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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (39)

  • カエサルが好きだった友人Rくんのこと - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくには高校時代にRという同級生がいた。親友というわけでもなかったが、時々話をするような間柄だった。当時は友だちとは思っていなかったけれど、今なら友人と言っても良いかも知れない。とにかく、そう親しいわけではないけれど、話せば楽しくお喋りできる、そんな間柄だった。Rはちょっと変わった人間だった。ちょっと、と言うか、かなりの天然ボケで突っ込まれキャラだった。なんと言うか落ち着きがなく、いつもちょっとオドオドとしていて、せっかちで、早とちりだった。会話をしていると、いつも相手の語尾にかぶせるような相槌の打ち方をした。あるいは、相手の話を遮って自分の話を始めることもしばしばだった。だから、会話はけっして上手かったわけではない。むしろ下手な方だった。そのため、親しく話すという人もそう多くなかった。 けれども、ぼくとは話が合った。と言うのは、ぼくは会話をしながらいつも色々考えてしまうくせがあって、ペラ

  • 生きるための水を飲むように嘘をつくハックルベリー・フィン - ハックルベリーに会いに行く

    小説「ハックルベリー・フィン」の主人公、ハックの際立った個性の一つに「嘘をつくこと」というのがある。それも特徴的なのは、まるで「生きるための水を飲む」ように嘘をつくことだ。 「ハックルベリー・フィンの冒険」の登場人物は、ほぼ全員が嘘をつく。ここにはありとあらゆる嘘つきが揃っていて、いわば嘘つきの見市の様相を呈している。中でもハックの嘘のつき方は際立っている。彼は、他とは違っていつも全くなんの構えもなしに嘘をつく。剣豪で言うなら殺気がない。露ほどの殺気も感じさせないまま、真正面からいきなりバッサリと袈裟懸けに嘘をつくのだ。その他の登場人物は、嘘をつく時には嘘をつく時なりの独特の雰囲気を漂わせる。この小説には、嘘をつくことをまさに職業とする詐欺師が登場するのだけれど、そうしたプロにおいても、その嘘には嘘ならではの独特の胡散臭さがつきまとう。しかしハックにおいては、そうした気配が微塵も感じられ

  • うすらバカを目立たせるのがはてなのブコメ - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくは頭の良い人が好きだ。その一方でバカも好きだ。嫌いじゃない。だけど嫌いなのはうすらバカだ。これは当に心の底から嫌いだ。はてなにはバカが一番多い。これは確かなことで、誰にも否定しようがないだろう。次に、少数ながら頭の良い人もいる。これは時々当に感心させられる。強いインスパイアを受ける。そして割合としては一番少ないのだが、一握りのうすらバカがいる。これにはうんざりさせられる。彼らは徹頭徹尾役立たずで、存在価値はプラスでもマイナスでもなくぴったりゼロである。毒にも薬にもならないとはこのことで、煮ても焼いてもえないから当に始末が悪い。そしてはてなブックマークは、バカを可視化させると同時に、頭の良い人を目立たせないというシステムがある。そこまでは良い。そこまでは現実の世界をそっくりそのまま写し取ったようなものでもあるからだ。しかしはての一番質が悪いところは、数としては一番少ないはずのうす

    aozora21
    aozora21 2008/10/31
    秋になるとバカの話で盛り上がるはてな。
  • ネガコメを書く人というのは嫉妬だった - ハックルベリーに会いに行く

    そうか、はてなブックマークにネガコメを書く人というのは「嫉妬」だったんだ。「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為」をしていたのだな。そうして「これを嫉妬と云う」らしい。 「一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する」というのは、喜んでネガコメに星をつけているイナゴたちのことだろうね。「来ならば相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ」けど、ネガティブコメンターはそれをしない。なぜなら「嫉妬している方が楽だから」だ。はてなは「そういう輩(やから)の固まりみたいなもん」なのかも知れないね。 ただ、「そんなことで状況は何も変わらない」らしい。そして「現実は正解」ということだ。「時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ」という言葉は、そのままネガティブコメンターに届けたいな。しかし

    aozora21
    aozora21 2008/10/19
    それをいっちゃおしめえよ…確証のないことを断定してもではその心は?と問われたら答えに窮してしまう。談志師匠の説教の引用の重要部分は「現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ」だと思いました。
  • 親切は難しい - ハックルベリーに会いに行く

