医療に関するblackspringのブックマーク (275)

  • 小笠原登とハンセン病政策 | CiNii Research

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    blackspring 2016/04/26
     平安女学院大学短期大学部保育科 川崎愛
  • やがて私の時代が来る――小笠原登伝

    やがて私の時代が来る――小笠原登伝 大場 昇 著 ハンセン病強制隔離に抗した医師の生涯 不治・隔離推進の学会光田健輔巨頭に「らいは治癒する」と、真っ向から対立した小笠原登の生涯と思想を、小笠原の足跡を訪ね、思索のあとを辿り、小笠原の患者だった回復者の証言に聞き、明らかにした労作。(国際医療福祉大学総長 大谷藤郎) 目 次 はじめに 第一章 健病一如 尾張四観音の筆頭・甚目寺観音/円周寺/登誕生/結核との闘い/医師への道/兄・秀実(号は思生・思安)/聖護院/病再発/療養の心得/父と母の死 第二章 京大「特研」 ハンセン病一筋に/ハンセン病とは/特研/診察室に立ちつくす小笠原/破れ仕事着/「療養の心得」/「癩はうつらない」/宗教と科学/あるエピソード/国民皆保険制度を提言/入院風景/金オルガノゾル/減療法/事療法の実際/「適療法」の考え方/特研の人々/ふたりの医学徒/続 聖護院 第三章 

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    blackspring 2016/04/26
     「不治・隔離推進の学会光田健輔巨頭に『らいは治癒する』と、真っ向から対立した小笠原登の生涯と思想」
  • 研究紀要 | 敬和学園大学 新潟県新発田市にあるリベラルアーツ大学

    敬和学園大学 研究紀要 「敬和学園大学 研究紀要」は、敬和学園大学における研究の成果・各種論文をまとめたものです。 「研究紀要」のすべての論文は、pdf形式で閲覧することができます。

    研究紀要 | 敬和学園大学 新潟県新発田市にあるリベラルアーツ大学
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    blackspring 2016/04/26
     (pdf)21号~「圓周寺所蔵『小笠原登関係文書』の分析」藤野豊
  • 朝日新聞デジタル:〈寄稿〉小笠原登の日記を読む - 愛知 - 地域

    ナゴヤカルチャー 〈寄稿〉小笠原登の日記を読む 小笠原登 敬和学園大学教授・藤野豊さん 【寄稿:敬和学園大学教授・藤野豊】 ●国策に抗し医療を実践 愛知県あま市甚目寺にある真宗大谷派の古刹(こさつ)・円周寺に小笠原登の日記と書簡、関連する書類などが所蔵されている。わたくしは2009年9月から同寺のご協力を得てこれらの文書の解読と分析を続け、今月、『孤高のハンセン病医師―小笠原登「日記」を読む』(六花出版)を刊行した。 1888(明治21)年7月10日、同寺に生まれた小笠原は、1915(大正4)年に京都帝国大学医科を卒業、1926年より同大学付属医院で当時は「癩(らい)」と呼ばれたハンセン病の医療に従事、1938(昭和13)年に皮膚科特別研究室の主任になった。当時の日は、すべてのハンセン病患者を生涯にわたって隔離する絶対隔離政策を進めていたが、小笠原は国策に抗してハンセン病患者の通院治療や

    朝日新聞デジタル:〈寄稿〉小笠原登の日記を読む - 愛知 - 地域
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    blackspring 2016/04/26
     敬和学園大学教授・藤野豊
  • 小笠原登 - Wikipedia

    小笠原 登(おがさわら のぼる、1888年(明治21年)7月10日 - 1970年(昭和45年)12月12日)は日の医学者(専攻は皮膚科学)でハンセン病(らい病)の研究者。元京都帝国大学医学部助教授。僧侶。 愛知県出身。京都帝国大学医学部卒業後、同大学医学部の皮膚科特別研究室助教授となり、1948年まで在職した。彼はハンセン病の発病は体質を重視すべきことや不治ではないことを主張し、当時行われていた患者の強制隔離・断種に反対したが、学会から葬り去られる結果となった。 経歴[編集] 愛知県海部郡甚目寺村(現:あま市)にある真宗大谷派円周寺の小笠原篤実の二男(戸籍では三男)として生まれる[1]。祖父小笠原啓実は住職であり、尾張藩医浅井家の漢方医術を学んだ漢方医で、らい病、淋病、梅毒などを得意としていた。兄の小笠原秀実は仏教学者として名高く[1]、仏教系新聞『中外日報』の論説記者を務めたジャーナ

