文壇、論壇が明確な形を失った一方で、自由や平等といった近代の価値観を否定するかのような動きが国内外で目立つ。いずれも東京大の北田暁大教授(社会学)と小森陽一教授(日本近代文学)が、文学や公共の言説はどうあるべきかを語り合った。【構成・大井浩一、写真・中村藍】 崩れた近代の公共空間 身体からの発話が重要 北田 小林秀雄から吉本隆明、江藤淳、そして柄谷行人さんに至る、文学的な素養と教養をもとに社会や政治と批評を接続していく回路が一定期間、戦後日本社会の左派もしくはリベラルな勢力の知的な資源になっていました。文学、哲学、思想、社会問題、政治問題が交差する地点で、論壇、文壇が長らく成立していた。その状況を体現した人の最後が柄谷さんのような気がします。 小森 そうですね。柄谷さんは自ら「文学は終わった」と宣言して文芸評論を閉じました。