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ブックマーク / merubook.hatenablog.jp (2)

  • たとえ「幻想」だとしても - Sound and Fury.::メルの本棚。

    小説読者の質は果たして落ちたのだろうか*1」について、少し考えることがあったのでメモしてみる。 佐藤亜紀の「この世からは小説を読むための最低限のリテラシーさえ失われてしまったらしい」という意見に対し、筆者は違和感を覚えるという*2。その理由として、「「昔」とか「かつて」が「上等」で、「現在」や「いま」が「劣等」であるという議論は、気をつけたほうがいい」からだとする。そして、メルヴィルは『白鯨』以降の作品で、同時代人に評価されなかったことや、ホーソンも当時の「センチメンタル・ノベル」に対し、うらみつらみを日記を書いているなど例に挙げ、昔から「エモい人」はいたのだと主張する。そして、いつの時代も「小説の質」は低いのだという。 これは、はなはだまずい書き方だと思う。これだと、あらかじめ「小説の質」なるものが存在しているかのような印象受けてしまう。だが、筆者はすぐ近くで、こうも言っている。すなわ

    たとえ「幻想」だとしても - Sound and Fury.::メルの本棚。
  • 大学院を出たけれど - Sound and Fury.::メルの本棚。

    職がない。大学院で博士号を取ったなら、研究職を目指せばよいのだが、それもうまくいかない。いつポストの空きができるのか分からないし、たとえ募集があったとしても、少ないポストに多数の応募者がいるわけだから、簡単にポストが得られるわけではない。その間、どうしたらよいのか。また、このような不安定な生活に耐えられず、路線を変更して一般の職を目指そうとしても、高年齢で職歴が無いために難しい。結局、このまま将来が見えぬまま、フリーターとかニートになるしかないのだろうか。 毎日、このような不安を抱きつつ生きている。なので、昨日の稲葉氏と立岩氏のトークセッションはいろいろと考えさせられることが多かった。労働、所有、不平等、分配・再分配...etc これらの問題は、明日生きるか死ぬかの瀬戸際にいる私にとって切実な問題なのだ。 たしかに、大学院に進学したのは自分の意志である。そして、少子化の影響で特に文学系の研

    大学院を出たけれど - Sound and Fury.::メルの本棚。
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