    今日の帰り道、電車に乗っていたら関西弁のよく喋る二人連れの女の子が乗ってきた。ぼくの隣が一席だけ空いていたので、一人の女の子が座り、一人の女の子が立っていた。ぼくは座ることにそれほどこだわってなかったので、思わず立ってもう一人の女の子に席を譲ってやろうかとも考えたけれど、変に譲るとその後ちょっと気まずい雰囲気というか、変にぎこちない空気になるのは目に見えていたので、結局譲るのはやめにしてしまった。人に親切をした後に普通にしていられるなら良いのだけれど、ぼくは自意識が強いので、その後何か見返りを求めてるんじゃないかと勘ぐられるのが嫌で、どうしても普通にできないのだ。みっともない話だが、例えば「ナンパしようとしてるんじゃないかと思われてるんじゃないか」などと考えてしまうのである。あるいはお年寄りに席を譲るのも、「年寄り扱いされて嫌な気分になるんじゃないだろうか」とか、考え始めるともう席を譲れな

    aozora21
    aozora21 2008/10/16
    席を譲るときは声をかけると同時にその場から去りますね…。
  • いつか生け贄にされてしまう人 - ハックルベリーに会いに行く

    時々生け贄にされるために生まれてきたかのような人を見る。そういう人を見るといつも思い出すのは、昔ジャイアンツにいた野村貴仁だ。野村貴仁は、ジャイアンツにいた1999年に、ヤクルトのロベルト・ペタジーニから、それをきっかけに結果的に優勝を逃すことになるあまりにも印象的なサヨナラホームランを打たれている。この時、ヤクルトの監督だった若松勉は、ペタジーニのホームランの見事さに感激して、このような言葉を残している。「あいつはホームランを打つために生まれてきた男だ!」しかしぼくは、この言葉の裏に潜む皮肉について苦笑せざるを得なかった。もしペタジーニが「ホームランを打つために生まれてきた男」であるというなら、打たれた野村はさしずめ「ホームランを打たれるために生まれてきた男」ではないか。そして実際、野村というピッチャーにはそうした悲劇的(喜劇的)な側面がいつもつきまとっていた(数年後、覚醒剤を使用したか

    aozora21
    aozora21 2008/09/20
    ネットのスミズミをオチし続けるとこういうものが見えてくるみたい。牛の首みたいな怖い話だ。
  • 渋谷にアムウェイの人たちがよく集まるカフェがある - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくは友だちがとても少ないのだが、それでもいないわけではない。ほんの数人、親しい友だちがいて、時々一緒にご飯をべたり、お茶を飲んだりする。 その友だちの一人にMという男がいる。Mはぼくの後輩なのだが、今ではもう友だちのような関係だ。Mもぼくも渋谷の近くに住んでいるので、会う時は渋谷が多い。電話をして、ちょっとお茶でも飲もうよという感じになり、カフェでよくお茶をしたりする。カフェに行く時、ぼくはスターバックスが好きなのだが、Mはタバコを吸いたいので、他の店に行くことになる。スターバックスは禁煙でタバコが吸えないのだ。ぼくはタバコを吸わないのだが、Mと一緒の時は、Mに合わせてタバコの吸える店に行く。ぼくは、近くにタバコを吸う人が多かったので、タバコを吸える店に行ってもそう苦にすることはない。 ある時、それは夜の9時頃だったのだけれど、渋谷で会っていたぼくらは、じゃあお茶でも飲もうかということ

    aozora21
    aozora21 2008/09/04
    「そして友人は僕を勧誘し始めました」というオチを期待していたw/小さい子どもがいて社会や友だち関係から遠ざかっている主婦がはまりやすいのも似た心理かも。
  • はてなで釣りをするのは良くないと申し上げたい - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくははてなで釣りをするのは良くないと申し上げたい。理由はいくつかありますが、嘘をついて人をだまくらかしても、その時は楽しいかも知れませんが、後で心にぴゅうと一陣虚しさの風が吹きすさぶからです。人を呪わば穴二つで、それは必ず自分に返ってきます。天網恢々疏にして漏らさずで、悪いことをしても必ずお天道様にお咎めを受けます。誰かがどこかで必ず見ています。おはようからおやすみまで、暮らしを見つめるライオンです。少なくとも自分自身にはそういう惨めな行為をするところを見られている。人を釣るというのは自分自身を損なう行為です。だから釣りなどというくだらないことはやらない方が良い。もっと穏やかに生きましょう。もっとみんなが幸せになるようなエントリーを考えれば良いではありませんか。喧嘩などをしたってなんの得にもならないのです。議論を重ねたからといって問題が解決した試しなどないではありませんか。何事も建設的に

    aozora21
    aozora21 2008/08/22
    意図とか真意を知りたがるてのはありますよね…それにあんまり関心がない私は『ハックルベリーに会いに行く』が大好きだ!
  • id:guri_2氏の映画評に対する率直な感想 - ハックルベリーに会いに行く

