「空気嫁」とか「KY」の言葉が定着して久しいようで、「空気は自分に都合のいいときだけ読め」な私としては 他の人がどのように「空気」をつかむのか大変興味深い。 「読まなくてもいい空気」というものがあると信じているので、と言うことは私もある程度は「空気」を読んでいる、 その場の「空気」に影響される人間であると自覚している。 多分、現実生活では実に空気をよく読むと私のことを思う人もいれば、全然空気の読めないひどい奴、と評価する人もいるはずで、 そのどちらも確実に「私」なわけで、それでいて完全に「私」ではないのだ。(なんのこっちゃ) なんのかんの言って、私は「空気嫁」な雰囲気が大嫌いだったりして。 この「空気」という表現が「誰のものでもない」という「無責任」が匂っているのだ。 「空気」とは「無味無臭」のようで、そこにいる全てのひとが「共有」されているものだと「決めつけ」られているが 実のところ、そ