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    blackspring 2016/04/26
     「愛知県海部郡甚目寺村(現・あま市)にある円周寺の小笠原篤実の二男・・・として生まれる」
  • 小笠原登/らいに関する三つの迷信

    このページは縦書きで構成しました。しかし Internet Explorer と Google Chrome 以外のブラウザでは横書きになってしまうようです。また、Internet Explorer 10 の場合は、互換表示にされることをお勧めします。 このページは旧字体の漢字を含んでおります(例えば、国→國、社→社)。ユニコードの拡張漢字が表示できる環境でない場合、文字化け等を生じます。 癩に関する三つの迷信(一九三一年) 『診斷と治療』第十八卷第十一號 (昭和六年十一月 診断と治療社) 癩に關する三つの迷信 癩程に種々な迷信を伴つて居る疾患は他にないであらう。其の迷信の中には單に一般大衆の間に擴つて居るばかりでなく醫師界にまで擴つて居るものがある。其の第一は癩は不治の疾患であると云ふ迷信である。 先年某大學に於て創立記念祝賀のために大衆に對して各教室をを開放して機械や標等を觀覽せしめ

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    blackspring 2016/04/26
     「第一は癩は不治の疾患であると云ふ迷信」「第二は癩は遺傳病であると云ふ迷信」「第三は癩は強烈な傳染病であると云ふ迷信」
  • japan-lifeissues.net | ハンセン病治療に尽力の医師(昭和45年)

    Suzuki, Atsushi (スズキ・アツシ) 鈴木厚(内科医師) 2012年3月2日 出典「平成医新」DoctorsBlog 許可を得て複製 昭和45年12月12日、ハンセン病(らい病) の治療に尽くした小笠原登医師が肺炎のため故郷の愛知県甚目寺町の円周寺で亡くなった。 82年間の名誉ある人生であった。 ハンセン病は明治時代から強制隔離政策がとられ、90年間にわたる強制隔離が患者の差別と偏見を招いていた。 小笠原登は国賊と言われながらもこの強制隔離政策に反対し、ハンセン病患者の治療のために尽くした医師である。 小笠原登は現代医療思想の先駆けとして高く評価されている。 小笠原登は愛知県甚目寺町にある真宗大谷派の円周寺に生まれ、医師であるとともに真宗大谷派の僧侶でもあった。 小笠原登の祖父・小笠原啓實は漢方医であり、また僧侶でもあり、寺でハンセン病患者の療養をしてきた。 国の隔離政策が行

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    blackspring 2016/04/26
     「昭和45年12月12日、ハンセン病(らい病) の治療に尽くした小笠原登医師が肺炎のため故郷の愛知県甚目寺町の円周寺で亡くなった。 82年間の名誉ある人生であった」
  • 小笠原登 ハンセン病隔離に抗った医師の記録|ETV特集

    愛知県あま市の圓周寺で、日のハンセン病医療の歴史に新たな光を当てる資料が発見されました。それは京都大学の医師が書いた日記、10年分の記録です。医師の名は小笠原登(おがさわらのぼる)ハンセン病患者を社会から隔離する国の政策に一貫して反対した人物でした。 小笠原登は、古い歴史を持つ寺に生まれ4歳から漢文や書に親しみました。生涯独身を貫き、仏教者として朝晩のおつとめを欠かさなかったと言います。 京都大学の医学部で学んだ小笠原登は、皮膚科にすすみ、当時不治の病と恐れられていたハンセン病の治療に携わりました。小笠原登が勤務していた京都大学医学部附属病院には、かつて皮膚科特別研究室と呼ばれる独立の医療施設がありました。設立は昭和13年。ハンセン病専門の外来と入院棟をそなえ年間300人の患者を診察していました。戦前の国立大学でハンセン病の外来と入院診療を専門に行う唯一の施設でした。この皮膚科特研の初代

    小笠原登 ハンセン病隔離に抗った医師の記録|ETV特集
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    blackspring 2016/04/26
     ETV特集「“らいは不治にあらず”~ハンセン病 隔離に抗った医師の記録~」http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2016068386SC000/
  • 18. 「私の経験では…」 - 発達診療の窓から

    私が医師になって7~8年ほどしたころのことです。私は、ある小児病院で非常勤医師として働いていました。一種の研修医のようなものです。 一日の診療が終わるとよく夕方から自主的な勉強会があり、夜遅くまで文献の読み合わせをしたり、診断や治療方針をめぐって同僚や先輩方と議論しあうのが日常でした。比較的自由な立場だった私は、様々な科の勉強会に日替わりで参加していました。 その日はある希少疾患についての勉強会だったのですが、たまたまその疾患の経験があったことからディスカッションの中でコメントをしようと、「私の経験では…」と切り出したそのとき、指導医だったN先生の雷が落ちました。 「お前の経験はどのくらいのものなんだ?世界中に、この診断について知見が蓄積され、論文として発表されている。それを無視して、まず自分の経験からものを言いはじめるのは傲慢だ。『私の経験では』という言葉を使うな!」と。 私は、はっとし

