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歴史と古代に関するamanoiwatoのブックマーク (5)

  • 謎の遺跡、未知の巨大古墳だった 被葬者は蘇我蝦夷かも:朝日新聞デジタル

    飛鳥時代の巨大な石張りの掘割(ほりわり、濠〈ほり〉)が出土した奈良県明日香村の小山田(こやまだ)遺跡で、石の抜き取り穴や排水溝など古墳の横穴式石室の痕跡とみられる遺構がみつかった。県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)が1日発表した。遺跡が7世紀中ごろに築造された未知の古墳だったことが確定し、「小山田古墳」と命名された。 一辺約70メートルの飛鳥時代で最大級の方形の古墳の可能性が高まった。これほど巨大な未知の古墳の発見は異例。被葬者像をめぐり、7世紀前半に即位した舒明(じょめい)天皇(593~641)か、乙巳(いっし)の変(大化改新の発端、645年)で滅ぼされた豪族の蘇我蝦夷(そがのえみし、?~645)との見方が出ている。 2014年に県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘調査で、多数の石材が張りつけられた掘割が出土。古墳の濠や居館、庭園などの見立てがあった。 今回、掘割の約65メ

    謎の遺跡、未知の巨大古墳だった 被葬者は蘇我蝦夷かも:朝日新聞デジタル
  • 奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「 破斯 ( はし ) 」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。 国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日の国際性を裏付ける成果となる。 木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。 表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「 員外大属 ( いんがいだいさかん ) 」という役職名、中国語でペルシャを表す「 波斯 ( はし ) 」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元

    奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 無限∞空間 別館 エジプト神話研究所

    ※このサイトは基的にパソコンからのアクセスを前提としているため、スマホからのアクセスの場合、レイアウトが崩れるか、動作しない場合があります。 ・コラム類の更新は ブログ のほうでやっています。 ・最近のエジプト創作物(小説類)は 外部に出しています。 ・各ページの更新状況はページ左上か右上の「Last Update:」の日付を見て下さい。日付のないページは古代遺跡です。 2023/10/02 レンタルサーバの設定が変わってエジプトRPGコーナーのDLが出来なくなっていたので、設定を修正しました。 ◆たまに更新する資料 神々名簿・新版 神話に登場する神々のデータベース。 古代王国 歴史之書-王権の記録- エジプト歴代ファラオ様リスト、随時更新。 王家の谷:墓一覧 日語の一覧表を作ってみた 古代エジプト暦とエジプト祭儀 古代エジプトの祭りに参加してみませんか。 エジプト学関連・人物名簿 世

  • 【世界ふしぎ発見!】「ローマ時代の奴隷は今でいうサラリーマンと同じ」…!?それってつまりどういうこと?

    リンク TBSテレビ 日立 世界ふしぎ発見! 「ヒトシくん人形」でおなじみの草野仁を司会者に、世界各地の「ふしぎ」をミステリーハンターがレポート。『日立 世界ふしぎ発見』の公式サイト。毎週土曜日 よる9時〜放送中! 36 users 188816 リンク Wikipedia ポンペイ ポンペイ(ラテン語: Pompeii、イタリア語: Pompei)は、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市。79年8月24日の昼過ぎ、ヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで知られ、その遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」の主要部分として、ユネスコの世界遺産に登録されている。 イタリア先住のオスキ人とヒーコ人によって集落が形成された。紀元前7世紀頃はサルノ川の河口付近の丘に集落があった。その後紀元前526年からエトルリア人に占領されたが、ポンペイ

    【世界ふしぎ発見!】「ローマ時代の奴隷は今でいうサラリーマンと同じ」…!?それってつまりどういうこと?
  • 奈良で出土の皿、ローマ帝国から? 化学組成ほぼ一致:朝日新聞デジタル

    奈良県橿原(かしはら)市の新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群(国史跡)の126号墳(5世紀後半)で出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国(前27~395年)領内で見つかったローマ・ガラスとほぼ一致した。東京理科大の阿部善也助教(分析化学)らの蛍光X線分析で分かった。国内の古墳出土品のガラス器がローマ伝来と科学的に裏付けられたのは初めて。 126号墳から皿とセットで出土した円形切子(きりこ)ガラス括碗(くびれわん=口径約8センチ、高さ約7センチ)の化学組成も、阿部さんらの分析でササン朝ペルシャ(226~651年)の首都、クテシフォンの王宮遺跡「ベー・アルダシール」で見つかったガラス片と同じと判明している。遠方の起源の異なるガラス器が5世紀の日に伝来したことを示すもので、幅広い東西交流の実例として注目されそうだ。 皿は口径14・1~14・5センチ。透明な濃紺色の高台のある平皿で、表面に鳥や

    奈良で出土の皿、ローマ帝国から? 化学組成ほぼ一致:朝日新聞デジタル
    amanoiwato
    amanoiwato 2014/11/13
    どのような壊れやすいものでも、それでも遺そうとするのは人の意志なのだな。
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