沖縄返還前の姿を見ておこうと昭和46年<1971年>12月16日 パスポート代わりの日本政府・総理府発行の身分証明書を持参して RYUKYU GOVRNMENTを訪問した。 身分証明書には「本土と沖縄との間を旅行する日本人であることを 照明する」内閣総理大臣と印刷されていた。 当時の沖縄の国際通りは正に外国風景、タクシーは基本メーターが 20セントだ。ちょっとそこまで行くのもタクシーに乗った方が 靴が傷んで修理するより安い時代だ。メイン大通りには電柱などは 見当たらない。いつでも航空機が着陸できるようの為だ。 当時の繁華街は波の上で、キャバレーなど華やかな雰囲気の 場所だった。ウイスキーのホワイトホースが1本5ドル、 波の上で水割り飲んでも1杯1ドルだった。 日本を発つとき持ち出しのドルは身分証明書に書き込んだ。 琉球、今思い出すと不思議な感じを思い出す。 大阪南の千日デパート火災は当時未