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2007年12月18日のブックマーク (6件)

  • 「求めない」と言い切る前に、僕はもう少し「求めたい」。(ヒトリゴト60) | ある編集者の気になるノート

    足るを知る者(中日新聞) <求めない-/すると/いまじゅうぶんに持っていると気づく> <求めない-/すると/いま持っているものが/いきいきとしてくる> <求めない-/すると/それでも案外/生きてゆけると知る> 書店に立ち寄ったら、平積みされた小さなが目に留まった。どのページにも、こんな短い句が一つずつ。どれもが「求めない」で始まっている。シンプルで、何でもないような言葉ばかりだが、引き込まれてしまった。 タイトルも、ずばり『求めない』(小学館)。作者は、詩人の加島(かじま)祥造(しょうぞう)さんだ。 人間とは、求めてやまない存在である。求める心が大きなエネルギーにもなる。しかし、現代の私たちはあまりにも求めすぎているのではないか。欲望過多の時代と言っていいかもしれない。 豊かさを際限なく求めた結果、あふれかえったモノとゴミに私たちは窒息しかかっている。成長と進歩への飽くなき欲望は、自然を

    「求めない」と言い切る前に、僕はもう少し「求めたい」。(ヒトリゴト60) | ある編集者の気になるノート
    bimbom
    bimbom 2007/12/18
    求めないことが常態化しつつあるなあ。必要に迫られてというか、そうでないと生きていけないというか・・・
  • 板橋両親殺害事件高裁判決 - 元検弁護士のつぶやき

    板橋の両親殺害少年、東京高裁が懲役12年に減刑(2007年12月17日23時16分 読売新聞) 一方で、判決は、少年が口答えすると父親がゲーム機を壊したり、「おまえはバカだ」と罵倒(ばとう)したりしていたことなどを踏まえ、「父親の長年にわたる不適切な養育が、少年の誇りを傷つける虐待にあたるという見方もできる」と指摘。1審判決が「両親から虐待や不適切な養育を受けていたとは認められない」として、少年の犯行を「身勝手」と断じた点について、「適切な見方とはいえない」と否定した上で、「1審判決後、少年は反省の姿勢を強め、成長の兆しも見られる」として、刑を軽減した。 刑期の観点だけから言えば、今18歳の少年にとって懲役14年が12年になったことにどれだけの意味があるのかよくわかりませんが、少年の生い立ちに理解を示した高裁の裁判長の言葉が、少年の今後の更生に大きな意味を持つことを祈ります。

    bimbom
    bimbom 2007/12/18
  • http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071218k0000m040066000c.html

    bimbom
    bimbom 2007/12/18
  • 「両親にごめんなさい」 板橋両親殺害の少年  (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    東京都板橋区の両親殺害事件で、東京高裁は「反省が深まった」として、1審判決から減刑した。法廷での淡々とした態度は1審から相変わらずだが、控訴審では「会える資格があるかは分からないが両親に会いたい。両親にごめんなさいと言いたい」と述べるなど、発言内容には変化が見られた。 「お父さんのやったことが適切だったとは今も思っていない」。長男は昨年11月の1審の最終意見陳述で、こう父親を批判した。 昨年12月の1審判決前には「判決で父親の虐待を認めてくれたら、何年の刑になってもいい」とも話していたという。長男は、「成育環境に問題なし」とした判決を不服として控訴していた。 しかし、今年9月の控訴審の被告人質問では、「お父さんもいろいろと抱えていたのかなと思えるようになった」と心情の変化を口にした。「父親ともっといろんな時間を過ごしたかった」と、普通の息子の顔ものぞかせた。 「これで十分です。罪を償う使命

    bimbom
    bimbom 2007/12/18
  • 特別支援教育の地域格差 5万人以下の市町村長さんへのお願い | 応用行動分析学&特別支援教育探求道

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    特別支援教育の地域格差 5万人以下の市町村長さんへのお願い | 応用行動分析学&特別支援教育探求道
  • 動機音痴が「好きを貫く」ためには - 萌え理論ブログ

    動機音痴の全体像 ADHD友の会(必然性と能力) - phaニート日記 そして梅田望夫さん的な「好きを貫け」という話に繋げると、そのとき当に自分が必要としているものを、「好き」だと感じるように人間はできているのではないかと思う。そして好きを貫くのが難しいのだとしたら、それは自分にとって何がそのとき当に必要なのか、を見極めるのが難しいということだと思っています。 (そういう考え方がすごくADHD的だという気もするけど・・・) 「ADHD」は医学的概念なので、以下では「動機音痴」の比喩を使いましょう。動機音痴というのは、動機を形成する能力の弱さを、方向音痴に見立てています。迷って目的地に辿り着けない、あるいはそもそも目的地がどこか分からない。これでは抽象的なので、次に動機音痴の具体的なイメージを描いてみます。 動機音痴の人間像 「したいことはできない、できることはしたくない*1」という状

    動機音痴が「好きを貫く」ためには - 萌え理論ブログ
    bimbom
    bimbom 2007/12/18