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2020年11月10日のブックマーク (2件)

  • 「ムーアのパラドックス」再考 再訪

    20 「ムーアのパラドックス」と論理 小口裕史 Ⅰ 「ムーアのパラドックス」と「主張の論理」 「ムーアのパラドックス」という呼称がウィトゲンシュタインによるものであることは よく知られている。そしてマルカムによれば、ウィトゲンシュタインは「自分に深い感銘 を与えたムーアの唯一の仕事は、 『雨が降っている、しかし私はそのことを信じていない』 というような文に含まれている特殊な種類の無意味さ(the peculiar kind of nonsense)の 発見である、とかつて論評した」という 1)。 「ムーアのパラドックス」は、ウィトゲンシュタインがムーア人に宛てた手紙の中で 賞賛したように、 まさしく 「一つの発見 .. 」 であった。 それはムーアが 「主張の論理 .. (the logic of assertion)について重要なことを述べた」からであり、このパラドックスが「論理は論

  • 『共同幻想論』と『想像の共同体』―似て非なる問題関心とその射程|Theopotamos (Kamikawa)

    『共同幻想論』吉隆明と『想像の共同体』ベネディクト・アンダーソンは書名が似ているためによく比較されている。例えば下記ように比較されている。 ・『共同幻想論』が出版されたのが1968年、『想像の共同体』が出版されたのが1983年で、吉隆明の方は先に書いているのですごい。 ・『想像の共同体』の方が『共同幻想論』よりも学術的であるのですごい。 両者は当に比較できるものなのだろうか?結論だけ先行させてもらうと、私は両者は別の問題関心で書かれているためそもそも単純に上記のような比較はできないのではないかと考えている。 私が読んだ限りでは、『想像の共同体』の問題関心は「近代国民国家」が人々の内面に立ち上がり「国民化」されていく過程にあると思う。問題関心はあくまで「近代」にある。一方で、『共同幻想論』の問題関心は近代に限らず「国家」という共同幻想が人々の内面に立ち上がった起源にまでさかのぼることに

    『共同幻想論』と『想像の共同体』―似て非なる問題関心とその射程|Theopotamos (Kamikawa)