    18. 「私の経験では…」 - 発達診療の窓から
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    blackspring 2015/01/06
    「限られた自分の経験だけに頼ることはとても危険です…一個人ができる経験の量や幅は限られています…同じ経験をしてもそこに何を感じるのか、そこから何を得るのかは、個人の意識や観察眼に左右されてしまいます」
  • 認知症徘徊事故訴訟 - 新小児科医のつぶやき

    事件の概略はこのあたりを参照にしています。一審段階からのマスコミ記事もあるのですが、元記事を引っ張り出せなかったので記憶に頼って付け加えます。 4/24付朝日記事 4/24付日経記事 事実関係はシンプルで、 認知症で徘徊行動を起こす人をが自宅で介護していた 同居していない息子夫婦も介護に協力していた 「がまどろんだ数分の間」(朝日記事)の間に父は家から抜け出した 父は電車(JR)にはねられて死亡 JRは介護にあたっていたと息子夫婦に720万円の損害賠償を請求 一審は満額、二審は介護に直接当たっていた母()に半額の賠償を認めたこの判決を聞いて震え上がったのはまず現在認知症を持つ人を介護している人でしょう。さらに医療関係者も震え上がっています。入院患者の中には認知症患者も少なからず含まれており、病院から脱出して徘徊行動に至る患者は現実に存在するからです。その患者が今回のような列車事故を

    認知症徘徊事故訴訟 - 新小児科医のつぶやき
  • 中村ゆきつぐのブログ : 医療における既得権益は医師ではなく国民!山形大嘉山孝正先生の講演より。マスコミさんへお願いします

    2013年10月05日01:21 カテゴリ 医療における既得権益は医師ではなく国民!山形大嘉山孝正先生の講演より。マスコミさんへお願いします 10月3日、栃木県医師会主催の講演会に参加しました。 講演会前に開かれた総会において、栃木県勤務医師のアンケートが発表され、生々しい勤務医の不平、不満が発表されました。多分全国どこも似ているのでしょうが、医師達、特に勤務医達は疲れているようです。 その発表の後、元がんセンター総長の山形大の嘉山孝正先生の講演です。 しんどい医師を確保するためになにをするのか。勤務医、特に負担の多いジャンルの勤務医にドクターズフィーという一つの提案をしています。 山形大ではすでに実施され、産科、小児科、脳外科等の若い先生が増えているようです。 そこで出た言葉が表題。 医療における既得権益は医師ではなく国民! 国民が安い医療費で最高の医療を受け続けている現状を変えないよう

  • 自殺願望と希死念慮

    ◆自殺願望と希死念慮 ・端的に言えば、死にたいという思いが「自殺願望」で、死ななければならないという思いが「希死念慮」なのです。 ・「自殺願望」は、生きているのが嫌だから死にたいと思ったり、死ねるものなら死にたいと抱く思いで、「希死念慮」は、死ななくてはいけないと思い込んでしまったり、死にたいという言葉が頭に浮かんで離れないなど自殺することを義務的に思っているものなのです。 ・死にたいと考える「自殺願望」や、自殺をしたいと願う「自殺志願」、実際に自殺しようと行動に移す「自殺企図」、客観的に理解しがたい理由で死にたいと願う「希死念慮」などの欲求は、生きているからこそ現れる現象なのです。 ・何故なら、生きているという実感がなければ、死にたいと思うことはないはずですから。 ・死ぬことは、決断さえすれば計画的であろうが衝動的であろうが、いつでもできます。 ・今、当に死にたいと思うのな

  • 404 Not Found|国立大学法人 秋田大学

    〒010-8502 秋田市手形学園町 1番1号 TEL:018-889-2207(代表) Copyright (C) 2020 Akita University. All Rights Reserved.

