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歴史と手塚治虫に関するamanoiwatoのブックマーク (2)

  • 僕の頃の手塚治虫

    オッス!おら第二次ベビーブーマーだぞ。 1974年生まれぐらいの人から見て、手塚治虫ってこんな感じに見られてたなあっていう話。 僕が子供の時は各界に権威者つーか、記号みたいな人がいたのね。 美空ひばり=歌うまい、みたいな。石原裕次郎とかさ、リアルタイムじゃ「太陽にほえろ」しか知らんけど、あの固太りのおっさんのどこが恰好いいの?とか思ってても、裕次郎=二枚目、みたいな記号が権威をもってたんですよ。 いまさ、例えば歌姫って言っても、こーだくみも歌姫なら、浜崎だって歌姫でしょ。僕が子供頃だったら歌謡曲の女王ってたら美空ひばり、ミスタープロ野球ってたら長嶋茂雄、いや島倉千代子はどうなの、とか王貞治の方が記録を残してるよとか、そういう異論は通用しなかった時代なのね。 で、そういう時に、手塚さんは漫画の神様。 今だって神様だけどさ、もう当時はカテゴリー的には昭和天皇と同じカテゴリーなのよ。美空ひばりと

    僕の頃の手塚治虫
  • 手塚治虫少年はイジメられっ子だったというのはどこまで本当か - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

    こんなを読んでみました。 →『手塚治虫少年の実像』(泉谷迪・人文書院)(アフィリエイトつき) これは小・中学校(旧制中学校)と、手塚治虫と同学年で級友だった人による少年・手塚治虫に関する話で、子供の頃から天才だった手塚の思い出、というか別の人間による証言が語られていてなかなかいいでした。後半の「手塚治虫論」的な部分はまぁごく普通のテキストで、読めなくはありませんがそんなにお勧めするほどではありません。しかし前半部分は、戦前の「中の上流家庭(少しインテリ傾向あり)」に育った子供がどのように生きていたのかを知る意味では、別に手塚治虫という強烈キャラクター抜きでも面白いでした。 すでに知っている人はみんな知っていると思うのですが、手塚治虫は大阪教育大学附属池田小学校(当時の名称は「大阪府池田師範学校附属小学校」)出身です。あの事件で有名になったところ。で、祖父(手塚太郎)は元裁判官で、父(

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