横浜市、19年春オープン目指す 横浜市は4日、同市中区の新港(しんこう)ふ頭に建設予定の「新港地区客船ターミナル」の整備事業者を、地元企業など7社と1団体でつくるグループ「Yokohama Pier9」に決定したと発表した。2019年春のオープンを目指す。【杉山雄飛】 同ターミナルは地上5階建て、延べ床面積約2万8600平方メートル。国際クルーズ船が発着でき、1階にCIQ(税関、入国管理、検疫)施設を備える。 また、「ヨコハマ ウミエキ」をコンセプトに、1、2階はスイーツ販売やレストランなどの商業施設が入る。3~5階は横浜グランドインターコンチネンタルホテルが宿泊施設を展開。全室オーシャンビューの計約200室で価格は3万~4万円の予定という。同ホテルの堤猶二会長は「港が一望でき、横浜の風が感じられるホテル」と期待を込める。
LIGO(ライゴ)での観測に携わる米カリフォルニア工科大の新井宏二上席研究員=東京都千代田区で、渡辺諒撮影 米カリフォルニア工科大 「重力波の検出に直接携わって…」 今年のノーベル物理学賞は、重力波を初検出した装置「LIGO(ライゴ)」の観測を率いた米国の3人に決まった。アインシュタインの「最後の宿題」とも言われた重力波の観測に世界で初めて成功した「LIGO」には、日本人研究者も参加している。国立天文台(東京都)から8年前に米カリフォルニア工科大に移った新井宏二上席研究員(45)だ。ノーベル賞決定に「重力波の検出に直接携わり、受賞の一助になれたことを光栄に思う」と喜んだ。 観測した重力波は、地球と太陽との距離(約1億5000万キロ)をわずか水素原子1個分変化させる程度の効果しかなく、検出装置内の機器のぶれは天敵となる。
住民投票 移住希望が多数 米アラスカ 地球温暖化による海岸浸食が深刻化し、住民生活が脅かされている米アラスカ州シシュマレフ村で、安全な場所への全村移住を問う住民投票が実施され、移住希望者がそのまま住み続けたいと答えた人を上回った。今月、没後20年を迎えた写真家の星野道夫さんが学生時代に訪れて豊かな自然や人々に魅了され、その後アラスカと長く関わる原点となった村が存続の危機にある。 村はベーリング海峡に面した小島にあり、人口約600人。先住民イヌピアットが多く住む。AP通信によると、住民投票は16日に行われ、村の開票速報では、移住が89票で、残留の78票を小差で上回った。民意は示されたものの、近くの本島への移住には100億円以上が必要と試算され、実現には資金を用立てる必要があるという。
フィンランドというと何を連想しますか? 美しい湖や森、それともアニメでおなじみの「ムーミン」でしょうか。実は同国は、多くの機能的で美しい家具や陶器、建築を生み出してきた「デザイン大国」。首都ヘルシンキを5月下旬に訪れ、その魅力に触れてきました。【学芸部・永田晶子】 今回の旅の主目的はフィンランドのファッション事情を取材すること。その結果はこちらの記事でまとめました。このコラムではデザインや建築、食べ物の話をご紹介したいと思います。 成田空港から直行便で約10時間。航空会社のキャッチフレーズを借りると、ヘルシンキは「日本から一番近いヨーロッパ」。確かに飛行時間が12時間以上かかるパリやロンドンに比べ、近く感じます。 ホテルはヘルシンキ中心部を東西に延びるエスプラナーディ公園近く。同公園周辺は百貨店や高級ブランド店、レストランが集まる市内随一の繁華街です。また、同公園の西側一帯は200を超すイ
◇京急2100形、新1000形 ファ、ソ、ラ、シ…音階刻む機器更新で 東京と三浦半島を結ぶ京急電鉄沿線で98年から10年以上鳴り響いていた不思議な音が間もなく、聞こえなくなる。発車時に「ファ、ソ、ラ、シ、ド、レ、ミ……」と音階を刻む通称「歌う電車」の車両改造工事が進み、近く姿を消すからだ。沿線の名物になり、全国的な知名度を誇っていただけに、同社には惜しむ声が数多く寄せられている。【倉岡一樹】 「出発進行!」。運転士の小気味いい声に応じるように音階を刻みながらスピードを上げていくのは、98年に登場した2100形と02年から営業を開始した新1000形の1、2次車の車両。音はいずれもモーターを制御するシーメンス社(ドイツ)製のインバーター装置から発生する。 「実はその音階、元は騒音なんですよ」。そう話すのはシーメンス・ジャパン・レールシステムズの庄司不二雄さん(60)。インバーターの起動音はうな
