わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日本近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 柿衞文庫の芭蕉展。俳文学会の2日目は、バス1台で研究者の方々が大挙して観覧に訪れたということで、こんなに柿衞に研究者が集ったのは見たことがありません!とは、学芸員Nさんのお言葉でした。 すでに展示は後期に入っています。前期とは全て入れ替えというのは本当でした。前期は最初に目に飛び込んできたのが「枯れ枝に」の芭蕉画くところの烏でしたが、今回は、「とうせいはせを」の仮名署名。ほかに、Nさんが俳文学会で発表した新出書簡群などなど、あ、芭蕉が写した「薗太暦」も展示されていました。
わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日本近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 後期に西鶴のテキストを読む授業を行うということで、西鶴研究の最新の入門書はなんだっけ、と改めて書棚を見ると、『21世紀日本文学ガイドブック④ 井原西鶴』(中嶋隆編、2012年)が目に入る。このなかの執筆者のおひとりである森田雅也さんに送っていただいたものである。一通り目を通したつもりだったが、総論や研究史概説などは、この時の関心からして、読んでいなかったようだ。それを執筆しているのは編者の中嶋隆さんである。 で、「西鶴研究案内(浮世草子)」と、そっけないタイトルで書かれて
トップページ > 展覧会のご案内 > 柿衞文庫開館30周年 芭蕉生誕370年記念 秋季特別展 芭蕉ー30年間の新出作品を中心に 【平成26年9月13日(土)~11月3日(月・祝)】 柿衞文庫開館30周年 芭蕉生誕370年記念 秋季特別展 芭蕉ー30年間の新出作品を中心に 【平成26年9月13日(土)~11月3日(月・祝)】 今秋、柿衞文庫では開館30周年を記念した特別展を開催します。 テーマは芭蕉。1984年の開館以来、30年間に発見された資料50点余と、従来よく知られている名品約30点を柿衞文庫に一堂に集めて展示公開します。 柿衞文庫の創設者岡田利兵衞(号 柿衞)は、芭蕉の筆蹟研究の第一人者でもありました。文部大臣賞を受賞した著書『芭蕉の筆蹟』は現在もなお、芭蕉研究における基本文献として位置づけられています。奇しくも芭蕉生誕370年となる本年、芭蕉の直筆を心ゆくまでお楽しみいただく機会と
明治時代の文豪、夏目漱石が教師だったころに同僚に宛てて記した未発表の俳句が添えられた書簡が、和歌山市の博物館で公開されています。 公開されているのは、夏目漱石が29歳のとき、英語の教師として熊本に赴任する際、それまで勤務していた松山の「愛媛県尋常中学校」の同僚に宛てて記した書簡です。 書簡は先月、和歌山市内にあるこの同僚の子孫の家で見つかり、現在、和歌山県立博物館で公開されています。 書簡には「死にもせで西へ行くなり花曇」という未発表の俳句が書かれた短冊が添えられ、新たな勤務地に赴く漱石の心境がうかがえます。 会場を訪れた地元の男性は「当時、和歌山の人が漱石と身近に交流していたことを知り、すばらしいと思いました」と話していました。 和歌山県立博物館の竹中康彦学芸員は「漱石が友人と文芸的なやり取りをしていたことを示す貴重な資料で、多くの人に見てほしい」と話していました。 夏目漱石の書簡は来月
株式会社KADOKAWA 株式会社KADOKAWA 角川学芸出版 ブランドカンパニー(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:佐藤辰男、ブランドカンパニー長:郡司 聡、以下角川学芸出版)は『短歌』の創刊60周年の記念事業として、2013年12月25日(水)より、BOOK☆WALKERをはじめ、各電子書店で月刊誌『俳句』(2014年1月号)、『短歌』(2014年1月号)電子版の配信を開始いたします。 また、配信に先駆けてより広く読者の皆様にお楽しみいただけますよう、2013年12月10日(火)より『俳句』2013年12月号と『短歌』2013年12月号の電子版を無料配信いたします。 昭和29年に創刊した月刊誌『短歌』は、2014年1月号で創刊60周年を迎えます。これまで時代を反映しながら、一方で、変わることのない普遍的なものをも見据え、「温故知新」「不易流行」を実行してきました。人で言えば還暦
わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日本近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 「近世文学の様式」という講義をやっている。変体仮名の読解や、和本の解体と再製本など、学生には、体で修得してもらうメニューを提供している(「こなさせている」という変な表現にご注意を受けましたので謹んで訂正)。 江戸文学は俗文芸であっても、ある程度の教養が必要であり、そういう教養は、寺子屋などで学ぶ往来物と呼ばれる初級教科書で培われたという話をしたところ、受講生の多くは、楽しく勉強できるように工夫されているこれらの往来物に対して、興味を持ってくれたようである。いくばくかの往来
もし仮にね、息子か娘が「俳句部に入ることにしたんだ」って言ったら、いいねとかやめなさいとかじゃなく、十中八九ぼくだったらこう言っちゃうと思うんだ。 「渋っ!」 渋いよ! なんでそう感じるのか分かんないけど……少なくとも「若々しい」印象はなかったですすいません。 そんな俳句部の青春を描いた漫画が『ぼくらの17−ON!』。 最近はほんと漫画になってない文化系部活ないんじゃないかと思うくらいですが、そもそも俳句部って何するの?って話ですよ。 ぼくは俳句については、ほとんど知りません。 5・7・5で、季語を入れて作る。そのくらいしか知らない。 これを部活にするってどうすんのと思いきや、俳句甲子園なる大会に出るんですね。 ……俳句甲子園て、なにするの? 主人公の久保田だって、俳句が元から好きなわけじゃなくて、渋い趣味だなあ、と思っていたんです。 うん、同じだねぼくと。 だけどそういう偏見が取り除かれ
●永井一彰氏の労作『月並発句合の研究』が刊行された(2013年5月20日、笠間書院発行、A5判、612頁、定価15000円+税)。門外漢の私であるが、まず、ひとわたり拝見した。月並発句合が研究され始めたのは、昭和50年の尾形仂氏の論文からであるという。まだ、研究暦の浅い未開拓の分野であろう。著者の永井氏は昭和55年からこの分野の研究を重ねられ、その集成として、本書をまとめられた。元禄、宝暦、安永、天明、各時代の作品を整理・分析・研究され、続いて、几董判月並発句合の詳細な検討をされる。私は、この章の各論が、大変勉強になった。 ●①題、②場・所、③取り合せ・かけ合せ、④中七文字・上五・座句、⑤真率・・・。これらは几董の評語の中から選んだもの。これらの評語を通して、その指導原理・俳諧観などを考察されたもので、大変な労作だと思う。翻刻編、第1章の「几董判月並発句合」では、詳細な頭注を付けている。こ
若い頃なら、断然芥川を推したはずだった。 青蛙おのれもペンキぬりたてか 虚子はこの句を「大正の其角」と評する。ルナール『博物誌』の「青蜥蜴―ペンキ塗りたて御用心!」を転用した機知といい、「おのれも」という言葉の選択といい、怪奇趣味をただよわす彼の小説に笑いを加えたような独自の世界がある。華麗かつ、和漢の古典を踏まえた格調を残す彼の句は、「才気」に溢れている。 篠懸の花咲く下に珈琲店かな 冷眼に梨花見て轎を急がせし 日傘人見る砂文字の異花奇鳥 木枯や東京の日のありどころ 夏山やいくつ重なる夕明り また、医師がふき取りわすれた匙に残る少量の薬で身体が反応したほどの、尖った彼の神経は、俳句にあっても繊細な世界に目がいく。 労咳の頬美しさや冬帽子 向日葵や花油ぎる暑さかな 鉄條に似て蝶の舌暑さかな もの言はぬ研師の業や梅雨入空 客観写生一色の「ホ
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