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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/gooshowa (3)

  • 伊藤博文を撃った男 - クタビレ爺イの廿世紀裏話

    伊藤博文を撃った男 安重根(アンジュングン)の真実 [ハルビンの凶変] 韓国で切手にもなっているこの男の事を、日人は殆ど知らない。          かって震え続けた山河、アリランの切ない歌が生まれた国がこの男を育んだ。1909年 10 月 26 日、この日、男は中国大陸の東北部の大都市ハルビンに居た。彼は一人の日人を待ち焦がれていたのである。それは当時、枢密院議長をしていた伊藤博文 68 歳である。伊藤は、大日帝国の進路を決めた明治の元勲である。ハルビン駅午前九時、北の大陸の朝の事であった。この二人の男の運命は、ハルビン駅のホームで交錯する。互いに面識があった訳でもなく、幾許かの言葉を交わした訳でもなく、ただ韓国の男が発したものは、六発の銃弾であった。伊藤博文暗殺の瞬間である。 安重根(アンジュングン)、これが伊藤博文を撃った男の名前である。それから丁度 90 年の歳月が流れようと

    伊藤博文を撃った男 - クタビレ爺イの廿世紀裏話
  • アイヌ天才少女の悲劇 - クタビレ爺イの廿世紀裏話

    アイヌ天才少女 知里幸恵の悲劇 [尊い萌(メ)] 1923年、『アイヌ神謡集』という一冊のが出版された。アイヌ民族の叙事詩・ユーカラを初めて日語に訳すという偉業を成し遂げたのは、学者でも研究者でもなかった。何よりも世間を驚かせたのは、その著者が 19 歳のアイヌの少女であった事である。彼女の名は『知里幸恵』、アイヌの天才少女であった。だが幸恵は、自らの著書の完成を待たずにその生涯を閉じていた。その死には、想像を絶する悲劇が秘められている。 アイヌの無名の少女の才能を愛し、出版の実現に奔走した男がいた。言語学者・金田一京助(国語学者・金田一春彦の父)である。当時は誰も見向きもしなかったアイヌ語研究に生涯を捧げた男である。幸恵の死後、彼女の日記からその心の葛藤を知った彼は、その墓石に縋り悔恨の涙を流したと云う。『アイヌ神謡集』の出版のため、命すら顧みなかった彼女の東京での暮し、その僅か四か

    アイヌ天才少女の悲劇 - クタビレ爺イの廿世紀裏話
  • 文革の女帝・江青 - クタビレ爺イの廿世紀裏話

    江青・文革の女帝 葬り去った暗黒の過去 [1]なぞの空白時間 謎に包まれた女帝・江青、その江青が、『藍嬪ランピン』と呼ばれた21歳の女優時代に、友人の『泰桂貞』と暮らしたアパートが、上海に残っている。この四畳半にも満たない薄暗い小さな部屋で、江青は何を夢見、何を見つめていたのであろうか? そんな藍嬪に降って湧いたような幸運が訪れる。1935年 6月 27 日、上海を代表する劇場の金城大戯院で、イプセンの『人形の家』の主役ノラの役を掴んだのである。こうして女優として認められて間もなく、彼女は、1936年 4月 26 日、杭州・六和塔で行われた映画俳優三組の合同結婚式の花嫁の一人となっていた。相手の『唐納』は当時の上海で最も人気のあった映画評論家である。しかし、この二人は性格が合わず、喧嘩が絶えなかったが 6月に、その二人の間に事件が起きる。唐納が離婚問題に悩んで自殺未遂事件を起こしたのである

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