7月21日の公開から3週間目で、世界興行収入が10億ドル(約1420億円)を突破した米ワーナー・ブラザースの映画「バービー」(グレタ・ガーウィグ監督)。米国の文化的アイコンで、時代を超えて愛され続けるマテル社のバービー人形を初めて実写版化したこのラブコメディは、すでに世界中で2023年を代表する1本になっている。 だが、中国に関しては、冷戦後最も悪化したとされる米中関係や、米国を象徴するバービー人形に思い入れのある人は少ないとみて、興収も当初は期待されていなかった。ところが、いざふたを開けてみると、北米以外では英国、メキシコ、ブラジル、オーストラリアに次いで中国が世界で5番目のドル箱市場となっているというのだ。 米紙ニューヨーク・タイムズは6日、「なぜ『バービー』が中国でスリーパーヒットになっているか」という見出しで、その理由について分析した。スリーパーヒットとは、映画やドラマ、音楽などで
7世紀末から8世紀の日本は、中央集権的な律令国家を目指し、中国(唐)の諸制度を導入するなかで、銭貨を発行した。奈良時代(8世紀)には和同開珎をはじめとする3種、平安時代(8世紀末~)には9種の銅銭を発行したが、その後、銭貨の発行と使用は途絶えていった。 7世紀後半 発掘からわかった和同開珎以前のお金 1998年の飛鳥池遺跡(奈良県明日香村)の発掘調査により、7世紀後半に富本銭(ふほんせん)がつくられていたことが明らかとなった。飛鳥池遺跡からは、富本銭とともに富本銭をつくるための鋳型やルツボ、やすりなどが出土した。 富本銭は、『日本書紀』天武12(683)年の「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ。」という詔に記された銅銭であると考えられている。 詔に書かれている銀銭は無文銀銭であると考えられている。無文銀銭はこれまで、畿内を中心とした15以上の遺跡から出土している。 8世紀
物々交換で経済が成り立っていた古代の日本では、米や塩、布などをお金の代わりとして使用していました。国内で初めてつくられた金属のお金(銭貨(せんか))は、7世紀後半、中国の銭貨を手本にした「富夲銭(ふほんせん)」とされています。 さらに和銅元年(708)には武蔵国秩父郡(むさしのくにちちぶぐん)(現・埼玉県秩父市)から国内で初めて自然銅が発見され、「和同開珎(わどうかいちん(ほう))」を鋳造しました。この「和同開珎」以降、平安時代まで2世紀半にわたり12種類の銭貨がつくられました。これら12種類は「皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)」と呼ばれています。 しかし、国内産の銅が不足したことや国家の財政難から、銭貨は新しく発行されるたびに質が落ち、民の信用を失います。結果、国内での鋳造は天徳2年(958)の「乹元大寳(けんげんたいほう)」を最後に打ち切られ、再び米や絹などがお金の代わりとして使わ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く