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太陽の黒点数が少ない時期ほど巨大地震の発生頻度が高いことが、湯元清文・九州大宙空環境研究センター長(宇宙地球電磁気学)のチームの分析で分かった。東日本大震災も黒点数が少ない時期に起きた。太陽の活動が地球内部に影響を及ぼす可能性を示す成果として注目される。11月3日から神戸市で開かれる地球電磁気・地球惑星圏学会で発表する。 太陽の黒点数は約11年周期で増減を繰り返し、地球大気の状態を変化させている。チームは地球内部にも何か影響を与えていると考え、1963~2000年の太陽の黒点数と、同時期に発生したマグニチュード(M)4以上の計32万7625回の地震との関係を調べた。 その結果、M4.0~4.9の地震の65%が、太陽黒点数が最小期(約2年間)の時期に起きていた。M5.0~5.9、M6.0~6.9、M7.0~7.9でもほぼ同じ割合だったが、M8.0~9.9では、28回発生した地震の79%が最小
今年4月に施行された改正児童福祉法は、児童虐待の防止や子育て世帯の支援強化などを主たる目的としている。 特に「社会的養護」は、私たち社会全体のものとして受けとめる必要がある。 社会的養護とは、「保護者のない児童や、保護者に監護させることが適当でない児童を、公的責任で社会的に養育し、保護するとともに
JALグループが28日に発表した2010年度路線便数計画のうち、運休、減便は次の通り。 【運休】 路線 便数変更 日程 成田=ニューヨーク=サンパウロ 週間2便 ⇒ 運休 9月30日~(サンパウロ地点撤退) 成田=アムステルダム 週間7便 ⇒ 運休 9月30日~(アムステルダム地点撤退) 成田=ミラノ 週間4便 ⇒ 運休 9月30日~(ミラノ地点撤退) 成田=ローマ 週間3便 ⇒ 運休 10月 1日~(ローマ地点撤退) 成田=ブリスベン 週間7便 ⇒ 運休 成田発9月30日~ ブリスベン発10月1日~(ブリスベン地点撤退) 成田=デンパサール 週間7便 ⇒ 運休 10月 1日~(デンパサール地点撤退) 成田-コナ-ホノルル-成田 週間7便 ⇒ 運休 10月30日~
◇家族支える大切さ、問いかけ 宇宙飛行士の山崎直子さん(39)が搭乗したスペースシャトル「ディスカバリー」が15日間の任務を終え、地球に戻ってきた。今回、日本人最後のシャトル乗組員として取り組んだ宇宙でのミッションと並んで話題になったのは、山崎さんの家族だった。その喜び、悩み、そして主張が家族自身の率直な言葉で伝えられた。日本で宇宙飛行士の家族の姿がこれほどオープンになった例はない。賛否両論あるだろうが、華やかに思われがちな職業の厳しい現実を見せてくれたことを、私はよかったと思う。そこには、日本の有人宇宙開発に欠けた「家庭を支える」という重要な問題があるからだ。 表舞台に立ったのは夫の大地(たいち)さん(37)だ。国際宇宙ステーション(ISS)の管制にかかわる会社員だった99年、宇宙飛行士候補になったばかりの直子さんと知り合い、後に結婚。02年に長女、優希ちゃん(7)が生まれた。直子さんが
「日本版スペースシャトル」と呼ばれた「HOPE」計画について語る森戸俊樹さん=東京都千代田区のJAXA東京事務所で2010年3月19日、西川拓撮影 ◇「日本版」の遺産に光 ロケットで打ち上げ、国際宇宙ステーション(ISS)に物資を運び、翼で滑空しながら着陸する。日本でもこんな再利用型の宇宙往還機が模索された。宇宙開発事業団と航空宇宙技術研究所(いずれも現宇宙航空研究開発機構=JAXA)が80~90年代に開発を進めた「HOPE」。「日本版スペースシャトル」と呼ばれた。 「無人機だったが、一般の人から『いつ乗れるの』とよく聞かれた」。機体誘導制御法の開発に携わった森戸俊樹・JAXA技術領域リーダー(49)は振り返る。当時の想像図では機体に窓が描かれた。「いつかは人を乗せたいという思いを言外に込めた」 大気圏再突入、超音速飛行、自動操縦飛行、誘導着陸。どれも日本が未経験の技術だった。3機の小型実
◇有人活動、リスク学ぶ 「事故が起きた。すぐに戻れ」 03年2月1日夜。沖縄での講演を終え、ホテルで休んでいた若田光一宇宙飛行士(46)に米航空宇宙局(NASA)から電話が入った。テレビをつけると、スペースシャトル「コロンビア」が帰還中に空中分解する映像が繰り返し流されていた。 「搭乗員が乗ったカプセルだけはどこかに着陸したんじゃないか」。訓練拠点の米国に向かう機内では望みも持っていたが、到着後、7人の生存は絶望的だと伝えられた。 「一緒に登山訓練をした友人もいた。7人もの仲間を一度に失う経験は初めてで、それでも彼らの遺志を継いで続けなきゃならないと気持ちを切り替えるのがつらかった」と若田さんは声を落とす。 86年の「チャレンジャー」に続く2度目の死亡事故は、日本にも影響を与えた。 当時、宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)で有人部門の企画調整を担当していた筒井史哉(ふみや)さん(43
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