  • 続・損害賠償請求に感じる違和感 - Fetal skeletal dysplasia forum

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    blackspring 2013/06/06
    「出産するか人工妊娠中絶するかを自己決定する機会を奪われた」訴訟における問題の本質とは
  • 損害賠償請求に感じる違和感 - Fetal skeletal dysplasia forum

    羊水検査の結果を医師が誤って伝え,その結果うまれたダウン症候群の児のご両親が,「出産するか人工妊娠中絶するかを自己決定する機会を奪われた」と1千万円の損害賠償を求める訴訟をおこしたことがおおきなニュースとなっています.NIPTの実施にあたって「自己決定」をつよく強調してきたわたしですが,この件についてはなにかしらひっかかりを感じています.同様にかんじていらっしゃるかたも多いと思います. それはいったいなにか? この違和感は直感的なものであり,まだことばにうまく表現するところまできていないかもしれませんが,現在のトピックスであり,とりあえず現段階でいえそうなことをまとめてみます.時間をおいて改めてまた書く機会をつくりたいと思います. なおわたしは,現行の母体保護法では胎児が障害をもつこを理由に人工妊娠中絶が認められていない,という立場にはたちません.もしそうだとしたら,ダウン症候群の児の出生

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    blackspring 2013/06/06
    「出産するか人工妊娠中絶するかを自己決定する機会を奪われた」
  • 文化庁 | 文化庁月報 | 連載  「博物館ななめ歩き」

    国立ハンセン病資料館 〒189-0002 東京都東村山市青葉町4-1-13 お問い合わせ 042-396-2909 開館日 9:30~16:30(入館は16:00まで) 休館日 月曜及び「国民の祝日」の翌日。ただし,月曜が祝日の場合は開館。年末年始。館内整理日。 入館料 無料 ホームページ http://www.hansen-dis.jp/index.html

  • 『看護覚え書』リーディングガイド INDEX

  • 報道と森口氏 - 新小児科医のつぶやき

    報道検証機関と言うところが探し出してくれた森口氏関連の記事のうち、 ハーバード大学客員研究員 ハーバード大学研究員これを名乗って発言された該当記事一覧が掲載されています。ちょっとまとめてみます。 No. 読売 タブ 日経 1. PASS 2009年7月9日付朝刊22面 iPS細胞:肝がん細胞から作成 ハーバード大の研究チーム成功 2009年7月9日付朝刊34面 『がん幹細胞』からiPS細胞 米大など成功 新治療法の開発も 2. 2009年9月2日付朝刊2面 肝臓のがん細胞9割が正常に戻る マウス実験で成功/ハーバード大 2009年9月2日付朝刊3面 肝がん細胞:大半を正常化 ハーバード大チーム、マウスで成功 2009年9月7日付朝刊13面 肝がん細胞、正常に 米ハーバード大 遺伝子など用い 3. 2009年11月8日付朝刊17面 [iPSどこへ行く](下)研究体制の差 戦略無く周回遅れ

    報道と森口氏 - 新小児科医のつぶやき
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    blackspring 2012/10/18
     「森口氏の場合は手段が目的化した状態のように思えてなりません。そこまでやったのは・・・メディアのスポットライトを浴びる魔力でしょうか」
  • SYNODOS JOURNAL : 安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美

    2012/9/2811:0 安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美 アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代 著者:児玉 真美 販売元:生活書院 (2011-10) 販売元:Amazon.co.jp クチコミを見る 尊厳死法制化をめぐる議論で、尊厳死を推進しようとする人たちの中から「既に安楽死や自殺幇助を合法化した国では、なんらおぞましいことは起こっていない」という発言が出ることがある。私はそうした発言に遭遇するたびに、そこでつまづき、フリーズしたまま、その先の議論についていくことができなくなってしまう。 「おぞましいこと」は当に起こっていないか? それとも現実に何が起こっているかを、この人は知らないのか? しかし、これだけ尊厳死法制化に積極的に関わってきたこの人が、当に知らないということがあるだろうか? それとも現実に起こっていることを十分

  • てんかん報道(特に、報道関係者のかたへ)|てんかん(癲癇)と生きる

    【追記あり 2012.4.12 19:10 祇園事故について】 鹿沼市で発生したクレーン車暴走事件から一年が経過し、この事件を取り上げる番組が各局で放送され、新聞にもご遺族のかたが交通事故厳罰化と免許制度見直しの陳情を行った件が報道されました。しかしこれらの多くは、視聴者や読者の心の中で「てんかん患者によって引き起こされた事件」と「遺族の悲しみ」に焦点が結ばれ、この二つの要素から、報道の意図とは異なるかもしれませんが、(すべての)てんかん患者の運転は危険である、さらに「てんかん患者は危険である」といった印象をすくなからぬ人々に与えたように感じます。 そして、てんかん患者への憎悪の念が再生産されることが懸念されます。 この感想は、私がてんかん患者であることから被害妄想的に思い込んだものではなく、一年前の当ブログへの過激なものを含む反応を見る限り、てんかんとは何かを知らぬ人々にとっては当然のも