waruyoi @waruyoiseijin 日曜日なのに部活で超絶不機嫌に朝早く起きて学校へ向かった中2次男が数分後に「誰もいなかった」と帰ってきて、確認したら時間を間違えてたらしく悔しそうに泣き出してしまい、そんなに行きたくないんかと思ったら「ママを早起きさせてゴメン…!」って謝ってきて、この尊い動物を生んだのは誰ですか
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1 日に 1 ターンしか行動できない方、いませんか?私です。というか、私でした。 例えば、 その日美容院に行く予定があったら、美容院に行く以外のことは何も手につかない午後から人に会う予定があったので午前のうちに作業をしようと思ったが、結局何もできず時間を無駄にしてしまった午前中だけバイトのシフトが入っていて午後は時間があったはずなのに、気づいたら特に何もせず 1 日が終わっていたなど。 自分がまさにこれだったのですが、「理論的には自由に使える時間はたっぷりあったはずなのに、何もできていない」ということに強烈な無力感を覚え、悲しい気持ちになりがちでした。 しかし最近になってこれを解消する方法を見つけたので、私以外の誰かの役に立つかもしれないと思い、メモしておきます。 結論、 「複数の行動をチャンク化する」 ことが、1 日1ターン現象を回避することにつながるのではないかと感じています。 言い換
「手術禁止」を言い渡されるも… のちに赤穂市民病院が外部の有識者に依頼してまとめた「ガバナンス検証委員会報告書」などにもとづき、A医師の関与が疑われる医療事件を時系列順に総覧したのがこちらの図表だ。 報告書や地元紙「赤穂民報」などの報道によると、A医師はXさんの母を執刀した翌月にも、75歳男性の脳腫瘍の手術、84歳女性の脳梗塞のカテーテル治療を担当したが、ともに術後に重い脳梗塞や脳出血を起こし、亡くなっている。この時点で合計8件もの医療事故に関与していたA医師は、病院から「手術・カテーテルなどの侵襲的(患者の体を傷つける)治療の中止」を指示された。 その後の経緯は、記事の後半でもA医師の主張とともに触れるが、Xさんとその母に訴えられたA医師は、それから1年あまり経った2021年8月に赤穂市民病院を依願退職。ほどなく、前編記事で触れた大阪市の医誠会病院に勤務し始めた。 新たな事件が起きたのは
(お知らせ) この記事が要約版xポスト(Twitter)で290万ビューになるほど読まれて、川口市議と市民の皆さんの集まりに参加してお話を聞いてきました。その続編は以下リンクからどうぞ ・ 埼玉県蕨市と川口市周辺に集住しているクルド人と現地住民との間の軋轢はSNSでも度々話題になっていますが、先日蕨駅前の外国人排斥デモに対してクルド人群衆の一人が「日本人●ね!」と叫んだという動画(ただし諸説あり)が出回っていて、さらに相互憎悪が募る結果になっています。 「アベマプライム」でも取り上げられていました(トップ画像は番組映像から) ただ、この番組↑、あまり背景情報とかをちゃんと取り込まずにテキトーに印象論をぶつけあって終わってしまったような感じになっていて、ちょっと良くない扱い方だったように思います。お互いに余計に不満がたまる感じで。 一方で、今月はじめにこの問題がNHKで取り上げられた時の内容
当方のスペック: 某国立大卒20代女、ASD+ADHD持ち 親族も知ってる限りほぼ全員特性持ちの発達障害家系。 ただ同時にみんな世間的にはお勉強ができる部類で、下品だけど具体的に言うと全員早慶以上の大学は出ている。そして私も含む全員が知識労働に従事しており、平均年収よりは良い給与を頂いている。 本当にめちゃくちゃラッキーな事例だと思う。 私はこれまでいわゆる学歴厨的な考えは持っていなかった。半年でスマホ3台無くしたり、鍋を空焚きしてボヤ騒動を起こすような人間が、たまたまペーパーテストが得意だったというだけで世間的には有能判定されるなんておかしい。 しかし自分が結婚・出産を視野に入れるようになって、「高学歴」という一点だけにどれだけ私や家族が支えられていたのか、逆にこんな人間に学歴がなければ一体どうやって生きていけたのだろうか、と考えるようになった。 実際、大学時代にやったカフェや居酒屋のバ
JBpressで掲載した人気記事から、もう一度読みたい記事を選びました。(初出:2022年6月29日)※内容は掲載当時のものです。 (勢古 浩爾:評論家、エッセイスト) ※本稿は『定年後に見たい映画130本』(勢古浩爾著、平凡社新書)より一部抜粋し、加筆したものです。 わたしは子どもの頃から映画を見るのが好きで、読書なんかよりよっぽど好きだった。 わたしたち団塊の世代は、「名画」といわれるものが量産されていた時代でもある。「名監督」もたくさんいた。そしてわたしたちはなぜか、『灰とダイヤモンド』とか『王女メディア』『華氏451』『気狂いピエロ』など、「名画」といわれる映画を、だれに強制されたわけでもないのに、ある種の強迫観念のように、義務として見ていた。 いま考えれば、けっこうめんどくさい時代だった。映画は娯楽であり、同時に、勉強(教養)でもあったのだ。 現在でも、わたしは毎週のTSUTAY
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