    ポニョ見て泣いた。これは宮崎駿が見てきた夢じゃないか。 - Attribute=51 ポニョ見て泣いた。これは宮崎駿が見てきた夢じゃないか。違う。これは「宮崎駿が見てきた夢」ではない。夢を過信してはいけない。エンターテインメントは、あるいは表現というのは、夢とは違うんだ。それは筒井康隆の一連の夢小説群を読めばよく分かる。黒澤明の「夢」を見ても良い。夢は創作物に比較的安易に面白さを貸与できるけれども、それは結局大切な何かには最終的に届かない。夢などというのは誤解だ。いしいひさいちは喝破している。人の夢を聞かされるほどたいくつなことはないと! だから、これを夢などと言ってはいけないし、安易に夢であると思ったり、それを良いことだと思ってもいけない。 深夜の六木に「崖の上のポニョ」を見に行った。久しぶりに映画見て大号泣した。号泣、それも大号泣するというのはおかしい。そういう見方にはならないはずだ

  • ブログについて4つの悩み - ハックルベリーに会いに行く

    最近なんですけどブログのことで悩んでいます。悩みはいくつかあります。数えてみたら主に4つでした。それらは当にどうすれば良いか、なかなか答が出ません。 1つめの悩み「はてブについて」まず悩んでいるのははてブです。これが全く分からない。はてブとは一体何なのでしょうか? よく分かりません。ぼくははてブが好きです。できればブックマークしてほしい。ブックマークコメントも読みたい。それはもちろん、嬉しいコメントであれば嬉しいですが、disりコメントであってもかまいません。よっぽどのはいやですけど、よっぽどのでなければ読みたいです。ブコメの良いところは返事をしなくてもいいところですね。そこが好きです。 はてブ、それが悩みです。どうすればブックマークされるのか、それが全く分かりません。それはもちろん、ブックマークしようと思って頂ければブックマークして頂けるのでしょうけど、そのブックマークしたくなる心理と

    aozora21
    aozora21 2008/07/27
    ウチも子どもたちとお互いブログの存在もアドも知ってますが関心持ち合わないですね…/なんか距離感のあるとぼけた感じが好きですね。
  • ぼくの知り合いのとてもモテる人について - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくの知り合いにとてもモテる男の人がいる。その人のモテ方はすさまじくて、もうとにかく女性を取っ替え引っ替えだ。彼女もコロコロ変わるけど、浮気もしょっちゅうだし、一晩だけのなんて言い出したらキリがない。ちなみにその人は全然イケメンじゃない。むしろブサイクの部類だ。なのにモテる。並み居るイケメンをなぎ倒して余りある。どんなイケメンもその人には叶わない。みんな、「あいつには負けるよ」とシャッポを脱ぐ。というより、呆れられる。「なんでそんなにモテるの?」って。その人のモテ方は異常だからだ。まるで鬼の首を取ったようにモテる。で、「なんでそんなにモテるのか?」ぼくも、その人と付き合う中でそれを考えたことがあったので、それを今日はここに書いてみたい。 まずその人は、お母さんに溺愛されて育った。きっと良い育てられ方をしたのだろう。自分の存在に対して揺るぎない自信がある。特に女性に対しては、臆したりビビった

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    aozora21 2008/07/17
    なまじ美人のよくある運命ですな。チンピラの紐のカモになりやすい。/こういう話を聞くと『100万回生きたねこ』という絵本を思い出します。
  • 非モテとは男女関係のルールを勘違いしている男たちのことだった - ハックルベリーに会いに行く

