いつも、ブログをご覧いただきありがとうございます。 9月1日よりブログを引越し、こちらでブログをはじめています。 http://ameblo.jp/kotooshu-naruto/ ご連絡が遅くなりまして申し訳ございません。 今後ともよろしくお願いいたします。
「今日はモンゴル語での会見だ」。11日、大相撲の元横綱・朝青龍がウランバートル市内で行った記者会見。日本人記者から引退後初めてモンゴルに帰国した感想を問われると、日本語でぴしゃりと質問を遮った。 モンゴルでは国民的英雄で、引退をめぐっても「日本側の圧力」との見方があり、同情論も強い。日本では時に「品格」を持ち出され、メディアから厳しい質問攻めに遭ったが、母国での会見にリラックスした表情を見せた。 「私も人間だから、自分の思い通りにやりたいこともあった」などと、日本相撲協会への不満を吐露。引退の原因となった一般人の男性への暴行は否定し「今のところ相撲は見る気がしない」とも語った。 「(ウランバートルに住む)子どもに会いたくてしようがなかった」と話し、子煩悩な父親としての顔ものぞかせた。(共同)
朝青龍の数々の破天荒な言動は責められて当然だし、今回の泥酔暴行騒動も弁解の余地はない。引退もやむなしである。ただ一点、朝青龍を「横綱の品格」を持ち出して声高に糾弾するのはどうなのだろう。ノドに刺さった小骨のように、ここのところがずっとひっかかっている。 国技といわれる大相撲の横綱は、単なる相撲の王者ではすまされない。若くして、心技体の充実を求められ、土俵上でも私人としても「品格」を期待される。 栃若時代を築いた栃錦、若乃花(初代)、柏鵬時代の柏戸、大鵬にはそれぞれ横綱としての威厳があった。同時に地位への使命感、緊張感が漂っていたように思う。「横綱の品格」とは、一種、抑制の美しさではないだろうか。 154キロ、幕内平均体重の朝青龍は体力的に恵まれていたわけではない。「土俵では鬼になるという気持ち」で闘争心をかき立ててきた。強くなりたい一心で、「品格」など眼中にないまま、最高位に上り詰めた。奔
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く