香港がイギリスの植民地だったことは一度もない――。香港の学校で使われる新しい教科書にはそう記述されると、現地メディアが報じた。 新たな教科書は、香港でイギリスは「植民地支配を実施しただけ」だと明記する。この区別は、香港をめぐって中国の主権が途切れたことはないとする、同国の主張を強調している。
香港がイギリスの植民地だったことは一度もない――。香港の学校で使われる新しい教科書にはそう記述されると、現地メディアが報じた。 新たな教科書は、香港でイギリスは「植民地支配を実施しただけ」だと明記する。この区別は、香港をめぐって中国の主権が途切れたことはないとする、同国の主張を強調している。
現在鎌倉時代の講義*1をやっている。一昨年にもやったが、今年もやっている。なぜだかテスト一発勝負はダメ、という大学で、そのくせ数百人を一つの教室に詰め込むから、講師としてはどうやってテスト以外の評価をするべきなのか、よくわからない。そこで適当な時期に小レポートを書かせている。 一昨年宝治合戦のところでレポートを書かせた。宝治合戦とは、鎌倉幕府の有力御家人であった三浦泰村が北条時頼に滅ぼされ、鎌倉幕府の政治上の大きな画期となった合戦である。一般には得宗専制への道と評価される事件だが、永井晋氏の『吾妻鏡を読み直す』という著書の該当箇所を読ませて、レポートを書かせた。永井晋氏は、従来の時頼黒幕説ではなく、時頼は三浦氏から安達氏への外戚の交代をスムーズに行いたいと思い、三浦泰村にも事を荒立てるつもりはなかったのだが、時頼派の強硬派安達景盛と三浦氏の強硬派三浦光村に引きずられる形で合戦に至った、とい
十七日の衆院教育再生特別委員会で、日本共産党の石井郁子議員が取り上げた日本青年会議所作製のDVDアニメ「誇り」。文部科学省が委託研究事業としているその内容は、日本の侵略戦争と植民地支配を正当化する言葉があふれています。 「愛する自分の国を守りたい、そしてアジアの人々を白人から解放したい。日本の戦いには、いつも、その気持ちが根底にあった気がする」。靖国神社の鳥居の前で、過去から来た青年がこう語ります。「戦後その思いは打ち消され『悪いのは日本』という教育がおとなにも子どもにも施され、しょく罪意識だけが日本人の心に強く焼き付けられてしまった」 子どもに影響 DVDでは青年の語りを通して、「日本は自国を守るためにやむをえず戦争した」「アジアを解放するための戦争だった」との主張が繰り返されます。朝鮮半島や台湾については「植民地支配」という言葉はなく、「日本はこれらの国を近代化するために道路を整備した
ルソーは「天使の国には政治はない」と言っている。トマス・ペインは「政府とは必要悪である」と言っている。ということは、政治というのは基本的に悪魔の世界に属する技術で、政治が道徳的にすぐれた市民を育成しようとすること自体が、本当は筋が違うのかもしれない。人間には度し難いところがあるから政治が必要であるのに、政治指導者が教育を語るのは、政治家としての敗北宣言みたいなものかもしれない。 「かもしれない」と書いたのは、もちろん留保をつけざるを得ないからである。「政治家が教育を説くのは、悪魔が道徳を説くようなものである」と言い切れれば歯切れは良いが、そうは簡単に割り切れないのも事実である。例えばデイヴィッド・ヒュームは、「政府の姿とは、その国民の公約数である」と言った。かりにそれがどんな酷い専制権力だとしても、国民の性格や国民の心象風景と完全に乖離している権力は成り立たないと彼は考えた。私はこれは本当
公民教育とは、「政治的責任の主体となり得る市民」を育成するための教育で、18世紀の文脈では王政と対立する概念である。フィロゾーフたちの認識では、人間が腐敗堕落したために、共和政が成り立たなくなり、王政が生まれたという。だから「革命」というのは、国王を殺すだけでは終わらない。市民を作りださなければ、再び別のカエサルが玉座に座ることになる。カエサルが再び誕生するのを防ぐためには(共和政を守るためには)、愚劣な民を市民として再生しなければならない。根本から叩きなおさなければならない。革命とは政治体制を転換することだけではなく、市民を創造することによって成就するわけである。こうして、ルソーが「個人」レベルで構想した教育論が、国家レベルで展開されることになる。 1791年に公教育委員に選出されたコンドルセは、公教育計画を準備するために、フランス中の家庭をくまなく調査・分析する。すると、富裕層は生活費
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