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tvと評論に関するamanoiwatoのブックマーク (3)

  • バカリズムの笑いの本質は、『破壊』 - 無農薬有機お笑いブログ

    まずは結論から書こうと思う。 「バカリズムの笑いの質は、『破壊』である」。 これについて説明する前に、まずはバカリズムという芸人の基礎部分から評論して行こう。普通の評論はいらないという人は、行間が開いてるところまですっとばしてもかまいません。 バカリズムはプロ、ライトお笑いファン、コアお笑いファン、世間、どこに聞いても「あいつはおもしろい」と返ってくる、かなり評価の高い芸人である。しかし、私は違うと思う。いや、正確に言うと、「『おもしろい』とかそんな生易しいもんじゃねぇよ」といった感じだ。現在の高い評価なんて、まだまだ正当な評価とはいえない。それほどにバカリズムは凄い芸人だと私は評している。 バカリズムのお笑い能力の根底にあるのは、まず「発想力」である。これは多くの人がそう認識していることであろう。たとえばミランカで配信中の「内村さまぁ〜ず」にバカリズムが出演したときの大喜利では、「こん

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  • 仏友会/萬有お笑い研究所/俺が選んだナンシー関のことば。

    「萬有お笑い研究所」78号から、新メルマガの8号くらいまでに掲載した、ナンシー関の著作から俺が引用したものを集めてみました。なんとか引用の範疇に収まると思います。 メイルマガジンの時は、単行の発行年度順にならべていましたが、ここでは、雑誌メディアへの発表順に、できるだけナニしてみようかな、なんてね。 あ、「週刊朝日」掲載分は、単行に初出年度が書いてなかったので(ダメ出版社ですね)、おおよそで置いてます。 とくに更新履歴は示しませんが、新刊が出るたびに追加しております。 1989年3月「ラヂカル文庫」。 <自分のしている事が常識的なことなのか、それとも自分のまわりだけの単なる慣わしなのか考える事が、上京以来の私の癖である。> <だからといって私が他人の目ばかりを気にする人間だと思われるのは心外だ。そうゆう事ではないのである。私はただ、常識と非常識両方のパターンをたくさん知りたいだけ

  • 『銭ゲバ』と『ありふれた奇跡』(1) - ぼうふら漂遊日記

    最近には珍しく、今期は毎週楽しみに観るドラマが2つもあった。 既に何度かここでも触れている『銭ゲバ』と、山田太一最後の連ドラと言われている『ありふれた奇跡』。 『銭ゲバ』が終盤に入って急に失速している一方で、序盤、展開らしい展開がほとんどなくてちょっと退屈していた『ありふれた奇跡』の方は尻上がりに面白くなってきた。 まず『銭ゲバ』。これは意見が分かれるところだと思うが、僕はミムラ演じる緑を引っ張りすぎてると思う。 微温的な環境と資質に恵まれて生きてきた「持てる者」であるせいで、自己肯定的(であることを意識するまでもない)な性善説によって、自分の理解をはみ出したものを無自覚に切り捨ててしまっている緑は、脚の岡田恵和さん自身の立ち位置の投影でもあり、また現代の若い善意の視聴者一般の視点を仮託されてもいるのだろう。ドラマ版の『銭ゲバ』は、彼女にとって埒外の不幸や情念を銭ゲバから叩きつけられた緑

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