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・大地を耕すことはそもそも人間本来の使命であったから、人間はその生活史のあらゆる段階を通じて、とくにこの原始的な職業を愛好しているように思われる。 ・大資本家に生まれついた者には、たとえかれが生来の節約家であるとしても、かかる緻密な注意を行きわたらせることは、まずほとんど不可能である。そういう人の境遇は、当然のことながら、かれにとってほとんど必要のない利潤などに注意を向けさせるよりも、むしろ、かれの好みを満足させる奢侈装飾のたぐいに注意を払うような気になるものである。 ・奴隷の仕事というものは、一見したところ、かれらの生活費だけ出せばよいように見えて、その実、結局もっとも高くつくことを明示していると思う。財産を取得できない人間は、できるだけたくさん食べ、できるだけ少ししか働かないことだけを考え、ほかにはなんの関心も示さないものである。奴隷の生活資料をまかなうのに十分な量を超えて、さらに仕事
ペテルブルグに上京したとたん、この男の部屋にずっと居候しているのは、たんにけちくさい節約のためばかりではなかった。 むろんそれがいちばんの理由ではあったが、じつはほかにも理由はあったのである。 かって世話を焼いたことのあるレベジャートニコフについて、彼はまだ田舎にいる時分から、ある噂を耳にしていた。つまりこの男は、きわめて先進的な若い進歩派のひとりで、しかも、ある興味深い伝説的なサークルで重要な役割すら果たしている、というのだ。これには、さすがのルージンもびくついてしまった。なんにでも通じていて、いっさいを軽蔑し、あらゆることを暴きたてるこういった強力なサークルを、ルージンはもうずいぶん前から怖れ、何かとくべつな、それでいておよそつかみどころのない恐怖を感じていたのだった。(亀山訳14ページ) まえせつ その一。この部分以下、ルージンがレベジャートニコフの部屋に居候する理由を説明している。
恍惚の鵯 ヒヨドリin ecstacy 2 11月の初めの澄み渡った青空に 忽然と現れた無数の金の珠が やっと赤黒いあんぽ柿みたいになったのは2023新年の初め ヒヨドリたちはいちはやく その変化を察知し 誰よりも早く 鈴なりの柿に飛びついた 結果、豆鉄砲を食らった鳩が 脳天をやられて 狂った猿面冠者の顔になった ーーというわけである そう、その顔が もう30年以上前に 隅田川土堤の草原に 出現した時の驚きとともに甦る 野生化したピラカンサスの 鮮烈なダイダイ色が 目の周りに黒い輪を描いた ヒヨドリの顔の背後にあった ヒヨドリは ピラカンサスの実をたらふく食べ終えたばかりで そのヒヨドリと偶然にも目を合わせてしまった 築地の職場を抜け出して 佃島を散策する習いのできた ある秋の日の昼下がりのことだった
【講読ノート新シリーズ】 千一夜物語 『千一夜物語』は9世紀の半ば、サラセン帝国の最盛期にその原形が作られたアラビア文学史上稀有の説話集である。18世紀にアントワーヌ・ガランのフランス語訳によってヨーロッパに初めて紹介されたこの物語は、フランスの人々にイスラム世界の再発見を促し、その後も多くの作家たちに影響を与え続けてきた。 (マルドリュス版・佐藤正彰訳に準拠)
ポストコロニアリズムには、なぜかくも誤解やら対立が多いのだろうか。二つの理由があると思う。一つの理由はサイード自身にある。サイードの本を何冊かちょっと吟味してみると分かるのだが、『オリエンタリズム』だけは突出して読みやすく単調な議論で埋め尽くされているのだ。これが本当にサイードの著作だといえるのだろうか? とくに注目したいのが『オリエンタリズム』と『文化と帝国主義』の前半部との間にあるギャップである。どちらも主著なのであろうが、前者をポストコロニアリズムの基本書と理解する人と、後者をポストコロニアリズム的思索の事例と考える人とでは、ポストコロニアリズムの解釈が大きく異なってきてしまうのだ。私の立場はどうなのかといえば、『オリエンタリズム』のナイーブで単純な議論を真に受けてはいけないし、初学者は読んではいけない本であるとすら思う。ポストコロニアル理論を理解したかったら、サイードでいえば『文化
『夏物語』の英訳版『Breasts and Eggs』を 愛読していただいているナタリー・ポートマンさんが、 ぜひインタビューを!ということで、お話しました。 インスタグラムに、映像をアップしています。 はじめに、新型コロナウイルス感染症に罹患された皆様、および関係者の皆様にお見舞い申し上げます。 また、医療従事者をはじめ最前線でご尽力されている皆様に、深謝いたします。 目に見えない強い不安と爽やかな初夏の光が入り混じり、ふとそれらの見分けがつかなくなるような奇妙な日々が続いていますが、事態の一日も早い終息を願うとともに、皆様におかれましてはご自愛専一のほど、心よりお祈り申し上げます。 わたしの近況を少しお話させていただくと、本当なら、このたび英訳が刊行された 「Breasts and Eggs」にまつわるあれこれでアメリカにいる予定だったのですが、すべて来年に持ち越しとなってしまいました
kenzee「前回の続き。小沢健二さんの歌詞とはなんだったのかのその2。前回、村上春樹のデビュー時における日本語小説へのアプローチと実験の話で終わった。村上はデビュー作をまず、タイプライターで英語で書いた。それを原稿用紙と万年筆で自分で日本語訳していった。結果、今でも議論の分かれる「乾いた文体」が生まれたのである。まず、すでにアルフレッド・バーンバウムによって英訳されたデビュー作「Here The Wind Sing」から有名なチャプター11のシーンを読んでみよう。N・B・EポップステレフォンリクエストのDJのオープニングトークだ」 DJらしいカッコいい響きの英語であることがおわかりいただけるだろう。英語の優れた点は「Greatest Hits Request Show,~NEB Radio」のようにルーズな発音だとあまり意識しなくても簡単に韻が踏めるところだ。この英語の小説の作者は「カッ
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