト向かい飛車』。先月、書店で購入しました。 『佐藤康光の力戦振り飛車』といっしょに。 大石直嗣 →「おおいしただし」と読むのですね。(なおつぐかと…) 大阪出身、森信雄門下の23歳。まだ彼のことを新人と思っていたのですが、もう六段なのか。 「角交換ダイレクト向かい飛車」が流行っているらしい。 この将棋のルーツは、1972年の「内藤-大山戦」にあります。 ▲7六歩 △3四歩 ▲2二角成 △同銀 ▲8八銀 △3三銀 ▲7八金 △2二飛 内藤国雄-大山康晴 1972年 ▲6五角 初手より「7六歩 、3四歩、2二角成」が“内藤大山定跡”。(僕が勝手に名付けた。) 内藤・大山戦ではこれが6局目。この将棋は、大山康晴王位と内藤国雄挑戦者とのあいだで争われた王位戦七番勝負の最中に行われた一局。(その王位戦はついに内藤国雄が大山へのコンプレックスを跳ね返して、内藤新王位が誕生することに

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  • 1955王将戦 升田の復活 - はんどろやノート

    升田幸三の夫人升田静尾さんの語りによる『鬼手仏心』によれば、升田幸三はノコギリで木を切るのが大好きだったそうです。 この頃の夫婦は、「○○ですか。」とか、「○○しなさい。」とか、敬語だったりするのがなんか、いいですね。その距離感が。(そういえば、『サザエさん』の波平さんとフネさんがそうか。) 1955年第5期王将戦七番勝負第1局 升田幸三‐大山康晴戦 対局日は1955年12月13・14日。王将は大山。挑戦者は升田。 前年度1954年度の名人戦は升田幸三が挑戦者になりましたが、名人大山康晴が4-1で防衛。その年はその後升田はA級順位戦を病気休場。盲腸の手術で入院もしましたが、悪いのはそれだけではなく、いろいろあったようです。 升田さんは1955年の順位戦には復帰して、しかし完調というわけではなく、体をいたわるように対局に臨んでいました。それまでの「全力で疾走するような将棋」ではなく、「マラソ

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    akihiko810
    akihiko810 2014/03/02
    角換わり棒銀 升田流▲3八角打
  • “初手5六歩”の系譜  間宮久夢斎とか - はんどろやノート

    この図は2008年の女流棋戦倉敷藤花戦(三番勝負)の第2局の将棋。 先手番、里見香奈(当時16歳)の、“初手5六歩”。 今日は“初手5六歩”がテーマです。 里見さんは第1局と、この第2局を勝って、2―0で「倉敷藤花」のタイトルを奪取、、初タイトル獲得となったのでした。(里見さんはこのタイトル戦の前までは清水市代に勝てず、4戦全敗だったのです。) “初手5六歩”の将棋で初タイトルを決めたのでした。以後の活躍はご存じのとうりです。 その2年後に甲斐智美さんがやはり初タイトルを獲得します。そのマイナビ女王戦五番勝負の第1局に指した甲斐さんの手が、やはり、“初手5六歩”でした。 また、昨年、16歳の、女流プロになったばかりの長谷川優貴さんがマイナビ女王戦五番勝負の挑戦者となりました。上田初美女王には勝てずタイトル獲得とはなりませんでしたが、これは前途洋々たる未来を感じさせてくれます。その長谷川さん

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