    はてなでは相変わらず非モテ談義が喧しいが、http://anond.hatelabo.jp/20080714212232を見て思ったこと。 この増田は「男女交際」がどういうものなのか知らないみたいだね。「好きでもない女の子を口説くこと」を嘘つきだとか不誠実だとか人の道にもとるとか言って糾弾してるけど、男と女というのは、そういうのを超越したところにある。恋とは結局ゲームなのだよ。狐と狸の化かし合いなのだ。嘘をつくのがルールなのだ。そういうルールのゲームに対して「嘘をつくのはおかしい」と糾弾するのは、ナイーブ以前にとんちんかんだ。 上に引いた増田は、なんでも一人の女性に未練を引きずっているらしい。何度断られても口説いてしまうのだそうだ。そんな自分を「キモいストーカーと思われても仕方ない」と自省してる。「人の道を外れたことはしていない」としながらも、自分を「時代遅れのバカ」と言って苦しそうだ。だ

    aozora21
    aozora21 2008/07/17
    非モテのことって既存の理論を適用させても結局同じ結論にしか至らないと思ってる。一人一人のナラティブな語りからそこに至る歴史を紐解かないと。
  • 面白さと狂気 - ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?最近、狂気についてよく考える。面白いものに、やはり狂気は不可欠だからだ。正確に言うなら、正気と狂気、その混ざり合った中に、面白さというのはある。その絶妙のバランスやミスマッチが引き起こす矛盾、あるいは不確かな境界線に、魅力というものの真実が隠れている。だから、面白いものを作りたいなら、あるいは面白い存在になりたいなら、正気の中に、ちょっと狂気をまぶすことだ。蕎麦屋のカレーに入ってる蕎麦つゆのように、隠し味としてほんのちょっと、ギリギリ分からないように(あるいは確信犯的に分かるくらいに)狂気を含ませておくことだ。 問題は、「それをどう含ませるか」ということだ。何かを面白くしたければ、正気の中に狂気を含ませなければならない。常識を突き抜けた、狂った感覚を混ぜなければならない。モーツァルトのように、狂った感覚でピアノに向き合わなければならない。ゴッホのように、狂った感覚でキャ

    aozora21
    aozora21 2008/07/07
    狂気に憧れ狂気を装う人はけっこういますけどねー自覚しているんならニセモノじゃないの?
  • 個性は本当に獲得するものなのか? - ハックルベリーに会いに行く

    感性を育てる?「自分にはデフォルトで個性があると思っちゃっているんだね。アーティストにしろデザイナーにしろ、美術を志す者にとっては個性というのは獲得目標のはずなのだが、最初から自分に個性があるなどという戯れ言をガキのころから吹き込まれている」「生まれつきそれぞれが持っている違いというのは、個性ではなくて【個体差】にすぎない。個体差は卑下するものでも称揚するものでもないはず。」「個性というものは目標としてあるもの。もちろん、個性は個体差を生かしたものになるだろうことはわかる。しかし、生の資質を個性とはいわない。個性と個体差の違いがわからないのは文化とはいわない。」そもそも君らに個性などない - 地下生活者の手遊び これを読んで、知り合いのNくんのことを思い出した。Nくんは、美術大学まで行って絵を勉強したオーソリティーなのだが、絵については一種の天才で、子供の頃にこんな経験をしたのだそうである

    aozora21
    aozora21 2008/07/05
    幼稚園児年長さん女児の絵は判で押したように同じ女の子の絵だなあ。/その昔欧米人と日本人がよく比較されて日本人は個性がない!とか言われていた時期があった。天邪鬼は多いけど個性とは別なのかもね。
  • ネットで攻撃的なことを書く人は本当は良い人か? - ハックルベリーに会いに行く

    齋藤孝さんと梅田望夫さんの共著「私塾のすすめ」の中で、とても印象に残った言葉がありました。それは梅田さんが述べられてた言葉なんですが、オフ会でセミナーみたいなことをやった時に、一番前の列ですごく熱心に聞いてくれて、いい質問をしてくれた人がいたらしいんです。ところが、そのセミナーが終わった後に名刺交換をしてみたら、その人はいつもネットでひどいことを書いている人だったのだそうです。梅田さんは、そのことをこんなふうに表現しています。 とにかく、ネットでは皆、少し過激になる。僕はネットの世界で相当経験を積んでいるからわかるのですが、アテンション(関心)を引きたくて、偽悪的、露悪的な表現をする人が多いというのを感じています。 これを読んで、なるほどなぁと思いました。確かに、ネットではひどい言葉で他人を罵倒する発言ばかりをくり返していた人が、実際に会ってみたら、当は他人の気持ちをとても気遣える、思い

    aozora21
    aozora21 2008/07/04
    いい人悪い人という区分は同意できないけど、リア友のブログ読んでいるとオフラインとネットじゃ違うなあとおもう。向こうもそう言ってる(笑)
  • はてブ警察が来た! - ハックルベリーに会いに行く

