先日久し振りに会った知人は、体の一部が不自由な人だ。 仮にK嬢としよう。 私は以前から彼女をとても尊敬している。 体の不自由さをものともしない強さや姿勢、生き方に圧倒される。 (一度だけ、仕事でうまくいかない原因が、この不自由さのためかも しれないという弱音を聞いたことがあるが、そのときだけだ) 相変わらず彼女は前向きだった。 できないことはあるけれど、補う方法はいろいろある。 できることを見つけて、試行錯誤を厭わないのだ。 やはり凄いと感心したところで、ふと気がついた。 不自由さに負けないことは、確かにすごいことだ。 だが、彼女自身は不自由さを飲み込んだ上で、できることをしている。 私にはないその不自由さは、彼女にとっては当たり前のことなのだ。 それを偉いと讃えることは、むしろ失礼に当たるのかもしれない。 彼女の条件を見て我が身を振り返り、思った。 自分の当たり前に比べて、何という不利を