顔家の「家訓」 わたしの父は台湾人で、「顔(がん)」という姓を持つ。 台湾では顔姓はあまり多くはない。父の一族は多くの台湾人がそうであるように福建省からの移民で、台北から少し北の基隆(ジーロン)という場所に居を定めた。 わたしも台湾では「顔妙」と名乗っている。そのあと「一族は基隆出身です」と話すと、台湾の人からはたいてい「ひょっとして、あの顔家ですか?」という反応が返ってくる。日本統治時代の台湾で、基隆から近い九份などの鉱山開発で財をなした顔家は「五大家族」にも数えられていたからだ。 そんな顔家には、ひとつの「家訓」があった。 「政治には関与しない」 戦後、大陸からやってきた国民党政府による一党独裁が続いた台湾において、顔家以外の有力な財閥は、政府にうまく取り入り、事業を拡張した。 しかし、当時の顔家の当主であった祖父・顔欽賢は、むしろ政治から距離をおき、世の中の流れに逆走するように、事業