    はてなブックマークは、使えば使うほどなかなか面白いサービスですね。全世界のインターネットに転がっているあらゆる開かれたページに自由自在に「社」を押っ立て、そこにみんなでよってたかって「短冊」を貼り付けていけるのですから。はてなブックマークの最大のポイントは、一度目をつけられると(ブックマークされると)、目をつけられた側にはもうどうにもコントロールしようがないというところです。目をつけられた側にできることと言えば、せいぜいが自分もブクマを残してそれに対抗するくらいですけれども、これはもう全くと言って良いほど効力がない。大量にブクマがついた場合は、そのワンノブゼムに埋没しちゃうし、ひどい時にはセルクマと蔑まされ、状況をさらに悪くします。 はてブが強力なのは、一つの炎上部隊としての機能を有していることですね。ちょっと前は、香ばしいインターネットが現れると、そのURLが2ちゃんに書き込まれて、そこ

  • おれも、たまには誰かをrespecっtてみるかwww - ハックルベリーに会いに行く

    すばらしいエントリーがあがったwwwwwもう2、3日前だけどwwwwwこれはrespect(けいいw)を表さなければwwwww404 Blog Not Found:嘘という真実 - 書評 - 嘘を見破る質問力 書を読了して、なぜ著者が人気弁護士となったのかがやっと理解できた。「やっと」ってwwww相変わらずえらそうだな、おいwwwwwwww 著者は、法律以上に人というものをよく理解しているからだ。さすがwwww断固害wwwwテラww上から目線wwwwwwww「ひとwwwといふものをwwをよくりかいwwwwしてるからだ」wwwwってwwwなにさまwwwwきどりwwwwwwwだwwwwwwwwwwww 書「反対尋問の手法に学ぶ 嘘を見破る質問力」は、「最短で結果が出る超仕事術」を著した著者が、弁護士という来の仕事に立ち返って、嘘というものに関して考察し、それを通して人というものを洞察した

    aozora21
    aozora21 2008/06/26
    wwwwwwwwwwwとかけてロックミシンの縫い目と解く。その心は?解れちゃったオシマイよ。
  • 何のために挨拶をするのか? - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくの知り合いによく挨拶をする人がいる。最初は気付かなかったけれど、よくよく見ると彼の挨拶は凄い。 まず朝、オフィスに入ってくるなりオフィス中に聞こえる大きな声で「おはようございます」と言う。その声には、全然ためらいがない。内側にこもらず、外側に向かって軽やかに発散していく。それはまるで、一陣の風が吹き抜けたかのようだ。一緒にコンビニに行くと、まずレジに向かって「こんにちは!」と声をかける。知らない人が見たら、きっと顔馴染みの常連だと思うだろう。それほど自然で、また親しげなのだ。しかし彼は、これを通りすがりに入った初めての店でもやる。彼が挨拶すると、つられて返事を返すレジの人もいる。でも、返事を返さない人もいる。あまりにも自然なので、自分が挨拶されたと気付かないのだ。しかし彼は、返事がなくても一向に気にしない。そのままスタスタと店内に進み、買いたい物を手に取ってレジに並ぶ。買う時もまた凄い

    aozora21
    aozora21 2008/06/25
    興味を持って聞いてみたところがいいよね。
  • 桃井はるこの記事のブクマが「自己正当化人間」ホイホイになっているよ - ハックルベリーに会いに行く

    2008年6月8日千代田区外神田の中央通り沿いで起こった大きな事件について|桃井はるこオフィシャルブログ「モモブロ」Powered by アメブロ という記事については特に何も言うことがないのだが、そのブクマコメントが「無責任な自己正当化人間」ホイホイになってて面白いことになってるよ\(^o^)/ はてなブックマーク - 2008年6月8日千代田区外神田の中央通り沿いで起こった大きな事件について|桃井はるこオフィシャルブログ「モモブロ」Powered by アメブロ 以下、抜粋。 bouncingそうだ、秋葉原へ行こう。失われた命の重さと、事件のやるせなさと、目の前の現実の理不尽さを感じつつ、それでも秋葉原を楽しもう。それができればきっと趣都はきっと新しい姿になるはず。これ以上秋葉原を無反省に楽しむのは良くないと思うよ\(^o^)/問題は「秋葉原的な何か」にあったのだから、そこを見て見ぬふ

    aozora21
    aozora21 2008/06/12
    興味深いので読みに行ってみたが、二十行ほどで何が書いてあるか想像がついた。